第23話   ヒメはビー玉色

「わあ……」


 黄昏時の屋根屋根のくすんだ色合いに、ヒメは思わず背伸びした。つま先立ちになって、胸いっぱいのため息をつく。


 店じまいする人々は、ヒメが見たことがない格好をしていて、特に女の人のまとうひらひらした軽やかな服の動きは、花びらのような色合いも相まって、とってもすてきに見えた。


 皆、素顔を外にさらしており、さらに腕や足まで出している。


「今は、店じまいをしているところだ。昼間に営む店と、夜になると開く店がある。最近は治安が乱れているから、夜は出歩かないほうがいい」


 ヒメのとなりで、ガビィが説明してくれた。だが、肝心のヒメは青い目を輝かせているばかりで、ちっとも聞いていない。


「あの人たちはだぁれ!? 長男さんみたいに着飾って、ぞろぞろ歩いてるよ!」


「これから飲み屋で働く、踊り子たちだな」


「あのお店は!? すっごくいい匂い」


「……パン屋だ。ちょうど店じまいしているところだ。もうほとんどパンが売れ残っていないというのに、匂いがわかるのか」


「ねえあの店は? あのキレイな花、食べられる?」


「あれは花屋だ。食用に使えるかは、店の者に聞け」


 ヒメは次々に質問しながら、いろんなところを指さす。その指をガシッと手首ごと掴んで「行・く・ぞ」とガビィがジト目で顔を近づけてきた。


「はぁい……」


 ヒメはガビィに握られていた手首をポイとはなされて、しゅんとした。忘れていたけれど、今は任務の途中だった。質問は、仕事が終わってからにしようと思った。


 そんな彼らのもとに、無遠慮に近づいてくる一人のおじさんがいた。あきらかに敵意のある、歪みきった表情をしている。


 おじさんはヒメを突き飛ばして、ガビィを至近距離から睨みつけた。背が低いせいで、首の角度がかっこわるい。


「どこから入った、この化け物め!! 祖国へ帰れ!!」


 おじさんはガビィも突き飛ばそうとしたが、押しても微動だにしないガビィの胸板の反動で、尻餅をついた。


 そんなおじさんの元に、若い女性が駆け寄る。


「お父ちゃん! この人はお城で働いてる人じゃないか。早く謝って、逃げよう!」


「なーにがお城だ! こんな髪の色も目の色も違うモンが、綺麗な手でのし上がれるわけがねぇ! おいっ、どんな手を使ったか知らねーが、俺は認めねーからな! 俺の他にも、異国の民なんざ信用ならねーって年寄りは大勢いるんだからな!」


「ガ、ガブリエルさん、なにこの人」


 大勢の視線の中で、ヒメはおろおろとガビィを見上げた。


 尻餅状態から立ち上がったおじさんの眼光が、ギロリとヒメに向く。


「お前! お前も異国の女だな!」


「え?」


「とぼけるな! 目の色が違うからすぐにわかるんだぞ! 俺たちエメロ人はなぁ! 金色こんじきの髪の毛に、目ん玉がキレイな翡翠ひすい色なんだよ! お前のはなんだぁ、ビー玉みたいな安っぽい色しやがっ……て……」


