第26話   クリスさんそっくり!

 鏡の中の自分が、どんどん変身してゆく様子を、ヒメは青い目を見開いて、不思議そうに眺めていた。


「街を歩いてた女の子たちと、同じになってくよ。みんなお化粧してたんだね」


「あなたの場合は、オシャレじゃなくて変装だけどね」


「え? 私は誰に変装したの?」


「一般人よ。今はまだあなたが目立つときではないわ」


 それでも店主は、ヒメの顔立ちにとても似合う色合いで、お化粧を施していた。

 とある不愛想な友人を、困らせてやるために。


「顔を出すことに慣れないうちは、ハンカチで口元を押さえておくといいわ。ちょっと体調が優れないふうに演技すると、もっとなじむわよ」


「こう、かな」


「ええ。どこからどう見ても、具合が悪くて吐きそうだけど我慢してお出かけしてる女の子よ」


「うう……寄り道できない設定だね」


 悪目立ちしそうな設定でもある。


「ハンカチは、いらないよ。このままで行ってみる」


「あら、意外と度胸があるじゃない。竜の巣では、肌の露出は好ましくないんじゃなかったの?」


「うん……私だけだったら、恥ずかしくてできなかったかも。でも今は、ガブリエルさんがいるから、平気なんだ」


 恥ずかしげに、けれど嬉しそうに笑うヒメに、鏡の中の店主は、奇抜メイクでとんでもなく大きく見える両目で弧を描いた。


「そう」




「あ、ヒメさん、できたのー?」


 メイク室の扉から出てきたヒメを、三男の声が出迎えた。しかしそこには、驚き顔で立っている、門番のクリスさんが一人。


「ヒメさんすっげー変わったな! もう、なんか、別人じゃんか!」


「あのー、どなたですか……?」


 声は三男だが、どう見てもクリスさんである、なぞの人物。クリスは夜まで門番の仕事をすると言っていたから、ここにいるのは、ちょっとおかしい。


「やだなぁ、ヒメさんってば。俺のこと忘れちゃった?」


 ニカッと笑うその顔は、薄暗い室内でもクリスさんだとはっきりわかる。でも。


「え? えええ!? 三男さんなの!? でも、クリスさんそっくり!」


「これが変装屋の仕事だよ。別人の顔とそっくりにしてくれるんだ。針金を使って、作り物の鼻やまぶたの高さを調整したり、ゴムっぽい素材で肌の質を変えてみせたりしてるんだ。クリスのおっちゃんは顔の幅があったから、ほっぺたにも素材をくっつけてもらったや」


 ヒメは思わず両手で口を覆っていた。


「す、すっごい!! こんな技術があるなんて知らなかった! あ、私は普通の女の子に変装したんだ。これ、おだいがいるよね、どんな物で支払おう」


「ヒメさん、エメロ国は物々交換じゃなくて、お金っていう硬貨がいるんだよ。俺らは普段から釣り銭無しで、変装屋にみついでるから、今回の料金もタダだと思うよ」


 クリスおじさんの顔で、ついでに声もクリスおじさんに変えた三男が説明してくれた。


「俺ら竜の巣の民と渡り合ってるくらいだから、店主もそうとうな悪党さ。たぶん、法律や善悪の基準よりも、自分の信念のままに腕を振るって生きてるんだろな」


「へえ~、いろんな生き方があるんだね」


 世間知らずなヒメには、ここが狂気の沙汰さたに陥った芸術家たちの集まりなのだと理解することはできなかった。


 クリスさんと瓜二つになった三男が、店内の隅っこを指さした。


「ヒメさん、こっちがおもて玄関への近道な」


 暗い壁の色と同色のカーテンが下りていて、わずかに明かりが漏れている。


「私たち、表玄関から出るの?」


「路地裏につながる勝手口から、普通の女の子が出てきたら不自然だろ? 表の玄関から出ような」


「はぁい。一般人のふりをするには、いろいろと辻褄つじつまを合わせないといけないんだね。あっ、ガブリエルさんが路地裏で待ってるから、言わないと!」


 形よく整えられた金色の眉毛を真ん中に寄せて、ヒメは路地裏の方角へ顔を向ける。


 怪我はしているわ重たい荷物は持っているわ、あげく置き去りなんて、それは仲間としてあんまりだと思った。


 クリスの姿をした三男が、ため息をつく。


「兄貴なら、とっくにおもてで待ってるってよ。まーったく、あんなによく目立つ赤毛してんのに、おとなしく路地裏で待ってろっつーの……」


 ぶつくさ言う三男を見て、ヒメはちょっと苦笑した。


「よかった。次男さんのことも、ちゃんと気にかけてくれたんだね」


「ちっげーよ! 置いてくとうるさいから、ついでだ、ついで。俺たちは本当は、路地裏か、他人に変装してるほうが、動きやすいわけ。兄貴の目立つやり方は、俺たちにはすっげー迷惑なんだよ。この場に置いていってやりたいくらいさ!」


