第22話   初めての遠征……

「うわー……疲れたぁ」

 ヒメは初めての遠出が、七日がけの国境越えで、体が疲労感に満ちていた。


「途中の原住民さんの村や、農村で休憩できてなかったらと思うと、ぞっとするよ」


「ヒメさん、大丈夫? 休憩してあげたいけど、もう少しだから、先に進んじゃおうね」


 三男がヒメの背中の荷物を片腕で持ち上げようとしたから、ヒメは首を横に振った。


「いいの。これは私が持ってゆく。そんなに重くないし、自分の荷物だし」


「そう? じゃあ、任せるから」


「うん」


 三男がすたすたと歩いて先に行く。


 ヒメは大笑いするひざにむち打って、雑草だらけの荒野を歩き続けた。


 少し前のほうを、大荷物を背負った男性が歩いている。


「この荷物、なにが入ってるの?」


「予備の武器です」


 ヒメの後ろを歩いていた従者の一人が、そう答えた。ヒメが後ろを振り向くと、もっと重そうな荷物を背負っていた。


「あなたたちのは?」


「薬の素材と、調合器具です」


「そっか……どんなときでも、油断しないんだね」


「いつもはもう少し軽いのですが、竜の巣が襲撃に遭って以来、王が警戒してこのような大荷物を用意させました。備えあれば憂いなしです」


「そのとおりだね。いっしょにがんばろ」


 ヒメも自分の荷物を背負い直して、さっきよりもきびきびとした足取りで歩いた。


 はるか前方に、なにやら茶色っぽい石の壁が、たくさんの屋根屋根をぐるりと囲っているのが見えてきた。

 ヒメが目をこらすと、石の壁はとっても大きな長方形の巨石を一つ一つ積み上げてできていた。どうやって積み重ねたのか、ヒメには想像もできない。


「あれはなぁに?」


「エメロ国の城壁ですわ。丸みをびていて、可愛らしいですね」


「へえ、あそこが竜の巣をお抱えに持ってるエメロ国か……。わああ、わくわくしてきた!」


 目的地との距離が明確になり、ヒメの足は軽くなる。


 しかし、遠くそびえる城壁までたどりつくには、どれだけの時間がかかるか、ヒメはわかっていなかった。


「……空が、赤いね……」


 ヒメがカサカサになっていた。

 意地でも背負い続けていた荷物は、あっさりと仲間の誰かに取られてしまい、その誰かよりもヒメの疲れきった足取りのほうが重かった。


 間近まぢかで見上げると、城壁を形作る巨石は迫力満点で、長きにわたってエメロ国を強固に守ってきた歴史が、深い亀裂とその隙間に生える植物の生長具合で察することができた。


