第18話   負傷したのは

「長男さん! 大丈夫だった!?」


 ヒメが駆け寄ると、ネイルは少し疲れているのか、反応が鈍かった。


「この子を、命懸けで守ってくれたそうだな。感謝する」


 お父さんの腕の中で笑ってる赤ちゃんに、ヒメの顔もほころんだ。


「私はたいしたことはやってないよ。あ、長男さんのお部屋、ちょっと散らかしちゃった。片づけなら手伝うね」


 そこへ、侍女が丸い椅子を持ってやってきた。


 ネイルがそれにゆったりと腰掛ける。


 座っていてもよく目立つ高身長、それを覆う黒い布は、とりあえず肌を隠すために寄せ集めたように見えた。


「長男さん、いつもの召喚師の服はどうしたの?」


「破けてしまった。それで今は、部下の着替えを借りているんだが、どうにも小さいな」


 ネイルは他人事のように、柔らかく笑っている。


「怪我はしてない?」


「食い過ぎた。明日あたり、腹痛を起こすかもな」


「ええ!? 長男さんまで厨房でつまみ食いしたの!?」


「んん?」


 小首を傾げるネイルのもとに、ちょうど着替えを持ってきた部下が、駆けつけてきた。

 ネイルは部下から借りた小さい服の上から、召喚師の衣装を頭から着こんだ。


 やっと、いつものネイルらしくなる。


「ネイル、話しておきたいことがあるの」


 侍女はヒメに聞こえないように、夫に耳打ちした。ヒメが化け物に素顔を見せてしまったことと、その化け物が奇妙な反応を見せた後に砕け散ったこと。


 ネイルは青く輝く大きな眼を細めて、侍女の話を聞いていた。力をこめて立ち上がった弾みで、椅子が倒れる。


「この件は、俺から王へ報告する」


「長男さん、疲れてるでしょ? もっと座ってたら?」


「休んでいる場合ではなくなった。ミリア、椅子を片付けておいてくれ」


「はい」


 侍女が椅子をひょいと抱える。

 ヒメは侍女の名前が、ミリアであることを初めて知った。


 竜の巣の民は、互いの名前を頻繁ひんぱんに呼び合ったりしないため、ヒメは名前を知らないまま長時間を一緒に過ごすこともしばしばだった。


 去ってゆこうとするネイルたちに、ヒメは慌てた。


「ガ、じゃなかった、次男さんはどこ行ったの?」


「部屋に戻ると言っていた。包帯と針と、消毒液と鎮痛剤を持っていたから、自分で手当するつもりらしい」


「うええええ!? 大怪我してるのおおおお!?」


 ヒメは廊下を駆けだしていった。



 そしてなぜか厨房にやってきてしまった。


「あれ……? 私どうしてここに」


 それは、長男も三男も厨房でつまみ食いしたから、次男もここに違いないという、無意識の決めつけによるものと、ネイルの話をちゃんと聞いていないせいだった。


 おまけにヒメは、ガビィの部屋が何階にあるのか、把握していない。


「あーあー、長男さんは冷静に被害状況の確認をしてるのに、私は、どうしていつも詰めが甘いんだろ……」


 広い厨房も、広場と同じく真っ黒になっていた。


「やれやれ、派手におやりになったものだ」

「どこもかしこも、すすまみれだ」


 竜の巣の民が、箒とちりとりで掃除をしている。黒い粉は煤で間違いないようだ。


 子供たちが煤を掻き集めて、両手ですくって遊んでいる。なにやら床にしゃがんで、絵を描いている子供たちもいる。


「あ、ヒメさま! みてみて! お父さんかいた!」


 子供たちがいっせいに立ち上がり、描いていた絵を見せてくれた。黒い床に黒い粉で描かれていて見えづらいが、二足歩行のでっかいトカゲが、子供たちのすごい画力で表現されている。


「おとーさん、こーんなにでっかくなってた! あっというまだったー!」


「お父さんくろいドラゴンになったんだよ!」


「ヘンな卵、バリバリかみくだいたんだよ! 前足やしっぽで、バァーンッて、わったんだよ!」


「ぼくたち隠れてろっていわれたけど、まどあけて、めっちゃおーえんした! そんで、かーちゃんにめっちゃおこられて、すぐまどしめた!」


 次々に報告しながら、黒い覆面で素顔を隠した子供たちがぴょんぴょんはしゃいでいる。


(でっかくなったって、どういう意味だろう。不謹慎ふきんしんだけど、どんなふうに戦ったのか見てみたかったな)


