第5話   天使の名前の王子様

 王の大きな金色の眼球に凝視されながら、ヒメは思案した。


 何年か前に、ヒメは自分の両親はどこにいるのかと、竜の巣の民に尋ねたことがあった。

『お母様は産後に体調が悪化し、竜の巣の医務室で息を引き取ったと。お父様は任務に失敗し、事故で亡くなったと聞いております』


 ヒメは、自分がなぜヒメと呼ばれるのかを、三男の王子に尋ねたことがあった。

『エメローディアって長いじゃん。ヒメさんのほうが短くて呼びやすいよ』


 ヒメは、長男の王子ネイルに尋ねたことがあった。

 次男の王子様はどこにいるのかと。


『あいつはエメロ国の王子の近侍きんじを務めているゆえ、めったに戻ってこないんだ。ヒメが赤ちゃんのときは、一緒にいたこともあったんだが、その様子だと覚えていないようだな』



 ヒメの中で、王に尋ねたいことが決まった。

「あの、一つ、よろしいでしょうか」


「なんでも」


「王様から見た次男の王子様とは、どのようなお方なのでしょうか」


 三男いわく、偏屈へんくつなヤツ。長男ネイルいわく、真面目な良いヤツ。


「ふぅん、次男かぁ……」


 王は不機嫌な声で「次男、次男」とつぶやきながら、

 黒光りする鱗に覆われた太い片手を上げると、鋭い爪の生えた手で頭をガリガリ掻いた。

 おもしろくないことを尋ねてしまったようだと、ヒメは縮こまる。


「次男のガブリエルは今、エメロ国におるのだ。エメロのハナタレ王子が、ガビィを気に入ってな、以来ずっとそばに置いておる。エメロの現国王も、王子の護衛に相応しいとかなんとか言いおって、早い話が、うちのガビィは貧乏くじを引かされたのだ」


「……貧乏くじとは、思っていない」


 ローテンションだが、はっきりとした発音の、若い男性の声がした。

 謁見えっけんが、静まり返る。


 王の金色の眼球が、ギョロリと動いて、壁際に控える青年の姿を捉えた。

 その目の形が、三日月のように細まる。


「おお、ガビィ。そういえば帰っとったの」

「ええ!? じ、次男さん!?」


 ずっとそこにいたのかと、ヒメは絶句し、仰天のあまりピョンとジャンプして、体の向きを次男の王子に向けた。


 謁見の間には出入り口が三か所あり、次男の王子は、左端ひだりはしっこの暗がりに、影のごとく立っていた。


(あれ? この人……なんだか、他の人と雰囲気がちがうな。なんか、浮いてるっていうか……染まってないっていうか……)


 斜光の届かない位置から、赤く輝く瞳だけが瞬いている。

 皆と同じ服装で闇に溶けこんでいるにも関わらず、彼のまとう空気が、周りから浮いていた。


(それに、なんだか服装がもこもこしてるし……、黒い布の下に、たくさん着込んでるのかな)


 一人だけもこもこしている次男の王子が、すたすたと斜光の届く範囲に入ってきた。

 そしてヒメと少し間をあけて、立ち止まる。体は王に向いていた。


「……王よ。姫にエメロ国王を失望させる真似は、させてはならない。あの国はとても小さいが、王子の政治の手腕しゅわんは確かだ。これから伸びてゆくだろう。竜の巣のためを思うならば、エメロとのきずなを今後とも深めてゆくのが得策とくさくだと、俺は思う」


 敬語も礼儀もなっていない次男の王子に、ヒメは生きた心地がしなかった。ここは、王の口から吹き出る火炎放射の射程範囲内。王がいかれば、ヒメたちは足首だけを残して溶けてしまう。