 エメロ国内部へと続く巨大な鉄扉てっぴの前に、よろいを着込んだ門番の兵士が大勢、並んでいた。近づいてくる黒装束の民を見つけるなり、次々とかぶとを脱ぎ始める。


 そして竜の巣の民と二人一組になって、なにやら相談し始めた。


「ねえ三男さん、みんなは何をしてるの?」


「誰が誰に変装へんそうするかを確認し合ってるんだよ」


「ん? どういうこと?」


「ヒメさんはそのままの姿でいいけど、俺らは他人に変装しないと、エメロ国に入れないんだ」


 そう言って三男が、最寄りの門番に声をかけた。

 その門番はまだ兜を脱いでおらず、三男に声をかけられてからスポッと外した。素朴そぼくな顔をしたおじさんだった。背丈せたけはちょうど三男と並ぶくらいだ。


「おじさんは今日、お城に戻る予定ある?」


「いんや。今日はこのまま夜中まで外にいるよ」


「じゃあおじさんに化けてお城に入るね」


「いいよ」


「おじさんの名前はなんていうの?」


 三男はいろいろとおじさんに尋ねて、またヒメのもとへ戻ってきた。


「おじさんの名前はクリスだってさ。俺、今日だけクリスさんに化けることにするわ」


 三男が自身を指さして言う。その声が、さっきのおじさんとそっくりだった。


 ヒメは目を丸くしていた。


「え、え? えええ!?」


 気づけば、周りにいる仲間たちも、それぞれ声の高さの調整をしていた。のどの辺りが奇妙に動いており、聞いたこともないほど低い声に変わった仲間もいた。


 三男の後ろで、さっきのおじさんがからからと笑う。

「俺ぁもっとハンサムな声だぜ」


「そう? こんな感じだよ」


 慣れているようなやりとりに、ヒメはますます言葉が出なくなる。


「そ、そんなこと、私、できない……」


「ヒメさんもうろこが生えたら、できるようになるよ。もっとすごいヤツなんか、背骨の高さまで変えて、小柄な体型にもなれるんだよ」


「ええ!? 背骨!?」


「あとは、変装屋さんで、顔を作って、着替えて、完成! この黒い装束だと、町中まちなかでは目立つからね」


 さ、次に行こう~、とご機嫌な三男。兵士に話しかけ、巨大な鉄扉が、とどろきを上げて開かれてゆく。


 薄い茶色の煉瓦が敷かれた大きな道が、門の奥へとヒメの視界を誘う。倉庫街だろうか、静まり返っている……。


「俺らは表通りの人間に見つかると面倒だから、路地裏ろじうらとか、屋根を伝って行くよ。門に入って、すぐ横の建物の陰から、路地に入ろう」


 三男が指をさして丁寧にヒメに説明する横を、ガビィが赤毛を揺らして、すたすたと通過してゆく。


「次男さん?」


「ちょ、兄貴! なに堂々と入国してんだよ!」


 三男のおじさんみたいな声が、元に戻っていた。


 兵士に敬礼されながら、ガビィが門をくぐってゆく。

 そして門の向こうで、一人、振り向いた。


「……この程度で恥ずかしがっていては、エメロ城に入れないぞ、姫」


「ヒメさん、もうあいつっとこうよ。行こう」


 三男が呆れながらヒメを見上げて、ギョッとした。青い目をすごく悔しそうに、三角に吊り上げていたのだから。


「うぐぐぐぐ~! べ、べつに恥ずかしがってなんか~!」

「ヒメさん! あおられちゃダメだって!」


 三男が止めるのも聞かず、ヒメは黒い覆いの下の顔を真っ赤にして、肩をいからせて、ずかずかと門へ向かって歩きだした。


 竜の巣の民で唯一の、素顔のままで門の奥に立つ、ガビィのもとへ、あと十数歩。

 がちがちに緊張しながら歩き続ける。


「姫、黒い覆面ふくめんをしているままでは、城下町で目立つ。……外さないと、連れて行かないぞ」


 ヒメが門の前で、ぴたっと静止した。

 門の前の兵士たちが、敬礼しながら、ヒメの動向を見守っている。


 大勢の前で、それも、今日初めて会う兵士の男性陣の前で、素顔をさらす試練が待っているとは、このときのヒメに予想できようか。


 ガビィは門の向こうで、姫を待って立っている。


 三男はヒメの後ろで、引き返してくるのを待っている。


(うぐぐぐぐ~!!)


 ヒメは自らの素顔を覆う、黒い布の結び目へと、手を伸ばした。


「ヒメさん! 素顔をさらすのは、エメロ国王の前だけでいいんだよ!?」


 三男が妥協案を投げてくれたが、ヒメはもう、決意していた。


「私、この先に進む!」


「ええ!?」


 鋭い衣擦きぬずれの音が鳴る。


 強い春風になぶられて、付近ふきんに咲き乱れた野草の花と、ヒメの金色のボブヘアーが揺れる。


 トカゲっぽい黒ずくめしかいないと思っていた兵士数名が、突如とつじょ現れたうら若き乙女に、圧倒された。


「こ、こここれでいいでしょ!?」


 ヒメの声が、思わずうわずる。

 皆がヒメの素顔に釘付けになる中、


「ああ。よくがんばったな」

 ガビィがニッと笑顔になった。全部が八重歯やえばみたいなギザギザの、白い歯がのぞいている。


「姫の顔、初めて見た。キレイだな」


「き、きれいだなんて……」


 ヒメは真っ赤になってゆく顔を見られるのが恥ずかしくて、黒装束の襟元えりもとを引っ張ると、顔の下半分を隠した。さらに下を向いて、金色の髪が、顔にかかるように顔を隠した。


 もじもじするヒメに、ガビィがうなずく。


「もっと汗と泥にまみれているかと思った」


「え、そこ!? 不潔ふけついなかなの!?」


 思わず顔を跳ね上げたヒメの周囲で、ブッと吹き出す、兵士の面々。

 くすくす笑われ、ヒメは別の意味で顔が真っ赤になってきた。ずかずかと大股で、門をくぐってみせる。


「ほら、どっち行くの!? どっち!?」


「まっすぐだ」


 はたして彼は、本当に清潔さのみを評価しただけなのか。

 それとも、大勢の前で女性の顔をめたのが、恥ずかしくなっただけなのか。

 今のヒメに、確かめられるほどの余裕はない。彼がお日様みたいに笑う顔を、悔しそうに見上げているばかりだった。




 一方いっぽう、置いていかれた竜の巣の民と、三男の王子は、あっけに取られていた。


「ハァ……兄貴のやつ、ほんっとどういうつもりだよ。用事さえ済めばおさらばする場所に、無理してまで馴染なじむ必要ねーじゃん」


「行きましょう、王子。我々は、変装屋で変装しなければ」


 かたわらの従者が、三男に声をかける。

 門の向こうで、どんどん小さくなってゆく二人の背中。

 何もわかっていないヒメのことが、三男は心配だった。


「……ハァ。エメロ国って人種に異様なこだわりがあるから、一人だけ赤い髪してる兄貴のそばにいるのは危ないって、ヒメに言っておけばよかったなぁ」


「今からお伝えしましょうか」


「いいよ、ほっとこ。あれでヒメさんが兄貴とこの国を、嫌いになればいいから」


 三男は両腕を組んで、金色の大きな目を細めた。


「せいぜいヒメさんを守ってみろよな、ガブリエル」


――――――――


「姫様、お美しくなられて……」

「予定では、もっと先ではなかったか? 今日おいでになられるとは、聞いていなかったが」

「ガブリエル様のお姿があったから、俺はピンときたぜ。今日、お連れになったのだってな」


 立場たちばじょう、姫に親しく話しかけられなかった兵士たちは、これから国で起こるであろう、数々の問題が、どうかこの春風のように穏便おんびんに過ぎ去ることを祈ったのだった。


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