第4章  姫とエメロ城の人々

第31話   家族の絵

 ヒメが下着の隙間すきまにいっぱい武器を隠し持っていたから、針子たちが始終悲鳴をあげていた。


 ヒメだって、大人数でおしゃべりしながら、裸みたいな格好をさせられるなんて耐えられず、カーテンの後ろに隠れてしまったりと、着替えるだけで一時間以上もかかってしまった。


「姫様がどうしてもとおっしゃいますから、急遽きゅうきょストールをご用意しましたけど、ドレスのセクシーな雰囲気が半減してしまいましたわ~」


「そ、そう言われても……本当にごめんね。どうしても恥ずかしくって、こうしてないと人前に出られないの」


 ヒメは純白のシルクのストールで肩を覆って、ついでに胸もあまり露出しないように、前にたぐり寄せていた。


かばんなんて背負われるのですか!? もうバランスがめちゃくちゃです!」


「ハハハ……言うと思った。でも、この鞄だけは勘弁してね。私は手ぶらが落ち着かないんだ」


 ヒメはフルーツたっぷりの絞りたてジュースをもらって、少し空腹がまぎれた。深呼吸して、心を落ち着ける。


 部屋の外で待つ執事ジョージは、おおらかなようでいて、細かい性分であった。部屋の外からずっとヒメのオレンジメイクをピンクにするよう指示を出していて、それがあまりにも芸術性あふれる表現だったので、


(お城の絵画を選んだのって、ジョージさんなのかも)


 彼が絵画と、画家たちの素質を褒めちぎりながら絵を購入している姿が、ヒメの頭にぽわわんと浮かんだ。きっと楽しい買い物だっただろう、彼は否定的な表現ですら耳に優しかった。


 かくして純白のストールと、ドレスに不吊り合いな鞄を背負って、ヒメは執事ジョージの案内のもと、慣れないながーいスカートを両手でつまんで、かかとの高いハイヒールでよろよろと歩きながら、廊下を歩いていた。


「こんなにかかとの高い靴、なんのために履くの~」


「エレガントですよ、マリーベル姫」


「そ、そのえれがんとってのは、生きるためにどうしても必要なもの?」


「はい、どうしても必要なのです。姫様、背筋をお伸ばしくださいませ」


 お姫様がこんなに大変な毎日を過ごしていたなんて。簡単な仕事だと思い込んでいたヒメは、遠征を乗り越えた両足でどこまで歩き続けられるか不安になった。


「え、階段を上がるの!?」


「はい。お着替えに時間がかかってしまいましたので、お急ぎ願います」


 執事の靴は、ハイヒールではない。とんとんと軽快に上がってゆくおじいちゃんの後ろを、ヒメががくがくしたヘンな歩き方で続いてゆく。


陛下へいかは六階でお待ちですよ。あと四階分、がんばってお上りくださいませ」


「へ、えぇええ~」


 ヒメがよくわからない声で返事した。



 二階へと続く階段の、踊り場まで到着した。ヒメは軽い靴れを起こしていた。


「ジョージさん、靴、脱いでもいい? ちゃんと手に持って歩くから」


「なりませんよ。そのようなはしたない真似まねを、陛下はお許しになりません」


 二階に上がると、ジョージはすぐに三階へと続く階段をのぼってゆく。ヒメは靴擦れを気にしながら、一歩一歩、大股で数段飛ばしながら上ってゆく。


「じゃあ、せめてこの大きな緑色の石を、取ってもいい? 私に宝石なんて似合にあいっこないし、それに体にがつんがつん当たって痛いんだよね」


「一つたりとも、外してはなりませんよ、姫様。なぜなら――」


 三階へ上がる途中の、階段の踊り場の壁に、黄金の巨大な額縁がくぶちに収められた人物画が、にっこりと微笑んでいた。執事ジョージはそれを見上げて、翡翠色の目を細める。


 ヒメもつられて、その絵を見上げた。今のヒメとそっくりのドレスを身にまとう、波打つような金髪の女性が描かれていた。

 その顔は、まるでヒメを写したかのような。


「え……これ、私? じゃないよね、髪の毛が腰に届くくらい長いし」


「王妃様の、お若い頃のお姿です。姫様をお産みになった数日後に、世を去られてしまわれました。あのときの陛下と国民のお嘆きようは、まるでこの世の終わりのようでございましたとも」


 胸の谷間に沈む大きなエメラルド、髪飾りに使われた金細工の紋章。肩のストールと背中の鞄を除けば、ヒメの今の衣装のすべてが、この王妃の生前を再現しているかのようだった。


「今の私、王妃様にそっくりだね」


「はい。つまり、そういうことなのです」


 これはどの飾りも外すわけにはいかないなと、ヒメは苦笑したのだった。


(でも、このハイヒールっていう靴、階段がめちゃくちゃつらい……)



