第24話   初めての変装屋さん

「あーい、どちらさんで~」


 すぐに出てきたのは、人相の悪い男だった。いくら春らしい気温とはいえ、下着のような格好で、古傷だらけの毛深い全身を、特に気にするふうもなく人目にさらしている。


 三男が咳払せきばらいして、姿勢を正した。


「こんばんは。今日も繁盛しましたね」


「ん」


「二十人なんだけど」


「ん、わかった」


 男は店の扉を大きく開けて、自身は先に店の奥の暗がりへと消えた。

 今のは合い言葉と、人数確認だろうかとヒメは思う。


 ふと、赤毛のよく目立つ長身の青年だけが、皆と離れてゆくのが見えた。


「一緒に入らないの?」


「俺はこの格好でいい。その辺をぶらついている」


「わかった……でも、あんまり遠くに行かないでね」


 薄暗い路地裏に、よく目立つ赤毛の彼だけが、壁にもたれて立っている。ヒメは、やっぱりいっしょにお店に入ってほしくて、ガビィを誘おうとしたが、


「ヒメさん、なにしてんの。着替えるよ」


「え? 私も?」


「当然。黒は、エメロ国では不吉な色なんだってさ。着替えなきゃ」


 三男に腕を引っ張られ、ヒメもお店の中に入った。約二十名の従者も、ぞろぞろと入ってくる。全員入れるのだろうかと疑問に思うヒメだが、紫色の怪しいランプに照らされた薄暗い店内は、広さが視覚的に捉えにくくて、彼らが一階の吹抜ふきぬきから二階と三階へ、階段もつかわずによじのぼってゆくのが、よく見えなかった。


「あれ? 三男さん、みんなはどこ?」


「ああ、狭いから上の階にのぼってったよ。ここは従業員が少ないんだけど、どの子も一流の腕前だから、芋の子を洗うみたいに流れ作業でやってくれるよ」


「流れ作業って、変装のこと? 変装ってそんな簡単にできるの?」


「できるの? じゃないわ。できるように訓練するのよ。アタシのもとで働くプロとして生きるのならね……」


 野太い男性の声が、薄暗い店の奥から聞こえてきた。黒紫色のベロア生地のカーテンが閉じた先に、誰かいるようだ。


「いらっしゃいな、お姫様……」

「ヒメさん、店主から直々じきじきのご指名だよ~」

「は、はいっ!」


 ヒメは大緊張しながら、カーテンへと歩み寄った。カーテンの切れに頭を入れて、おそるおそる中をのぞきこむと、部屋中に張られた太いロープと、それに吊された大量のハンガーと服が、ヒメを出迎えた。


 客よりも店員に合わせたような服の多さ。よく見ると天井がすごく高くて、壁という壁に下がった丈夫なロープに、ぎっしりと掛けられたハンガーが、どんな性別にも趣向にも年齢にも応えられると自負されても疑えないくらい様々な洋服を着こんでいる。


 ヒメの知らない職業の服、その道のマニアしか把握していない専門職の作業着まで、全サイズそろっている。


 壁には細長い箪笥たんすが所せましと並び、恐ろしいほど大量に設置された棚の上には、服や装飾品がきっちりと納まっている。


 床は、たたんで積み重ねられた服たちで見えない。


 部屋一つが、丸々まるまる服で埋まっていた。


「うっわ……」


 圧巻のあまり、ヒメは青ざめる。眺めているだけで息苦しくなってきた。


「これぜんぶ落ちてきたら、私きっと窒息死しちゃう」


「急ぐんでしょう? 日付が変わるまでに、お城につかなきゃ、お城の人からお小言が飛んでくるわよ」


「あ、はい、すみません……えっと、私は、どうすれば」


 すっかり雰囲気に飲まれているヒメの目の前には、服だらけの中でわずかに残された一本の細い道が。まっすぐに、おしゃれな茶色い扉へと続いている。


(進めってことだね……。よし、行くしかない!)


 気を引き締めて、床に積み上げられている服を倒さないように、そっとそっと、扉に近づいた。こんなに薄暗い中で働くのって大変だろうと思いながら、銀色の取っ手を回して、押し開ける。


「おじゃましまーす……」



 ヒメが入ったのは、壁に設置されたたくさんの燭台の灯りが揺らめく、ごちゃついた部屋だった。今にも倒れそうなほど積み上げられた箪笥の引き出しには、画材道具にも見える化粧品類が大量に並んでいる。


「いらっしゃい、お客人。遠い竜の巣から、ようこそ、エメロ国へ」


 おしゃれな丸椅子に、気怠けだるげな様子で足を組んで座っていたのは、長い髪から靴の先まで、脱色したかのような白さの、ガリガリに痩せた男性だった。


(この人が、ここの店主なんだ……)