 行こうヒメさん、と三男が背を向けて歩きだした。黒いカーテンをめくって、現れた素朴そぼくな造りの扉の、銀色の取っ手を回して開ける。


(そっか……ガブリエルさんの堂々とした行動は、私たち竜の巣の民には都合が悪いことなんだ。たしかに、あんなに目立たなかったら、街の中で失礼な目には遭わなかったかもしれないな)


 だが、彼はそのままの姿で人混みに入るし、自分の意見もしっかり言う。ヒメの目の色がエメロ人と違うことも、周囲に隠さず、いっしょに街を歩いた。


(もしかして、私を街に慣れさせるために、わざと大勢の中を歩いてくれた……? って、考え過ぎか。うぬぼれるな、私!)


 ヒメは薄いオレンジ色のチークが入ったほっぺたを、両手でパンッと叩いて、気合を入れ直したのだった。



 扉の先は、広い控室ひかえしつになっていて、門番に化けた従者たち三人だけが、立って待っていた。


 皆、店内の灯りに照らされたヒメの姿に、目を見開いて驚いている。


 かける言葉が見つからないのか、それとも自分たちの住む世界では、このような服装を褒める言葉が存在しないのか、ただひたすらに沈黙の時間が流れた。


「に、似合うかな。黒しか着たことないから、よくわかんないやアハハ」


 照れ隠しにぽりぽりと頭を掻くヒメ。


(う……やっぱりハンカチがいるかも。できれば布で手足を巻いちゃいたい)


 皆の視線から逃れるように、ヒメは背筋を丸めて絨毯じゅうたんへと目を泳がせる。


 ふと、ミニスカートからのびるすらりとした両足が視界に入って、ヒメは硬直してしまった。


 手も足も、顔も出ている。これは竜の巣の民にとって、下着姿も同然だった。

 もしも竜の巣の王にこの姿を見られたら、裸扱いされて火炎放射をお見舞いされそうだ。


(ガブリエルさんは、外にいるんだよね……会うのやだなぁ、恥ずかしいよ……)


 さっきの気合は、どこへやら。


「ヒメさん、大丈夫?」


「うん、平気平気! 早く行こう」


「そう? じゃあ、そこの扉から」


「わかった。ここって、扉ほんっと多いよね、アハハ」


 店員専用スタッフルームの扉から、普通の女の子と、兵士に変装した数名がぞろぞろと出てきたが、すでに閉店した店内には、悲鳴をあげるお客はいなかった。


 変装屋は、表向きは一般人の若者向けの洋服店で、店内の雰囲気も明るく、首を傾げるほど奇妙な品も並べていなかった。


「ねえ三男さん、人数が少ないんだけど、他のみんなはどこへ行ったの? 先に外に?」


「うん。二十人近くの門番が、おしゃれなお店からどんどん出てきたらおかしいっしょ? あとの十数人は、お店の裏から……つまり路地のほうから表通りに回るよ。そのあとも、大勢の門番が集団で歩いてちゃ不自然だから、適当にばらけて歩くよ」


「わかった。みんなしてぞろぞろとは歩かないってことだね」


「俺はヒメさんのそばにいるけどね。ハァ~、兄貴も路地裏ぐみに行ってくれてたらなー。どうせ今ごろ、外で大注目されながら、お店の壁に堂々ともたれて待ってるんだろうよ……」


 これからも三男と次男の価値観のぶつかり合いを察したヒメは、しばらくはなだめ役を覚悟した。


 いよいよ、お店から出る時がきた。

(うぅ、こんな格好で……)


 ヒメが扉を開けると、夜であるのも相まって、街の街灯が綺麗に輝いていた。


 営業時間をとうに過ぎているにも関わらず、店内の灯りを点けてくれた変装屋。店の明るさを背景にして現れたヒメの姿が、誰の目にもはっきりと映る。


 もちろん、街灯の下でヒメを待っていた、赤い双眸そうぼうの彼にも。


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