第19話   包帯まみれ

 すすにまみれた厨房を掃除しているあいだに、お昼になった。

 けれども誰も昼食を作れるほど手があいていないので、ヒメたちは臨時で切り分けた干し肉と、おやつの豆類を大勢に配って歩いた。


 ヒメもおやつで腹ごなししてから、また厨房の掃除に戻った。


「ああ、ここにいらっしゃいましたか!」


 ヒメは後ろから声がかかって、振り向いた。


「なぁに? 私のこと?」


「はい。ヒメ様、王がお呼びです」


 えー? またー? 今すごく忙しいのにー、というグチが出そうになるのを、ヒメはぐっとこらえた。


「わかった、すぐに行くね」


 ヒメは使っていた雑巾ぞうきんを洗って片付けながら、ふと、この顔を覆っているのが、医務室からもらったわせの黒い包帯だったことを思い出して、あせった。


 王の前では、ちゃんとした格好でないと失礼にあたる。


(よし、今から走って部屋で着替えよう!)


 さらに汗臭くてほこりっぽいのも失礼な気がして、ヒメは全部を着替えることにした。

 大急ぎで自室に戻って、鏡を見ながら隙間すきまなく、しっかりと着替えた。


「準備完了!」


 謁見えっけんへ通じる木の扉はとても重たくて、ヒメの腕力では開けられない。

 扉の両側に立つ門番に頼んで、開けてもらった。


「ガブリエルさん!?」


 玉座の王と口論になっている赤い髪の青年の背中に、ヒメは思わず声を上げた。

 周囲の視線に気がついて、ハッとして青ざめる。


(大きな声で、しかも人前で男性の本名を……これじゃあ『私の旦那様!』って呼んだみたいじゃない)


 赤面しながら玉座の下まで歩いてきた。

 頭二つ分高いガビィと、とてつもなく大きな王に無言で見下ろされながら、ヒメは王に深々と頭を下げた。


「申し訳ございません、はしたない真似まねを」


「んん……」


 王はなんとも形容しがたい表情で、顎髭あごひげをさすっていた。

 目の前で起きまくる無礼千万、まだ利用価値があるゆえに殺されないらしいガビィがいなければ、今頃足首だけになってただろうとヒメは思う。


 先ほど王からお説教されていたガビィの格好は、王の呼び出しに急いで来たのか、ぐちゃぐちゃだった。


 ブーツにずぼん、そして上半身は白いシャツ一枚だけ。

 しかもボタンが途中までしかまっておらず、はだけた胸元は白い包帯でぐるぐる巻きになっていた。

 ほおの片方には湿布しっぷられ、ぼさぼさに乱れた赤毛の隙間からは、頭部を覆う黒い包帯が見える。


「ガブリエルさん、すごい怪我!」


「……たいした怪我じゃない。姫が大騒ぎするから、部下が部屋になだれこんできて、おお袈裟げさに治療していったんだ」


「でも、腕を縫ったんでしょ? うまくできたの? 大丈夫だった?」


「……子供じゃないんだから、心配するな」


 どっちの腕を治療したのかと、ヒメがうろうろする。


 うほんっ、と咳払せきばらいして皆を制したのは、王だった。


「ヒメ、次の襲撃が来る前に、明日エメロ国へ向かって欲しい。エメロ国の王に、お前の健康的な顔を見せたら、早急さっきゅうに竜の巣へ戻るのだ。国境こっきょうは、皆に背負ってもらえばえることができよう」


