第17話   医務室にて

 医務室は広くないこともあって、混雑こんざつしていた。

 黒い鱗ががれるほどの怪我けがを負っている者もいて、体を見られることを恥じる仲間のために、竜の巣の医師は、黒い色の包帯ほうたいで処置していた。


 ついでに、素顔をさらしていたヒメも、黒い包帯でぐるぐる巻きにされてしまった。


「ネイル……」

 侍女が待合室を、不安げな面もちで捜している。


 彼女が抱えて運んだ男性は、医師に適切な処置をほどこされて、今は待合い室の椅子に座って、黒い包帯を胸に巻いている。

 ヒメに血は付着させなかったかと、となりの席の者に尋ねられて、大丈夫だと答えていた。


 侍女が椅子に座っている数名に、駆け寄った。

「ネイル王子は、ここに来ておりませんか?」


「ああ、長男の王子様なら、さっきそこでお見かけしました。場所は――」


 ヒメは彼らの痛々しい姿に、胸がふさいで、うつむいた。

 腕に抱いている赤ちゃんは、泣き疲れて声が小さくなっていたが、それでもしゃっくりを引きずりながら泣いていた。


「ヒメ様」


 侍女が戻ってきた。


「夫と王子様がたの行方がわかりました。ネイル王子は一階の広場におります。次男の王子様もそこに。三男の王子様はすこぶるお元気で、つい先ほど負傷者を一階の医務室まで、背負って運び入れてくださったそうです。お会いするなら、上の階層にいらっしゃるかもしれません」


「わかった。ありがとう」


「ヒメ様こそ、ずっとこの子をあやしてくださって、ありがとうございます」


 赤ちゃんはヒメの手から侍女へとわたった。


 泣きやまない赤ちゃん。

 まるでお父さんの無事を確認したがっているようだと、ヒメは思った。

 ネイルと赤ちゃんを会わせるために、侍女と医務室を出ることにした。


「みんなケガしてたね……すぐ治るといいけど」


「……今まで私たちの鱗が剥がれることは、滅多にありませんでした。医務室に入る者は、もっぱら骨折や打撲だぼく。あとは食中毒などの病気のたぐいです」


 廊下に出て、一階の広場を目指して歩いてゆく。


「広場って、子供たちが遊ぶ遊具が置いてある場所だよね。長男さんたち、そんなところで何してるんだろう」


「王子様がたは被害状況を確認するために、竜の巣のあちこちを移動しているのでしょう。私も、早くお手伝いに向かわねば」


「私も。お手伝いするよ」



 広場を目指して廊下を歩くうちに、ヒメはだんだん違和感を覚えた。


 廊下の壁にある扉のいくつかが、へしゃげて、少しげている。


 壁を飾っていたタペストリーは引き裂かれて、黒い石の床に繊維せんいが散らばっていた。


「うわぁ~、あの化け物との戦いのあとかぁ。医務室にもケガ人が大勢いたし、鱗のない次男さん、大丈夫だったかなぁ……」


「……無事を祈りましょう」


 広場まであと少しのところで、廊下の扉という扉が、かちかちに炭化たんかして、きらきらと輝いていた。


 廊下を飾っていたたくさんのタペストリーも、一枚も無くなっている。

 焦げて無くなってしまったのだと、ヒメは悟った。


「え……なんで、こんなに焦げてるの? あの化け物が扉を破壊するのは知ってたけど、まさか王様みたいに火も吹けて、それで扉を焦がしたんじゃ――」


「ヒメ様、憶測おくそくだけでおびえてはなりません。それから、わたくしたちは、勝利したのです。これ以上は、なにも言わないでおきましょう」


 でも、とヒメは黙れなかった。


「鱗のないあの人が、引っ掻かれたり、木が炭になるほどの炎に当たってたら――大変!」


「ヒメ様!?」


 ヒメは全速力で広場に飛び込んでいた。



 広場にいた男性数名が、肩で息をするほど急いでやってきたヒメを見て、呆然としていた。


「ヒメ様、どうされたのですか?」


 戸惑いの混じったその声は、ヒメの耳には届いていなかった。


「なに、これ……」


 ヒメが知っている広場は、可愛い模様のタペストリーに飾られた壁に、床には鮮やかな虹が描かれた絨毯じゅうたんが敷かれており、天井には色とりどりの画用紙がようしで作られた動物たちが吊り下がっていた。


 今ではそれらが全て無くなって、ベンチは破壊されて、黒い木片もくへんと化し、花壇に植えられていた可愛い花は、黒い土塊つちくれと一体化して、一本も残っていない。


 侍女が遅れて広場に到着し、長男のひきいる部隊に駆け寄った。

「皆様、お怪我は」

「全員無事です」


「主人はどこに」

「あちらに。ご案内します」


 侍女は大泣きする赤ちゃんと一緒に、広場のもう一つの出入り口から向こう側の廊下へと、案内されていった。


 ヒメは絨毯の無くなった床にしゃがんで、そっと床を指でなぞった。

 白い指の腹が、黒い粉で真っ黒に汚れる。


「……これ、すす?」


 かまど煙突えんとつなどに付着する、火に関係した場所にたまりやすい汚れだが、この広場に煤の発生源として自然な物は、置かれていない。


 ヒメは立ち上がって、部屋全体を眺めた。

 もともと黒い岩でできた竜の巣だが、岩独特の光沢と違う、べったりした輝きが、広場を占めている。


「化け物が火を吹いたのかな。でも、どうしてわざわざ、この広い部屋をすみずみまで真っ黒焦げにしたんだろう。もしも化け物がやったんだったら、狭い廊下も、そこかしこも、遠慮せずボオボオ吹いてそうだけど……」


 知性の感じられなかった化け物たち。

 ヒメは、うーん、と腕を組んで思案する。

 敵の考えが読めてこそ、難しい戦局も勝利することができると授業で習っていた。


「うーん……あ、違う! これ味方がやったんだ。化け物の注意を自分に引きつけて、この広い部屋におびき寄せて、炎で一網打尽いちもうだじんにしたんだね。何度もその作戦を繰り返しては、化け物の数を減らしていったんだ。だからこの部屋だけ、こんなに真っ黒けなんだよ」


 ヒメの大きな独り言に、その場にいた部隊の何人かは冷や冷やしていた。

「ヒメ様、あのー、それ以上は……」


 推理に夢中のヒメは、思案を続ける。


「でもなー、竜の巣の民で火が吹けるのは、王様以外に聞いたことがないや。王様が屋上から一階まで、下りてきたのかな。でも王様はすぐに椅子に座ってしまうほど足腰が弱ってるから、階段を一気に駆け下りるなんて無理だと思う。じゃあ、下層が持ち場だった誰かの中に、炎が吹ける人がいたってこと……?」


 赤ちゃんの笑い声がした。


 ヒメが振り向くと、腕に赤ちゃんを抱えたネイルが、広場に入ってくるところだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る