第32話   ヒメ、父王と再会する

 ヒメに追い抜かされて、ジョージがゼエハアしながら廊下を歩いてきた。


「姫様は、足が早うございますなぁ。少しはこの老体をいたわっていただきたいものですな」


「え、競争って言い出したの、ジョージさんでしょ。それに私だって、足がもう、限界なんだよ……。案内役のあなたに置いていかれたら大変だから、並走へいそうしてたつもりなんだけど」


 エメロ一三世の私室まで、二人は歩いて行くことにした。この廊下の絨毯じゅうたんはすごくふかふかで、何度かつまずきそうになる。


 足下ばかり気にしていたヒメは、ふと前方で壁にもたれて立っている赤毛の青年を見つけて、黄色い声を上げた。


「ガブリエルさん!」


 しかしヒメより先に駆け寄ったのはジョージだった。


「ガブリエル様~、姫様が無理やりじいめを走らせるんですよ」


「なっ、何言ってるの!? 競争しようって走りだしたの、あなたでしょ!」


 ジョージがタコみたいな変顔して、そっぽを向いた。そのヘンなお爺さんっぷりに、ヒメはどっと疲れる。


(ほんとに、なんなの、この人……。三男さんは、この人がとても頼れる人だーみたいなこと言ってたけど……)


 ヒメとジョージが全力疾走している姿は、ガビィもここから眺めていた。なにをしているんだ? というのが率直な感想だった。


「……姫、その手に持った靴を、足に履くんだ」


「あ、はい……」


「あと、スカートも直すんだ。めくれてしわくちゃだぞ」


「は~い……」


 ヒメは気を取り直して、身なりを整えた。両手に持っていたハイヒールも、ちゃんと両足にはめる。


「ガブリエルさんも着替えたんだね。私も、マリーベル姫に着替えたよ」


「旅装束で城内にいるわけにも、いかないからな」


「わあ、その両腕のガントレット、かっこいい! 白銀色でキレイだね」


 ヒメがガビィの腕に駆け寄って、しげしげと観察する。二の腕まで覆う白銀色の籠手こての表面には、竜の大きな頭部を真横から描いた彫り物がしてある。険しい表情の、怖い雰囲気の竜であった。


 ふとヒメの耳に、かすかな金属音が入る。どうやらガビィはくさり帷子かたびらも身につけているようだ。鎖の音が鳴らないように着衣を重ねている上に、皮の鎧で押さえている。


「へえ、鎖帷子チェインメイルも着てるんだ。私は重くて着たことないけど、鎖でできた鎧なんだよね」


「ん……? 服の下に着ているのに、よくわかったな」


「ちょっとだけ音が鳴ったから。重さは大丈夫なの?」


「……平気だ」


 白銀色のガントレットがシャンデリアの輝きを柔らかく反射する。ガビィは組んでいた両腕をほどいて、王の私室に視線を向けた。


 私室の扉の両脇には、どんな状況にも対応できそうなベテランふうのメイドさんと、白銀色のごっついプレートアーマーを着た男性が、二人一組のようにして配置されている。


 男性のプレートアーマーの胸部に、真正面を向いて口を閉じている白銀竜の、機嫌の悪そうな表情が彫られている。細部の鱗のおうとつまで彫り込まれており、その眼は今にも瞬きしそうで、アーマーをまとう者よりもまず竜のほうに注意が向いてしまう。