 ヒメは森の中の原住民の村へ、物資調達のために移動する、その程度の外出しかしたことがなかったから、外で王子たちがどのように本気を出すのか、ぜんぜん知らなかった。


「ねえ、きみたち、次男の王子様のお部屋ってどこかな?」


「しってるー! 王さまのお部屋のとなりー!」


 王の部屋とは、私室のことか、謁見えっけんのことか……。どちらも屋上の一つ下の階層だった。


(王様の部屋のとなり!? あの階層って、王様専用だと思ってた。謁見の間も、あの階層だし。ほんとにガブリエルさんの部屋って、王様と同じ列にあるのかな?)


 子供たちの記憶違いかもしれない。ヒメはそう思い、子供たちにお礼を言うと、付近を掃いていた大人に尋ねた。


「次男の王子様のお部屋は、王様の私室のお隣です。ヒメ様、あのかたに何か? 伝言ならば、私がたまわりますよ」


「あ、ううん、自分で行くよ」


「そうですか。行ってらっしゃいませ」




 どの階層にも、広い訓練場や、広めの特別室がある。炎が吹ける誰かさんは、そのような部屋ばかりを煤まみれにしていた。


(もしかして、炎が吹ける人って、けっこういるのかも)


 どの階層にも、必ずそういう人を配置しておけば、いざというときは頼りになる……ヒメはそう結論づけた。


 王以外の炎のあやつが、一人しかいないと知らないまま。


 屋上おくじょうの一つ下の階層まで階段を上ったヒメは、通りすがりの竜の巣の民を捕まえて、廊下を案内してもらった。


「ここがそうですよ」


「ありがとう!」


 ネイルと同じく、皆の部屋と似たような感じの扉だった。

 ヒメはさっそく、軽く叩いてみた。


「ガブリエルさん、いる? 怪我したんだよね、大丈夫!?」


「腕の肉がけただけだ。たいした傷じゃない」


っ!? 医務室には行った?」


「混んでたから行かなかった。手当の仕方は心得ている」


「自分で縫うの!?」


「そうだが?」


 ヒメは思わず扉の取っ手に手をかけたが、内鍵がかかっていて回らない。


「ねえ、はりは熱して消毒した!? 消毒液はかけた!? 鎮痛剤は腕のどこに打つかわかる!?」


「ぜんぶ兄さんから聞いたから知ってる。集中したいから、ほっといてくれ」


 なんでもないような声色だった。

 竜の巣の民は、いついかなるときでも平常心がおきて

 怪我をして、医務室が混雑していたら、自分でできる範囲で対処する。

 当たり前の事。


 ……でもヒメは、しゅんとしていた。


「……後でちゃんと医務室に行ってね」


「行かない」


「そんなこと言わないで! 絶対に行ってよ! 絶対だからね!」


「……わかった」


 彼の返事は、しぶしぶだった。

 説得に応じたというよりは、ヒメがうるさいから黙らせるために返事をした感じだった。


(私なんでこんなに、悲しいんだろ……。ガブリエルさんは自分で対処できる自信があるから、誰にも頼らず、一人で解決してるだけなのに……)


 ヒメはくちびるをかみしめて、しばらく棒立ちしていた。


(ガブリエルさん、ほんとにちゃんと医務室に行ってくれるかな。頑固そうな性格してるし……。あ、そうだ、他の人にも頼んでおこう)


 ヒメは廊下を歩いていた竜の巣の民に、二つの事をお願いした。一つ目は、次男の王子様が部屋から出てきたら、傷をしっかり縫えているか確認してほしい事。二つ目は、必ず医務室へ傷を診せに行くように説得してほしい事。


「お願い! 私の言葉だけじゃ、動いてくれそうにないから」


「わかりました。お伝えしますね」


 しかしガビィが数人程度の小言など聞き入れそうにないと感じたヒメは、大勢に同じことを頼んでおいたのだった。


(さすがにこれだけの人数に説得されたら、ガブリエルさんも動くでしょ)


 ヒメは階段を下りて、煤の掃除を手伝うことにした。


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