 幸いなことに、王はとがった鼻先を斜めに向けて、つーんとねていた。これはこれで、誰の意見も聞き入れない態勢だ。


 次男さんの意見は、永遠に不採用だろう……ヒメがそう思った、そのとき

「姫」


 次男の王子が、ヒメに声をかけた。

 ヒメが驚いて、彼を凝視する。

 彼の手は、自身の顔を覆う黒い布の結び目へと、伸びていた。


「……俺の姿を、よく見てほしい」


 しゅるりと衣擦きぬずれの音を立てて、一瞬にして彼の素顔があらわになる。


 燃えるような赤毛と、真っ赤な双眸そうぼうが、ヒメを射抜く。


「ぶわあああ! ここここらガビィ!」


 王が口をあんぐりと開けて、思わず立ち上がった。


 ヒメは両手で口を押さえて、次男を見上げたまま固まっていた。見たこともない髪色の美しさに、体の痙攣けいれんが止まらない。


 ネイルよりも若々しく、三男よりも落ち着いた雰囲気をまとう、ちょっと眠たげな目をした青年の顔には、一枚の鱗も無かった。

 瑞々みずみずしい綺麗な肌に、天窓からの陽射しが、温かく降り注ぐ。


 さらに彼は、全身を覆っていた幅広の黒い布も一瞬で取ってみせた。

 よくめしたかわよろいと、首元がはだけた灰色のシャツ。腰のベルトに下がったさやには短剣が二本、茶色いズボンにはポケットがいっぱい付いていて、足には丈夫そうな黒いブーツを履いている。


 たった数秒で、ヒメの目の前に、見たこともない世界が広がっていた。


わしの前でなんという格好を! はじを知れ!」


 王の恫喝どうかつにも、次男は動じず、王の玉座へ体を向けた。


「彼女の国では、これが普通だ。彼女に元の価値観を取り戻させたい」


「よそはよそ! うちはうちだ! 誰か、こやつに着る物を持て!」


 ずっと部屋の出入り口で待機していた侍女じじょ数名が、蜘蛛くもの子を散らしたように駆けだして部屋を出て行った。すぐに両手いっぱいに黒い布を抱えて戻ってくる。


「早く下がらせろ!」

「は、はい!」


 どさどさと布をかぶせられて、半端はんぱに黒い布を巻かれたガビィが、侍女たちに根野菜のごとく引っ張られて部屋を退場した。


「まったく、なんて破廉恥はれんちな格好を……」


 王は疲れたようにため息をついて、椅子にどさりと座りこんだ。

 片手で眉間みけんを押さえ、うぅんとうめく。


「すっかりエメロ国の文化に染まりおって。人前で顔をさらすなど、裸で歩くも同然だぞ」


「そ、そうですね、びっくりしました……」


 ヒメはあっけに取られて、口が開きっぱなしだった。


「ヒメ! あの者の妻にだけはなるでないぞ!」

「は、はいっ!」


 竜の巣の女性は、夫以外の男性の名前を呼ぶことを禁じられている。

 ヒメが彼の名前を知っても、人前で呼ぶことはできなかった。


「今日はもうよい、下がりなさい」


「……」


「ヒメ? どうした」


「……あ、はい! だいじょうぶです!」


 あまりの非日常な驚きのせいで、ヒメの集中力が切れてしまっている。

 王が金色の大きな眼球で、岩肌が剥き出しの天井を眺めた。


「ヒメ、もしや竜の巣の外に、興味が沸いたのではあるまいな。派手はでな服装が、好ましいか?」


 ヒメは首をぶんぶん横に振った。


「とんでもない! なぜそのような捉え方をなさるのですか」


「そうじゃとも。とんでもない話じゃとも」


 玉座に座っていた王が、がばりと立ち上がった。


「一度この巣に入った者は、我ら一族に迎えられるか、口封じに消されるかのどちらかだ。どうか裏切らないでおくれヒメ。お前はこの世に産まれたときから、命運が決まっておるのだ。儂らの手の平の上でな……」


 大きな手の鋭い爪をカチカチと鳴らされ、ヒメはおろおろと口を開閉していたが、やがてあきらめ、王に不愉快な思いをさせたことを謝罪し、謁見の間から退場したのであった。


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