 ガビィの放つ怒気に、威勢の良い啖呵たんかが消える。


「取り消せ」


「な、なんだよぉ」


「エメロ国王の長子ちょうしと知らずの発言、それを差し引いても、大衆の前で女を愚弄することは許せん。取り消せ!」


「な、なにわけわかんねぇこと言って……エメロ王の長子だぁ~?」


「お父ちゃん、もう行こうよ! 騒ぐとまた衛兵が来るよ」


 おじさんは娘さんらしき女性に止められながらも、まだ文句言いたげに口を開閉している。


 そこへ、甲冑のつま先を鳴らして、数人の兵士が走ってきた。


「何を騒いでいる!」


 するとガビィは、ぼさっとしているおじさんの肩を片手で掴んで、後ろを向かせた。その小太りな背中を押して急がせる。「早く消えろ」の一言を添えて。


 兵士の一人が、逃げてゆく親子の背中を指さして、ガビィを見上げる。

「ガブリエル様、いったい何が」


「酔っぱらいが騒いだだけだ。今回は見逃してやれ」


「はっ!」


「行くぞ、姫」


 ヒメは「え、えっと……」と戸惑いながら、先を行くガビィについていった。なにがなにやら、混乱したままに。



――――――――――


「エメロの長子……?」


 ヒメたちが騒がれていた表通りのベンチに、たまたま座っていた老人が、我が耳を疑っていた。


「まさか、マリーベル姫様か!?」

「そんなわけないじゃないですか、おじいさん」


 となりに座っていたおばあさんに否定されて、おじいさんは「そうだよな」とうなずいた。


「あんな恰好を、姫様がするわけがないか」

「そうですよ、おじいさん。黒は不吉な色ですもの、王族がまとうことは、絶対にありませんよ」


――――――――――



 大勢の好奇な視線は、ヒメとガビィが路地裏へ入るまで続いた。


 路地裏はじめじめとしていて、日頃から日が当たらないのが空気の湿り気具合でわかった。誰でも使える竜の巣の洗面所のうらっかわ、あそこがまさにそんな感じで湿っている。


 石畳はところどころ剥げたり、割れたり、割れた隙間から雑草が生えたり。表通りのお店の裏口だろうか、異臭を放つゴミ箱が置かれており、その臭いから逃れるように距離を置いた暗がりのかどでは、灰色の外套がいとうで全身をすっぽりと覆った、怪しい人影が揺らめいている。


 ヒメは頃合いを見計みはからって、そっと息を吸った。


「ねえ、ガブリエルさん……じゃなかった、次男さん」


「ガビィでいい」


「でも、えっと、ガブリエルさん、さっきのは、いったいなんだったの? たしかにあなたの赤い髪はとてもよく目立つけど、人目を集めるほど大騒ぎするなんて失礼だよね。とってもキレイなのに」


「……ここは、こういう国だ」


 ガビィの声には、なんの感情もなかった。あきらめているんだと、ヒメは金色のまつげを伏せた。


「そんな……この国に、そんなことがあるなんて……なんで誰も教えてくれなかったの?」


「現地で教える、と俺が伝言した少女は、何も話さなかったのか?」


「あ……うん、話してくれたよ。あなたが、現地で教える、って」


 路地裏は先へ進むほど幅が狭くなり、前をゆくガビィの背中を、ヒメは追いかけた。


「私の目のことも、安っぽいビー玉だってさ。ビー玉って何か知らないけど、きっと失礼な意味だよね」


「そうでもないぞ。子供たちにとっては、ビー玉は宝物だ。大人にとっては無価値かもしれないがな」


「オモチャなの? 青い色してる?」


「いろんな色がある」


「へえ、見てみたいなぁ。キレイ?」


「日差しを浴びせると、きれいだな」


 彼と話しているうちに、ヒメはだんだん機嫌が良くなってきた。

 安っぽいビー玉色だと言われても、彼がきれいだと言うのなら、きっととってもとっても、きれいなんだろうと想像できる。


 黄昏のとばりが下りた空は、灯りの乏しい寂しい通りを、女性一人で歩くには心細い雰囲気に変えてしまう。さらに、大きなガビィの背中のせいで、前がよく見えない。


 でも、ヒメはちっとも怖くなかった。まるで世界で二人きりになったような、そんなちゃっかりとした気分に浸ってみる。


「ガビィさん」


 彼には聞こえないくらい小さな声で、呼んでみた


 ヒメは、ふふふ、と肩とすくめて、いたずらっぽく笑った。

 気づいていない彼の背中が、なんだか可愛く見えた。


 ふいに吹いた、冷たい春風に、ハッと我に返る。

 異国ここへ、遊びに来たのではないのだと。


「ガブリエルさん、みんなはどこ?」


「おーい! ヒメさーん!」


 背後から三男の超元気な声が。ヒメが振り向くと、少し離れた建物の屋根から三男が音もなく下りてきた。


 その後から、ぽとぽとと着地する従者十数名。狭い路地だから、順番に下りているようだ。


「ヒメさん、表通りで騒がれてたけど、大丈夫だった?」


「うん。大勢の前で、私の目がビー玉色だってバカにされた」


 へへ、とヒメがはにかむ。もっと混乱しているかと思っていた三男は、金色の両目をぱちくりした。


「え~? ヒメさん、なんで嬉しそうなの?」


「だって、ビー玉ってキレイなんでしょ?」


 ヒメが大きな青い目を細めて、嬉しそうに三男を見つめている。


「……うん、まあ、きれいかな」


 思ってたのと違う展開だったが、ヒメが笑顔だから、まぁいいか、と三男は流した。


「ここが、変装屋だ」


 少し先を行っていたガビィが、ヒメに声をかけた。ヒメが三男と話している間に、距離があいてしまったらしい。

 急いで駆けつけたヒメの目の前に、裏通りの扉たちと大差のない、古びた扉が一つ、錆びた取っ手を外気にさらしていた。


「ここ? なんだか、周りと変わんないね」


「悪党は目立っちゃダメなのさ。周囲となじんでるほうが、いろいろと動きやすいからね」


 三男は古びた扉を叩いた。

 本日は終了しました、と書いてある札が、扉の取っ手に下がっているのだが。


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