「はぁい! 俺も行きまーす!」


 元気いっぱいに謁見の間の空気をぶち破ったのは、三男だった。

 片手をぶんぶん振って主張しながら、ヒメのとなりに並びだす。


「兄貴はご覧の通り、ケガしちゃってるから、頼りにはならないよ」


 するとガビィがむっとした表情で、赤い眉毛をつり上げた。


「兄さんの調査結果を聞いたぞ。一階の部隊に負担がかかったのは、誰かさんが屋上からかたぱしに化け物を蹴落としてくれたおかげだってな!」


 今度は三男がむっと目尻をつりあげた。


「屋上の高さから落とせば、転落死すると思ったんだよ。まさか地面に着地して、玄関から家に入り込もうとするなんて、予想できるわけないだろ!」


「お前の判断が間違ったせいで、一階が持ち場だった大勢が医務室送りになった! お前から皆に謝罪を入れるべきだ!」


「俺が悪いんじゃねーもん!」


 ……王の目が、見たこともない形になって兄弟を睨みつけている。

 ヒメはあわあわと慌てた。


「王様、ご兄弟はきっと戦いの直後で、気が立っているのです。一度、下がらせてはいかがでしょうか」


「ふん、あの程度の戦いで精神が乱れるとは、まだまだ未熟者の証拠だ。二人ともネイルを見習え! 竜の巣の混乱をおさめるために、今なお大勢を動かして、被害状況の確認と、その収拾しゅうしゅう奔走ほんそうしておるのだぞ。わしは足が痛いから、やらんけどな」


 王はしんどそうにしながら、揺り椅子の背もたれに全体重を預けた。


「ガビィ、明日は出られそうか」


「無論だ」


「では、もう良い。下がれ。それと、その格好をなんとかせんと、メシ抜きだ」


「……自分で作るから必要ない」


 とことん反抗するガビィに、ヒメは謁見の間の空気が急降下で冷えてゆくのを感じた。


(も~~~~! 私じゃかばいきれないよ。なんでそんなことばっかりするのガブリエルさん!)


 もう用は済んだとばかりに、立ち去る彼の背中。

 出入り口付近では、竜の巣の民が影のようにひかえていたが、ガビィの異様さにはさすがに戸惑ったのか、身じろぎしながら道を開けていた。


「ねえねえ親父、あいつは置いていこうよ。あんな状態じゃ、ヒメさんを守れないよ」


「駄目だ。エメロ国の王子が、あいつを溺愛できあいしておる。連れていかんと、いろいろ面倒臭い」


「うへえ、エメロの王子様は、まーだ夜中のトイレについてってもらってんの? 兄貴がいないと何にもできないんじゃない?」


「そうかもしれんが、お前たちの未来の雇い主だ。金蔓かねづるの機嫌は取っておかんとな」


 ヒメはえげつない会話を聞いたような気がしたが、聞き流しておいた。


「王様、三男さん。次男の王子様は、腕を負傷しても戦ってくれたんですよね? それってすごい事じゃないですか! これにめんじて、彼のいろいろな愚行には目をつむっていただけませんか?」


 取り入るようなヒメの姿勢に、三男と王は、顔を見合わせた後ヒメに向き直った。


「ヒメよ、王子が体を張って竜の巣を守るのは当然のことだ。その程度の手柄てがらでは、何も許すことはできん」


「でも彼は、腕を縫うほどの怪我だったんですよ?」


「怪我をしたら手当てするのは当たり前であろう。むしろ戦いで負傷するなど、まだまだ未熟者の証拠だ」


 ヒメが庇えば庇うほど、ガビィの評価が下がってゆく。

 なんてことだとヒメは大変やきもきしたが、良い案が何も思いつかなかった。


「出かける準備をしろ。今日の襲撃は予想外だが、エメロ国の王との約束を、たがえるわけにはいかんのでな。儂らの信用に関わる」


「わかりました」

「はーい、準備しまーす」


「二人とも、下がってよいぞ。ああ、そうそう、弁当に詰めるおかずの中に、豆類まめるいがあっただろう」


「はい」

「あったよ」


「あれに塩をまぶしたヤツが、酒のつまみによく合う。持ってきてくれんかのう」


 王が舌なめずりしながら、大きく前に突き出たお腹をさすった。


 ヒメと三男はきょとんとしていたが、やがて王の茶目ちゃめに耐えきれず、痙攣けいれんしそうになる腹にぐっと力をこめながら、


「わかった、持ってくる」


り立てをお運びします」


 と返事したのだった。


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