第3話   次期王様の王子様

「あ~腕、疲れたぁ」

 厨房での仕事を終えて、自室で一休みしようと帰ってきたヒメは、扉の真ん中にヒビが入っているのを見つけて、顔がくもった。


 最近、調整がうまくいっていないとうわさの、訓練用の人形のせいだろうか。


「うわ~、誰かぶつかったのかな。ケガしてなきゃいいけど」


 ヒメはあまり怖い想像をしないようにしながら、部屋に戻った。


「ふう」


 ずーっとフライパンを振り続けて、パンパンになった腕をぐるぐる回す。

 ベッドに腰かけて、ぼーっと一休み。


 部屋にあるベッドは、丈夫な木のわくわらをつめこみ、毛布もうふを敷いて、動物の毛皮を布団ぶとんにして使う。


「晩ご飯までまだ時間あるし、ちょっと横になろうかな」


 顔の黒い覆いを外そうと、布の隙間に指を入れた、そのとき、赤ちゃんの可愛い笑い声が、廊下から聞こえてきた。


 赤ちゃんをあやす低い男性の声もする。

(この声は……)

 竜の巣の王子三兄弟の長男、『ネイル』だった。


 赤ちゃんの可愛い声を聞いていたヒメは、部屋の扉がノックされて慌てて返事をした。


「ヒメ、扉がへこんでいるけど、どうした?」


「私がやったんじゃないよ。たぶん、訓練のときに誰かがぶつかっちゃったのかも」


 弁解しながらヒメが扉を開けると、上質でゆったりとした黒い布で身を包む、二メートル越えの長身の男性が立っていた。


 彼はヒメたちのように布でぴっちりと全身を覆ってはおらず、首、肩、脇腹、片方の太ももから足首にかけて、竜の巣でいちばん露出が多い。


 肌を覆う黒い鱗が多いから、それらも着衣の一部のように見えて、不思議とさまになっている。

 特別な服装の彼は、立場も特別だった。


 彼は憂いを帯びた青い両目で、扉を見つめた。

 鋭い爪の生えた大きな手のひらで、扉をなでる。その指は、いろいろな宝石と金属で飾られていた。


「明日、修理の手配をしよう。手の空いている者が、やってくれる」


 ネイルの頭部には、黒髪を裂いて生える大きなつのが二本、いびつに曲がりながら生えていた。この角が生えているのも、王を除いて彼だけだ。


「自分で直すよ。なんでもできるようにおのれきたえるのが、竜の巣のやり方でしょ?」


 ヒメがき腕で力こぶを作ってみせると、ネイルがふふっと笑った。


「そうだったな」


 その声に憂いを感じたヒメは、もうすぐ彼が王位を継承することを思い出した。


(責任重大の仕事に就くから、不安なんだろうな)


 ヒメは金色の眉毛をひょいと上げ、明るい表情を浮かべてみた。


「元気出して、長男さん。王様しか召喚できない訓練用の人形も、あなたがその役割を引き継いだら、きっと誤作動なんて起きなくなるって信じてる」


「……ふふ」


 あれ? 違う心配事だったのかな、とヒメは小首をかしげたが、まあいいか、と流した。


「それで、私に何か用事?」


「王が呼んでいる。たぶん、いつものアレで」


「あ……はい、すぐ行きます」


 月に一度か二度、ヒメは謁見えっけんに呼び出される。

 大勢がひかえるあの広い部屋は、いつも緊張するから苦手だった。

 しかし命令がきたなら従わなければならない。


 それが竜の巣の民のおきてだった。


 生まれて間もない赤ちゃんが、ヒメに片手を伸ばして、あー! と声をあげた。

 ネイルの腕のおくるみの中で、顔や腕に生えた黒い鱗がつややかに光る。


「か~わいい~! 長男さん、私も抱っこしていい?」


「構わないが、大泣きすると思うぞ。この子は俺にしかなつかないんだ」


「あ、そうだった、ごめん」


 ヒメは差し出していた両腕を、しょんぼりと下げた。

 ところが、赤ちゃんはヒメに両手を伸ばし続けて、今にもネイルの腕から転がり下ちてしまいそうである。


 その様子に、ネイルは眉をひそめた。


「この子も望んでいるようだ。ヒメ、抱っこしてみるか?」


「ほんと!? うわぁ嬉しいな~」


 ヒメは赤ちゃんを丁寧に両腕で受け取ると、ゆっくりと左右に揺らした。


「ママじゃないけど、よろしくね~」


 赤ちゃんはヒメをじーっと凝視する。その小さなほっぺにも、小さな鱗がまだらに生えていた。


「いーなー、もう鱗が生えてるんだ。私にも早く生えないかな」


 ヒメが苦笑すると、ネイルが笑みの形に目を細めた。


「生えてきたら、ヒメはどうしたい?」


「え? そりゃあ、私も訓練に参加したりー、みんなの仕事に参加したりー、結婚したり、子供を産んで、お母さんになったり。ふふ、いろいろしたいな」


 赤ちゃんがヒメの胸をむにむにと押し始める。


「あれ? この子、お腹すいてるのかも。それで私にも懐いてくれたんだね」


 ヒメは赤ちゃんをネイルの腕に戻した。


「早くママのもとに急いで、長男さん」


「そうしよう。では、ヒメも遅れずにな」


「あ、そうだった……」


 ネイルが赤ちゃんとともに、廊下を去ってゆく。

 赤ちゃんは廊下のゆるやかなかどでヒメの姿が見えなくなるまで、ヒメに向かって手を伸ばしていた。


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