「わあ、その鎧、かっこいいな……」


 ヒメが惚れ惚れしながらアーマーを観察している。ふと、まとっている男性と目が合って、慌てて背筋を伸ばした。


「その竜の絵、すっごくすてきですね!」


「ありがとうございます。この防具には特殊な加工が施されておりまして、三回までなら、どんな攻撃からも防いでくれます」


「へえ、すごい技術があるんだね。岩が飛んできても、平気なの?」


「試したことは、ないのですが、鎧は無事でしょう。中身の私には、衝撃が伝わってしまうかと思いますが」


 男性は謙遜するように照れ笑いを浮かべたが、ヒメはこの男性の鍛えられた上半身ならば、敵の攻撃をかわして、鎧ごとエメロ王を守ることもできそうだと思った。


「姫、まだ話しこむつもりか?」


 ガビィが質問形式でせかした。


「あ、ごめん。それじゃ兵士さん、お仕事がんばってね」


「お任せください」


 ヒメは気持ちを切り替えて、メイド二人が開いてくれた扉の中へと、踏み出した。




 難しそうな内容の本と、本棚で埋まった左右の壁。綺麗に片づいた書室は、しかし使われなくなって久しいのだとヒメが感づくほどに、きっちりと片づきすぎていた。人が雑多に生活していた形跡が、どこにも見当たらないのだ。


 窓という窓は分厚いカーテンで閉じられて、部屋全体が薄暗い。年配のメイドが数人控えていたが、ヒメが質問できる雰囲気ではなかった。


「姫様……」


 後ろをついてきたジョージが、部屋にもう一つある扉へと、ヒメをうながした。扉の向こうで、腹の底からしぼり出ているような激しいせきが聞こえてくる。


「姫様、お荷物をお預かりします。後で必ずお返しいたしますから」


 ジョージが言うので、ヒメはちょっと躊躇ちゅうちょしたが、背中から下ろして荷物を託した。ジョージには重たい荷物だから、すぐに壁際の床に置かれた。ジョージもそのまま、壁際に立つ。


「ここでお荷物の番をしております。ガブリエル様、後のことはよろしく頼みましたぞ」


「……わかった」


 ガビィが静かに返事した。すたすたと扉に近づいて、扉をノックする。


「エメロ一三世、マリーベル姫をお連れいたしました」


 あ、敬語使えるんだ、とヒメが内心で驚いていると、


「うむ……会わせてくれ……」


 かさかさに乾いた、具合の悪そうな男性の声が聞こえた。エメロ一三世の、声なのだろうか。絵画で見た男性の発した声とは、思えない弱々しさだった。



 その扉をくぐると、さらに薄暗い部屋が待っていた。数人のメイドが控えるそこには、深緑色のベロア生地に金色のふさが付いた、天蓋付きの立派なベッドに、一人の男性が痩せた体を深く沈めていた。


「おお、姫……。わしのマリーベル……」


 腕を伸ばされ、ヒメは王のそばまで歩みを進めた。絵画に描かれた姿とは似ても似つかぬエメロ一三世が、ヒメの片手首を掴んだ。


「もっと近く……顔を……儂に、見せておくれ……」


 ヒメはベッドの横に、しゃがみこむことにした。このほうが、互いの顔がよく見えると思ったから。


「初めての子にして、この国の長女……儂の元で、大切に大切に、育てたかった……」


「お、お父、さん……」


 しわの深く刻まれた、痩せこけた顔に、あの優しそうなビー玉色の瞳が涙で揺らいでいる。


(私を、本物の娘さんだと、思ってるんだ……)


