第6話   エメロ国の使者

 謁見えっけんの扉を開いて、ヒメは廊下に出るなり脱兎だっとの勢いでガブリエルを捜した。


 竜の巣はんでおり、曲がりかども多い。

 ここで見失ってしまったら、彼だけが一人でエメロ国へと戻ってしまうような気がした。

 そしてなぜか、もう二度と会えないような気もした。


「あ、いた! お待ちください!」


 彼は乱雑に巻かれた黒い布を引きずって、後ろ姿だけでも機嫌が悪いのが見て取れた。

 しかも、振り向いてくれない。


 竜の巣の女性は、夫以外の男性の名前が呼べないので、呼ばれているのが自分だと気づかずに無視をされるのは、竜の巣の女性にとっては日常茶飯事だった。


「あの、えっと、そこの中途半端に布を巻かれてる人!」

「ガブリエルだ」


 彼が立ち止まり、振り向いた。なんと、顔を覆う布が取れてしまっている。


 素顔で、しかもいきなり本名をぶつけられて、ヒメはびっくりして正常な判断ができなかった。


「あ……わ、私は、エメローディアです! みんなからは、ヒメって呼ばれてます」


 思わず愛称あいしょうまで教えてしまって、ヒメは甲高かんだかい悲鳴が上がってしまい、両手で口を押さえた。

 だって竜の巣の女性が自分の本名といっしょに愛称まで名乗るのは、

「好きです! 付き合ってください!」

 と申し出ているのと同じ意味だった。


「あの、あの、私まだお付き合いとか考えていないんですけど、すみません、うっかり名乗ってしまいました」


 ヒメは恥ずかしさのあまり、話題を逸らそうと必死に別のネタを探した。

 目の覚めるような赤い髪、そして彼の珍しい服装が、ヒメの目にまぶしく飛びこむ。


「あの、さっきは、あの、ステキなおものでびっくりしました」

「エメロ国では、互いの名前を教えあう事にそこまでの重要性はない」


 服の話題に逸らそうとしたのに。

 その小細工こざいくすら見透かされたような気がして、ヒメは小さくなった。


「俺で名前を呼ぶ練習をするんだ。エメロ国では、ほとんどの人間が名前で呼び合っている」


 ヒメは彼が何を言っているのか、だんだんわからなくなってきた。

 ここは竜の巣で、エメロなんていう国ではない。


「……あの、私、あなたとは赤ちゃんのときに会っているそうだけど、ぜんぜん覚えていないんです。エメロって国のことも、何も知らなくて。急にいろんなことを教えてもらっても、戸惑ってしまいます」


「……そうだろうな」


「……あの、あなたの顔、みんなと違ってうろこがありませんけど、あなたは竜の巣の民なんですか?」


「そうだ」


 とげのある勢いで即答された。

 赤毛のまゆが、ちょっとだけど真ん中に寄っている。


 ヒメは黒い布で覆われた仲間の顔しか知らなかったから、素顔の彼の表情が怪訝けげんに変わったことに、戸惑った。


「えっと、じゃあ、どうして謁見の間であんなことを? 王様が怒ってましたよ。あまりあの人から反感を買わないほうがいいと思います」


「竜の巣の王にとって、俺はまだ利用価値がある。……少々の無礼では、殺されはしない」


 どこが少々なのだろうか。

 王の前で裸になったも同然のことをしでかしたのに、ガビィにはその自覚がないようだった。


 ヒメはもう、事態を受け止めきれなくて、目眩めまいが。


「もうすぐエメロ国に大勢で出立しゅったつする。姫も同伴どうはんだ」


「え、あ、はい! あなたも一緒に行くんですね。あの、道とかわからないので、道中、いろいろご迷惑かけますが、よろしくお願いします」


 ヒメは丁寧に一礼した。

(この人と一緒に……森の小道を歩くのかぁ……)


 何も話せずうつむく自分と、堂々と素顔をさらして歩いている彼、という、気まずさのかたまりのような風景が、ヒメの頭に浮かんできた。


(う、話題どうしよう。いっぱい用意しないと、私すぐに無口になっちゃう。でも、何を話せばいいんだろう……昨日の初仕事のこと? それとも、いつもの日常? うーん、うーん……)


 苦悩するヒメの気配を察知したガビィは、王の命令で緊張しているのだと勘違かんちがいした。


「……竜の巣の王から、姫がどんな命令を受けたかは知っている。だが、実行する前に、俺に相談してくれ。今エメロ国の反感を、買うわけにはいかないんだ。いろいろとややこしくなるうえに、竜の巣にとっても利益にならない」


「相談、ですか」


 ヒメは竜の巣の王の命令を、彼に相談して大丈夫なのか、迷った。

 任務に失敗したら、竜の巣の王に殺されるかもしれないのだ。

 そんな重大な命令を、今日会ったばかりの、それも平気で王の前で黒い布を取ってしまうような人に相談するなんて……。


 最悪の場合、彼も任務の失敗に巻き込んでしまう。

 もしもそうなってしまったら、ヒメは心のどこか大事な部分を、失う気がした。


「あの国の文化は、熟知している。わからないことは、俺に聞いてくれ」


 ヒメはだんだん怖くなってきた。

 なんの前触れもなく突然、大きな変化を持ってきた彼のことが。


(も、もう無理!)


 ヒメは頭が真っ白になり、引きつった笑みで後ずさりし始めた。


「わ、私、部屋に戻ってるね。ガブリエルさん、また会えたら嬉しいな」


 余裕の無い頭でしゃべったら、うっかり彼の名を呼んでしまった。


「あ」


「ガビィで構わないぞ、姫」


「……」


 微笑を浮かべ、彼がみずから、優しい声で愛称を――


 竜の巣の男性が、自分の愛称を呼んでもいいと許可する相手は、妻に選びたい女性だけであった。


「それじゃあな」


 ガビィは背を向けたついでに片手を軽く上げ、廊下を去っていった。

 本当に、なんでもない挨拶あいさつのように。



 彼の姿が完全に見えなくなった頃、ヒメは、その場にへたりこんでいた。

 耳まで真っ赤にして。


(ああ……もう……なんか、無理……)


 短いやり取りの中で体験したあらゆる出来事が、ヒメの中で、ぐるぐる回っていた。


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