第4話   玉座の主

 緩やかな坂道や階段を上って、上へ上へと竜の巣を移動する。


(王様が私を部屋に呼ぶときって、二人の王子様のうちの、どっちと結婚したいかーとか、体調はどうかーとか。最近だと、私が実行する予定の、あの大仕事の内容の確認をするときなんだよね。代役が立てられない重要な仕事だそうだから、王様も心配してるのかも)


 王が呼んでいる。

 遅刻したりさからったりすると、本当に殺されるので、ヒメは布がほどけないように、しっかりと頭の後ろで結び直し、念入りに引っぱってほどけないか確認した。


 何回も咳払せきばらいして、のどの調子も整える。

 王は耳が遠いので、大きな声でハキハキと発言しなければ怒らせてしまう。


 金糸きんし銀糸ぎんしの織り交ぜられた輝くドラゴンが、両開きの大きな木の扉を真ん中に挟んで、大きく口を開けている。

 綺麗なタペストリーに見守られながら、ヒメは扉の前に立っている番人に話しかけて、いっしょに扉をくぐっていった。


 竜の巣の上層に位置する、一番広くて立派な部屋。

 高い高い天井に作られた天窓から、夕暮れの始まりを告げる斜光が、床の豪華な絨毯じゅうたんに落ちている。


「おおヒメ、待っておったぞ」

 酒でかすれた、しかしドスの利いた老人の声が、ヒメを迎えた。


 黄金でできた動物たちで飾り付けられた、重たそうな椅子いすに、黒いトカゲのような姿をした老爺ろうやが座っていた。

 全身を黒いうろこで覆われており、竜の巣の誰よりも、人間とかけ離れた容姿をしている彼は、耳まで避けた大きな口でニタリと牙を露出させる。


 体はとても大きくて、ヒメを三人ほど背中にのせられそうだ。

 ネイルとよく似た服装をしているのは、彼もまた召喚師であるから。

 そして召喚師こそ、この竜の巣を束ねる王のみが務める、特殊な地位だった。


 ヒメは王と距離を保って立ち止まり、深々と一礼した。


「王様、今日はどのようなご用件でしょうか」


 ヒメはお腹に力をこめながら、真面目な表情と声を努める。

 絨毯に転がる、粉々になった酒瓶さかびんは、きっと王がうっかり踏んだか、投げたのだろう。


 王がゆったりと、両手をひじ掛けにのせた。

 その動きで、全身を飾る宝石と貴金属が、しゃらしゃらと音を奏でる。


「昨日は初めて外での仕事を任せたが、疲れてはおらんか。どこぞ怪我けがなどしてはおらんだろうなぁ?」


「はい。昨日の仕事は、きつくはありませんでしたので、まだまだ頑張れます!」


 これからも役に立てることを主張したヒメだったが、


「ハッハッハ、一つ仕事をこなしたぐらいで、もう次に進もうとするとは。向上心があるのは良いことだが、無理はしてくれるなよ」


 王の耳には、ヒメが厨房ではじけた豆に当たり、驚いて転倒しかけた、という大げさな情報が入っていた。


「ヒメにはしばらくひまを与える」

「え……」


 絶句するヒメを気にする様子もなく、

 王は金色の眼球を上下のまぶたでぬらりと湿らせて、目を細めた。


「そんなことよりもヒメよ、もうすぐ、例の作戦を決行する日が近づいてきた。わかっておるな。おのれが何をするべきか、ここで復唱してみよ」


「はっ! エメロ国の現国王に、娘のふりをして近づき、会話し、無事にこの竜の巣へ帰還することです」


 王が座ったまま文机ふづくえの酒瓶に片手を伸ばしかけ、やめた。

 ふぅん、と不機嫌そうな鼻息に、ヒメは体がのけぞりそうになる。

 壁際かべぎわひかえている従者たちは、着衣がなびいていた。


「少し違うぞ。病床びょうしょうに伏すエメロ国の現国王の耳元で、あらんかぎりの絶望を吐いてから、ここへ戻って来るのだ。二度と間違えてくれるなよ」


「は、はい……」


 返事したはいいものの、ヒメはエメロ国どころか、この山奥から出たことがないため、何をどう絶望させればいいのか、そもそも絶望とは何かもわかっていなかった。


「エメロ国の王め、さんざんわしらの世話になっておきながら、金払いが悪うてどうもならん! 少し思い知らせてやらんとな。牽制けんせいも大事な交渉術だ。頼りにしておるぞ、ヒメ」


「はい、お任せください……」


「なに、気負う必要はない。何度も説明した通りだ。付き添いの者が指示を出すゆえ、ヒメはそのとおりにしゃべっていれば良い。くれぐれも、それ以上の余計なことは考えてくれるなよ。用事が済んだら、すぐにここへ戻れ」


「心得えております」


 大真面目に返事をしたものの、世間知らずなヒメの頭の中は、ハテナでいっぱいだった。


窃盗せっとうや書類偽造ぎぞうじゃなくて、会話して帰るだけ……もっと過酷な仕事でも、私は耐えられるのに。どうしていつも私だけ、楽な仕事ばかりなんだろ……。きっとみんな、本当は私のことすごく怠け者だって、思ってるんだろうな……)


 ヒメはいつも部屋の窓から、外での仕事へ向かう仲間たちを見送っていた。

 食事と、掃除、任されるのはこの二種類の仕事だけで、さらに大勢の少女たちが手伝ってくれるから、いつもヒメの仕事はすぐに終わってしまう。


(もっと役に立ちたい! よし、エメロ国での仕事、きっちりこなして帰ろう!)


 ふんっと張り切るヒメの姿に、王は満足したのかハッハッハと高笑った。


「ヒメが任務を遂行し、無事に帰宅でき次第、成人の儀式を始める。それが済めば、ヒメの体にもうろこが生えてこよう」


「え? ご存知だったのですか、私に、まだ鱗が生えていないことを」


「儂はなんでもお見通しだよ。鱗が生えてきたら、次は王子二人のどちらかを選び、共に竜の巣の未来をにないなさい」


「仰せのままに。必ずご期待に応えてみせます」


 ヒメの返事に満足し、竜の巣の王は揺り椅子にゆったりと背中を預けた。


(二人の王子様って、長男さんと三男さんのことだよね。うーん……二人とも大勢奥さんがいるし、私が一人増えたところで、なんとも思わないだろうけど……)


 竜の巣では王の命令が絶対である。

 結婚を命令されたら、嫌でも従わなければ殺される。


(兄弟みたいに暮らしてた二人のうち、どっちかと結婚って、何度考えても、よくわかんない気持ちになるんだよね)


 そうでなくても、ヒメは二人の王子のことを、とても大事に思っていた。

 赤ちゃんの頃から、となりにいてくれた。

 子供の頃から、たくさん相談に乗ってくれた。

 そのまま夫婦になったとしても、今まで通りの生活を送るんだろうな~程度の緊張感。それぐらい二人の王子のことを、信頼していた。


(あ、そうだ、これからもっと忙しくなる長男さんを手伝えるなら、彼の大勢いる奥さんのうちの一人になってもいいかな)


 もしも王が気まぐれに結婚相手の候補者を変えるならば、ヒメもそれに従う所存だ。

 竜の巣では、それが当たり前のこと。


「ヒメ、ここまで特に異論もなく返事をしておるが、何かきたいことはあるか?」


「え?」


 自分の意見を訊かれるとは思いもしなかったヒメは、の抜けた声を上げた。


(訊きたいこと……?)


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