 ヒメは耐えられず、ガバッと頭を下げた。


「あ、あの、ごめんなさい! 私はマリーベル姫じゃないんです! 顔が似てるから、ここに来た竜の巣の民なんです」


「なんだと……? 十六の誕生日に、この城に返すと、竜の巣の王と約束していたというのに……お前はマリーベルに化けた竜の巣の民だというのか」


 王の顔がみるみるしわくちゃになり、大粒の涙がこぼれ出た。


「竜の巣の民などに、任せるのではなかった……」


「な、泣かないで王様!」


「エメロ一三世」


 ヒメの後ろで控えていたガビィが、前に出てきた。


「彼女は、本物のマリーベル姫です。ご安心を」


「え? 違うよ、私は――」


「姫は竜の巣の中で、エメローディアという竜の巣の民として育てられてきました。ご自分がエメロ国の王女であることも、今日初めて知ったのです」


「なに言ってるの、ガブリエルさん。私は、本物の姫じゃないよ」


「……ガブリエル。いつも王子の身辺を守護するそなたの言葉なら、信じよう」


 王はメイドたちに、自分の上半身を起こすよう命じた。二人のメイドが駆け寄って、王の背中に手を入れて支え起こす。


 王の金色の毛髪には白いモノが混じり、枕に長時間沈んでいたために髪が頭部にぺったりとくっついていた。


「マリーベル、混乱しているだろうが、このエメロ城ではマリーベルとして振る舞っておくれ」


「え……わ、わかり、ました……」


 王の手は熱くて、高熱が出ていることがヒメにも伝わっていた。こんな状態の初老の男性に、ヒメはこれ以上、なんと言ったらいいかわからない。


「マリーベル……竜の巣での生活は、苦しくはなかったか?」


「ぜんぜん大丈夫です」


「そうか……少し、寂しいのう……」


 姫の顔はつややかで、健康美そのものであった。竜の巣で大切に育てられていたというのは、本当の様子だ。エメロ一三世は目を細めてうなずき、安堵あんどしていた。


「そうだな、そのまま、竜の巣で暮らしたほうが、幸せかもしれぬな」


「え?」


「いいや……できればこのまま、ここで暮らしてもらいたい。どこへも、やりたくはない」


「お父さん……」


「ああ、マリアにそっくりだ。まるで……若い頃の彼女に、再会しているかのようだ……」


 王の熱い手が、ヒメの片頬を包んだ。懐かしげに、愛おしそうに苦笑する王の顔は、とても幸せそうで、同時に悲しそうだった。


「王妃様って、どんな人だったんですか?」


「大臣の娘で、儂の幼なじみであった……。一緒に成長し、いつもそばで支えてくれていた……。彼女に恥じぬようにと、儂はいつも気を張っていてな」


「幼なじみだったんだ」


「ああ、小さい頃から、ずっと一緒であった……。そんな彼女に、縁談が殺到しとると耳にしたときは、儂は人生で一番、焦ったな」


「無理やり結婚したの?」


「いんや、まさか……合意の上だ」


「王様のことが好きって、言ってくれたんだ」


 ふふ……と、王がはにかんで、目を伏せた。


「彼女は、わがままを言わない女性だったが、そのとき初めて、とんでもないわがままを言った……。自分を正妻にしないと、結婚には応じません、とな」


「正妻ってなぁに?」


「なんだと言われてもな……王妃のことだ。この城では、一番最初に結婚した妻を正妻に、そして後から来た妻たちは、側室と呼ぶ」


「へえ、呼び方に違いがあるんだ。竜の巣では、そういった区別はないんだよ」


「そうか……。そのほうが、よかったのかもしれぬな……。我が国では、正妻と呼ばれる女性は一人だけだ」


「……」


 一人だけ。正妻と呼ばれる、特別な身分の女性。わがままを言わない性格の女性が、絶対に妥協をしなかった条件。


「きっとお母さんは、他じゃイヤだったんだよ。大好きな貴方あなたの、一番が良かったんだ。二番や三番じゃ辛すぎるくらい、お父さんのことが大好きだったんだね」


 ヒメが微笑むと、王のやつれた顔がほんの少し、柔らかくなったような気がした。

 しかし、些細な会話すら今の王には負担なのだと、ヒメは知らなかった。ぐったりと背筋を丸めてしまった王に戸惑っていると、メイドの一人が、静かに歩み寄ってきた。


「姫様、王様がお疲れでございます。そろそろ……」


「あ、うん。それじゃお父さん、元気でね。病気、治るといいね」


「ああ……」


 メイドたちに支えられ、再び枕に沈みながら、王は立ち上がったヒメに慌てて声をかけた。


「姫、もしも、王子と話せる機会が生じたら……」


「ん? この後、王子様といっしょにご飯を食べるみたいなんだけど」


「そうか……では、ちょうど良い。無理はするなと、伝えてくれ。あれは最近、何か思い詰めているようなのだ。相談があれば、いつでも来なさいと……そう伝えてほしい」


「わかったよ。絶対に伝えます!」


 ヒメは力強くうなずいて、ガビィと一緒に王の私室を後にした。


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