 ハイヒールのかかとを踏んでズルをしていたら、ジョージに気づかれ、たしなめられた。

 ヒメはしぶしぶ、がくがく歩きに戻って四階への階段の踊り場へとたどり着いた。


 巨大な金の額縁だけが掛かっている壁に、金色の眉毛を跳ね上げる。


「ここには、絵がないんだね」


「はい。これは姫様が描かれるための場所なのです。この十五年あまり、ここにはなんの絵も掛けられてはおりません」


「へ~、マリーベル姫の絵、まだ描かれてなかったんだ」


「ええ、描こうにも被写体がご不在ですからね」


 え? とヒメは声を跳ね上げた。


「マリーベル姫って、普段はお城に住んでないの?」


「はい、この一五年間、一度もご帰還を果たされませんでした」


 マリーベル姫はもうすぐ十六歳の誕生日を迎えるはず。では、生まれてからのほとんどを異国旅行して過ごしていたというのか。さすがに不自然だとヒメは思った。


「あの、ヘンなこと聞くけど、マリーベル姫って、実在……するんだよね」


「もちろんでございますとも」


 目の前の本物のマリーベル姫に、執事は笑みを浮かべていた。ガビィの指示どおり、ゆっくりと悟ってもらうために、時間をかけて説明してゆくつもりだ。


(うへ~、なんかエメロ国って、不気味だな……。お姫様も、得体えたいが知れなくなってきた……)


 ヒメにとって、マリーベル姫が恐怖の対象になりつつあった。




 がくがくの歩き方から少しコツを掴んできた頃、五階の階段の踊り場に到着したヒメは、またもや金の額縁だけが掛かっている壁に、金色の眉毛を跳ね上げた。


「ここも、誰かが描かれる予定?」


「さあ……ここは、どうしたらよいのでしょうね」


「え?」


「ここには、王子様のご雄姿ゆうしが描かれるはずでございましたが……。姫様のお言葉ならば……心の動く者も、現れるかもしれませんね……」


 ジョージはヒメを見上げた後、少し悲しげに微笑んだ。


「王子に関しては、また後日にお話いたします」


「あ、はい……」


 ヒメはエメロ城にはびこるどろどろした気配を察して、ちょっとげんなりした。描く絵だけでもケンカになるとは。きっといろんな事でももめている予感がした。




 ようやく安定した歩行のコツを掴んできた頃、やっとの思いで六階へ続く階段の、踊り場に到着したヒメは、エメラルドと黄金に縁取ふちどられた絵画を見上げて、すぐに名前を言い当てた。


「エメロ一三世だよね? マリーベル姫のお父さんだ」


「ご名答です」


 その男性の頭には、翡翠をちりばめた黄金の王冠が。緑のマントに覆われた小太りな体型に、翡翠のネックレス、片手には大きな翡翠がついたかしの木の杖を持っていた。金色の少しごわついた髪質に、優しそうな垂れ目の、ビー玉色の瞳……。


(あれ? 王様の目の色が、私そっくりだ)


 ヒメはエメロ人の全員が、翡翠色の目をしているのかと思っていた。


「姫様……陛下のご雄姿を、どうかお心にお留めくださいませ」


「え? あ、ご病気なんだっけ? そんなに、具合が悪いの……?」


 もっと丁寧な聞き方があったのかもしれない、とヒメは後悔したけれど、姫のお父さんの容態が知りたい気持ちが先走って、つい軽い口調でジョージに尋ねてしまった。


 ジョージは、ヒメのどこか他人事のような口調に、少し眉尻が下がった。無理もない事だとわかってはいるが、やはり、実際にこうして姫と接していると、だんだんと、いたたまれない気持ちになってゆく。


(ああ、おいたわしや姫様。お労しや、陛下……)


 どうしてこのような悲運を、エメロ国の王家が背負ってしまったのかと、思わずハンカチを取り出してしまう。


「この国ではまだ、いえ、この世界にはまだ、あの病を治せる医者がおりません。不治の病とも、呼べるものですな……」


 ハンカチで目頭を覆うジョージに、ヒメは、王の先があまり長くないことを悟って、ここにいるべきなのは自分ではなく本物のマリーベル姫なのではと、しゅんとした。


(こんな状態のお父さんを放置して、一五年間も、いったいマリーベル姫はどこに行ってるの)


 どうして偽物の自分が、ここに呼ばれたのか。それは金銭の支払いを催促さいそくするための牽制けんせいという、じつに冷酷な任務のためだ。


(どうしよう、私……。エメロ十三世は奥さんを失って、重い病気にかかっていて……この状況で、スイマセーン集金デースって、お金の話を切り出すの? ちょっと無理かな……でも任務だし、竜の巣の王には逆らえないし……)


 ヒメは沈んだ顔を持ち上げた。ともかく、会うなら笑顔で行こうと。初めて会う人なのだから。


「早く王様に、会わなくちゃ! ジョージさん、案内よろしくね」


「もちろんでございますとも」


「着替えに時間かけちゃって、本当にごめんね」


「いえいえ、不慣れな環境で姫様も驚かれたでしょう。わたくしの配慮はいりょ不足でございました……。それでは、駆け足で参りましょう! 競争ですぞ!」


 ジョージが配慮も容赦ようしゃもない勢いで階段を駆け上ってゆく。


「え、え!? ちょ、ちょっと待って!」


 やっとハイヒールに慣れたばかりのヒメでは追いつけない。ハイヒールを両手で持って、ついでにスカートをたくし上げて追いかけた。


(いったいなんなの、このお爺さんは~!)


 今後もジョージのハイペースに、振り回されそうなヒメであった。


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