第30話   へっくしゅん!!

「……」


「……」


 兄弟は一言も口をかないまま、緑の絨毯じゅうたんの上をすたすた歩いていた。


「なあ兄貴」


 沈黙を破ったのは、クリスの声ではなく、三男の声だった。


「なんだ」


「本気でエメロ国との橋渡し役、するつもりかよ。親父に逆らい続けながら? 誰もかばわねーぞ」


「……まだ俺は殺されないから、大丈夫だ。これから進める作戦については、詳しくは言えないが……竜の巣が大きく進展できる良い機会となるのは確実だ」


「え、竜の巣のためだったの? 今んとこ迷惑以外の何者にもなってねーけど……」


 仲間から迷惑がられているのはガビィも知っていた。だからこそ、竜の巣の王から簡単に殺されないように、重要な立場を手に入れたのだ。

 エメロ国の中で唯一、竜の巣の民であることを堂々と公表したままで、表立った活動ができる立場を。逃げも隠れもせずに、相手の顔と目を見て話すことができる立場を。


「……エメロ国は、我々の第二拠点となる重要な国となる。俺はそう確信している」


「拠点なら竜の巣だけで充分。それ以外は、俺らにとってはいいカモだよ」


「親父のやり方に従っていては、何をするにも逐一あの山を介さねばならず、不便だ。他国の者とも手を組んで、拠点を増やしていかなければ、いつか時代の流れに置いていかれる」


「時代とか政治とか、そういうの関係ねーじゃん。俺らはいつだって相手を利用する側なんだからさ」


 あまり竜の巣から外に出たことがない三男には、他国への関心を抱くことは難しいようだ。


 ガビィは壁を彩る数々の風景画の中に、異国からの贈呈品も混じっていることを知っていた。異国の風景は、画家と住民たちの気心が知れていなければ見ることのできない、不思議な角度と柔らかな日常が描かれているものがある。


 そこで生きる人たちのことを、心から愛おしく想うき手の筆の動きが、こちらまで伝わってくるかのようだ。


 ガビィは赤い目を、そっと絵から逸らした。


「……今のまま、山奥での暮らしで事足りていては、活動範囲を広げるのが精神的に難しくなる。それに……」


「それに? なんだよ、もったいぶるなよ」


「……ここエメロ国で、に重要な役割ができた。竜の巣のヒメという少女ではなく、エメロ国の姫として、この国のために果たさねばならない義務が生じた」


「ぎむー? べつに他の国がどうなろうと知ったこっちゃねーけどなー」


 大あくびしながら、本気でそう言う弟に、ガビィもため息だった。


「……お前は本当に、親父に似ているな」


「え? 失礼だな、どの辺がだよ」


 自覚がないんじゃ、もっと手に負えないぞとガビィは思ったが、しゃべることに疲れてきたから、少し休憩した。


「……細かい事情は、おいおい話す。今は姫を、しばらく俺に任せてくれ」


「その、義務ってヤツのために、どうしてもヒメが必要なのか? 終わったら俺らに返せよな。親父がヒメの帰りを待ってるんだから、遅らせたらやべーよ。巣に残してきた俺の部下が喰われちまうよ」


「……姫が初めての任務に手こずり、帰還が遅れる可能性があると、明日の早朝、竜の巣の王てに伝書鳩を飛ばす。俺たちの部下が何かされることはないだろう」


 三男はクリスの顔でむっとする。ガビィが誰にも言わずに何かを計画し、念入りに、そして用心深く、確実にそれを実現させようと暗躍する姿に。さらにその計画が実現すれば、竜の巣の民にとって大変都合が悪い事態に陥るだろうという、漠然とした不満に。


「……なあ」


 今度はガビィから話しかけてきた。


「……エメロ国の王をだまして、金をむしり取ることが目的ならば、姫を竜の巣で預かるふりをして殺害し、十六年後に姫そっくりの竜の巣の民を、エメロ城に送り込めば済む話だ。なのに親父は、本物の姫を、今日の今日まで大事に育てていた。……俺は、親父にはまだ別の企みがあるんだと思っている」


「ヒメさん、いい子だよ。親父に好かれる理由なんて、それで充分だろ?」


 気が合えば、それでいいという価値観が、まるで友達感覚だとガビィは思った。

 竜の巣の王ならば、そんな手軽さで姫を手元には置かない。


 ガビィは長男ネイルにも、これと同じ質問をしたのだが、のらりくらりとはぐらかされて、気づけば談笑していた。


(兄さんは何か知っていそうだが……あの口を割らせるのは難しいだろうな)


 竜の巣で二番目に体のうろこが多い兄は、さらに巨大化して黒い竜に変身できる。物腰が柔らかい兄とは、ガビィも本気で喧嘩をしたことはないが、もしも兄に火など吹こうものなら、竜の巣の王が黙ってはいないだろう。きっとガビィをしつけ直しに、椅子から立ち上がって襲ってくる。


(部下を使って親父の身辺を調べさせてはいるが……まだ全貌ぜんぼうが掴みきれていない。親父は誰にも心を開かないからな……酒に酔っていても、その大きな口が滑ることはないだろう)


 三男が思うほど、ガビィも順調には進んでいない。たった一人で、難攻不落の竜の巣に挑んでいるせいだと、わかっていた。




 金色の手すりが付いた幅の広い階段をのぼり、ガビィは、なぜか付いてくる弟とともに三階の廊下を進んだ。


 廊下の持ち場に立つ衛兵が、ガビィにだけ丁寧にお辞儀する。三男はクリスになっているせいか、そっけない会釈しかされなかった。


「なあ兄貴、エメロ城って、こんなに若いやつが少なかったっけ? やたら年配ねんぱいしゃが多いけど」


「……俺が不在の間に、また何か、城で起きたのか」


 城で起きるごたごたは、おもにマデリンの采配さいはいと、ガビィの威圧で治めてきた。

 この十数日間、ガビィが不在だった間に、マデリンでは手に負えない事態が発生し、若い労働者がボイコットを引き起こしたのだとしたら。


(原因は、おそらく後継者争いだろうな……。今回ばかりは、俺でも解決するのは不可能だ。姫に、負担をかけてしまうが……もうあの方法しか、思いつかない)


 エメロ城内の、否、このエメロ国の平穏の全てが今、マリーベル姫の肩にのしかかっていた。




 執務室の扉は、二階の廊下の中央にある。この扉だけ、獰猛どうもうな動物たちが牙をむき出している彫刻で埋め尽くされていた。


「ここが執務室かー。エメロのハナタレ王子様が、事務作業に追われる部屋だね」


「ハハ、返す言葉もないなぁ」


 やたらあっかるい声が返ってきたと思ったら、大きなくしゃみが三連発。


 さすがに三男もびっくりした。


「王子は花粉症でな」


「ああ……」


 三男は早々に城のどこかへ隠れようと、辺りを見回した。


 部屋の中で、椅子から立ち上がる気配がした。


「その声を聞くのは、久しぶりだね。僕が子供の頃に、夜中のトイレについて来てくれた子だよね?」


 三男がクリスそっくりの翡翠ひすい色の目を細めた。


「へー、声だけでわかるんだ。毎日大勢と会ってるはずなのに聞き分けるなんて、すごい記憶力だね」


 それだけ言うと、三男はきびすを返して、もと来た道を戻り始めた。


「王子に会わないのか?」


「べつに友達でもないしー。会う理由が無いしー」


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