 胸元の大きく開いたビラビラの白いブラウス、太ももの形まではっきりわかるぴっちりした白のパンツ、腰には、さまざまな太さの筆が差さったポシェットが三つ。


 店主はヒメを一瞥いちべつし、なんとなく全体像を把握した後、また目を逸らした。その顔は黒一色で描かれた奇抜なピエロメイクに覆われ、顔の左右で泣き顔と笑顔という描き分けもされているから、本当の表情が、わからない。


(なんだか、すごい人だな)


 ヒメは驚嘆きょうたんのあまりに、言葉が出なかった。独自のこだわりを貫き通している相手に出会うのは、ガビィと合わせて二人目だ。


 皆とおそろいの衣装しか着たことがないヒメは、この男性とは住む世界が違うのだと自覚した。


(こういうとき、どんな言葉で褒めればいいのか、わかんないや)


 狭い部屋で、おしゃれな道化師と二人っきり。しかも無言で立ち上がり、丸椅子の横で背を向けてたたずんでいるマネキンを、くるりとヒメに向けた。


「あなたには、これが似合うわね。今、とても流行はやってるの。どの子も着てるから、かえって浮かないわよ」


「わあ! この服、エメロ国で女の子が着てたよ」


「流行ってると言っても、みんなとまったく同じじゃ個性がないわ。アタシ、無個性なまま生きるってのが大嫌いなの。それで、ちょっと手を加えることに決めたわ。たった今ね」


 手など加えなくても、ヒメ的にはじゅうぶん可愛い、オレンジ色のミニワンピースだった。部分部分で布地をふっくらとあまらせることによって、女性らしいシルエットを表現しつつも、二の腕や腰回りを、幅広のリボンできゅっと締めているから、太って見えない。


「今年は明るい色彩のエアリーなファッションがエメロ国の流行よ。そこにあえて、暗色系のゴツ可愛いゴシックなコルセットでパンチを入れるわ」


 ファッションがよくわからないヒメは、リボンでいいのに、と思ったけれど、変装屋は壁際にある箪笥の引き出しから、さほど苦労せずにごっつい太さのコルセットを取り出した。

 革の防具みたいだとヒメは思った。


「あなたウエストには自信あるかしら。コレ、どこまでもしぼれるわよ」


「えっとー、よくわからないから、普通な感じでお願いします……」


 ヒメは全身を覆う黒装束を、人前でほどくのは初めてだった。けれども、この店主ならば信用できそうだと、ヒメはなんの抵抗もなく下着になり、初めてのおしゃれ着の身につけ方と、背中のファスナーを一人であげる方法と、コルセットの結び方を教えてもらった。


「物覚えがイイのねー」

「えへへ」

「笑ってる時間はないわ。レディはこれで終わりじゃないのよ」


 店主はガビィよりさらにローテンションで、口調にも抑揚がない。呆れているのか、静かに怒っているのか、それともこういう口調なのか。その表情は、誰しもが度肝を抜かれる奇抜なピエロメイクで、推し量ることができない。


「あら、あなたずいぶんお肌がキレイね。すっぴんでも問題ないわ」


「え? そうなの? ありがとう」


「おもしろみのない女ねー」


「え、え? ごめんなさい……」


「でもドすっぴんでお城に入るのも野暮やぼなのよね。軽くお化粧しておきましょうか。顔のムダ毛を剃って、眉毛も整えるわね」


 それじゃあ、そこに座って、と店主が先ほど座っていた丸椅子を指さした。ヒメが座ると、背もたれがない椅子だからか背筋がぴんと伸びた。


「上を向いて」


「上? こう?」


 ヒメが天井に顔を向けると、太いロープが壁に沿って、何本も下がっていることに気が付いた。木製の歯車や鉄製のバネが、天井を覆っている。


(あれって、からくり仕掛けかな? へえ~、本でしか読んだことなかった。何に使うんだろう……)


 歯車に見入っているヒメをよそに、店主は気怠けだるげな動きで片手を上げると、天井から下がる太いロープの一本を引いた。

 そのとたん、歯車が軋みを上げて回転。


 ヒメの顔の上にあっつあつのタオルが落下した。


「うぉわ! あっちぃ!」


「それで顔を拭いて。汚れが付いてると、お化粧乗りが悪くなっちゃうから」


「わかった」


「じゃあ、顔を正面に戻して」


 ヒメがタオルを取って前を向くと、いつの間にか、目の前に大きな鏡台が現れていた。

 いろいろな仕掛けが、あのロープ一本で動いたのだと察した。


(すごい……さっすが竜の巣の民と渡り合ってるだけあって、いろいろと油断のならない人だ)


(この子、さっきから口数が少ないわね。もっと不安がってて、いろんな質問を投げてくるかと思ってたけど。ま、いいわ)


 つけまつげや、目を大きく見せるアイラインの引き方など、いろいろな技術があるのだが、まだこの子には早すぎると判断した店主は、自慢の腕前を披露できないのを残念に思いながら、蒸しタオルで両手を清めた。


「お化粧するついでに、化粧品の名前だけでも覚えていってちょうだい」


「あ、はい! 何もわからないので、ご指導のほど、よろしくお願いします!」


 口紅も知らないヒメであった。


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