第2章  崩れる平穏

第10話   今日もお弁当当番する!

「あ~……そのまま寝ちゃった。もう朝だぁ」


 うつぶせで爆睡していたヒメは、大あくびしながら起き上がると、廊下に出てきた。どの階層にも、誰もが自由に使えるかまどがあって、ヒメはそこでお湯をわかして、固く絞った布で体をふいた。


 石でできた洗面台で、顔も洗うし、塩の粒で歯もみがく。


 大きなおけにたっぷり入っていた水が、少し減ってしまった。


「厨房からんでこなきゃ。その前に、まず着替えなきゃ」


 ヒメは自室に戻ると、洗濯済みの黒い布で、顔と体をぐるぐると巻いた。そして厨房へと、歩いてゆく。


 夜のあいだじゅう、竜の巣の廊下を見回っていた仲間たちが、朝の担当の者と交代するついでに、異常なしと報告している。

 ヒメは彼らに挨拶して、横を通り過ぎた。


「今日も異常なし、か。うんうん、平凡が一番だよね……」


 厨房では、朝食担当の仲間たちが支度したくに取りかかっていた。

「おはようございます、ヒメ様。あれ? 今日は当番でしたっけ?」


「違うんだ。みんなで使う桶の水を足しに来たの。バケツ、今は使ってない? 貸してほしいんだ」


 ヒメは大鍋に水を注ぐ用のバケツを貸してもらい、中に水も入れてもらうと、洗面台のあるところまで戻って、水を足しておいた。



 竜の巣の王から暇を出されたヒメだったが、何もしないで自室にいるのもアレなので、工作室に寄って、いろいろな資料を読んで勉強していた。


 しかし、時間とともに工作室で作業する仲間の人数が増えてゆき、ヒメは肩身が狭くなって、廊下に出てきた。


(はぁ~何かすること、すること~。じっとしてると、昨日のゴタゴタや不安を思い出しちゃうから、何かしてたいよ)


 人づてに頼んで、王から暇を解除してもらったヒメは、もう一度お弁当作りの当番を回してもらった。


 厨房で割り当てられたヒメの役割は、昨日と同じで豆をる係。


 かまどまきをくべて、火を起こして、フライパンで豆を乾煎からいりしてゆく。

 黙々と、淡々と。


 フライパンを傾けて、たいらで大きな皿にカラコロと移す。

 豆を冷ますために。


(ああ、単調な作業って安心する……。絶対に失敗しないし、頭をからっぽにしててもできるから)


 作業に没頭できる環境が、今はありがたかった。


 ヒメは再びフライパンに生の豆を投入して、カラカラと煎ってゆく。


「ヒメさん、ヒメさん」


 この声は。

 ヒメはフライパンを火から下ろして、片手に持っていたヘラも置いてから振り向いた。


 黒装束の目元をゆるめて、三男がヒメを見上げる姿勢で立っていた。

 戦闘訓練が終わったのか、さやに収まったシミターを背負っている。

 小柄な彼に、鞘を固定するごついベルトが不釣ふづいであった。


「今日はヒメさんの当番だっけ?」


「違うけど、どうにも一人でじっとできなくって、特別に仕事をもらったんだ。三男さんは、まさかサボリ?」


 ヒメがなかば冗談で尋ねた。

 三男はヒメの剣技の師匠であり、訓練をさせてもらえずねていたヒメに、声をかけてくれて以来、週に二回、こっそり屋上おくじょうの訓練場で、稽古けいこを付けてもらっている。


 そんな三男自身も、訓練の時間を何よりも楽しみにしていた。


「サボるわけねーだろ。俺の趣味の時間なんだしさ。それに訓練には親父が立って、訓練用の人形を召喚してるから、誰もサボれねーよ。今は俺の番が終わったから、休憩もねて、つまみ食いに来た」


「え?」


 三男がヒメの横にさっと並んで、皿の上で冷ましていた豆を、ガバッと一掴みで持っていった。


「うわっ、ちょっと!」


 うろこで守られた三男の指は、熱い物でも平気で掴む。

 さらに黒い布をずらして、口に放り入れてザリザリと音を立てて咀嚼そしゃくする三男に、ヒメは呆気に取られていた。


「ヒメさん、昨日は兄貴といろいろあったんだろ?」


 三男はネイルのことを兄さんと呼ぶから、兄貴呼びは次男ガブリエルのことだ。


 ヒメの青い目が、右往左往する。

 せっかく単調作業で、落ち着いてきたのに。


「ああ、うん、あった、かな……」


「しかも晩メシ抜いたんだって? 兄貴と話してて疲れたんだろ。ヒメさんにも繊細せんさいなとこがあったんだなぁ」


「……」


 いったいどこから情報が漏れるのか、竜の巣ではヒメの行動は筒抜けだった。


 三男が大あくびして、大きな金色の目をこする。


「俺も昨日は仕事が長引いて、ヒメさんと話ができなかったや。部屋の窓を開けたら、ヒメさん爆睡してたし」


「また窓開けたの!? あーのーねー!」


「なあヒメさん、兄貴が話す言葉、信じる気か?」


 急に三男の口調が真面目に変わって、ヒメはギョッとした。

 三男が昨日したかった話とは、ガビィのことなのだと察した。


「やめとけよ。兄貴はエメロ国でなにかあったみたいで、ヘンになってるんだ。以前は、俺たちと変わらないヤツだったのに、急に顔なんかさらしてさ」


「そうだったんだ、以前は、私たちと同じ価値観だったんだね。じゃあ、もう別人みたいになっちゃったんだ……」


「きっとエメロ国は怖いところだぜ。ヒメさんも兄貴の言うこと、信じちゃダメだ」


 同じ仲間で、兄弟なのに、ばっさり切り捨てるような発言。

 ヒメはちょっと賛同しかねた。


「いったい何があったのか、次男さんに聞いてみようよ」


「とっくに兄さんが問いただしたよ。兄貴は、エメロ国と竜の巣の、橋渡しをする気なんだとさ。詳しい話は、俺もよく知らないけど、ハァ~、なーに考えてんだかな~、兄貴のヤツ」


「橋渡し……?」


 ヒメは、ガビィが王に話していた内容を思い出した。


『竜の巣のためを思うならば、エメロとのきずなを今後とも深めてゆくのが得策とくさくだと、俺は思う』


 彼はおのれの信念のもと、エメロ国の価値観を取り入れ、単身で王の前に参上したのではないか。


(だとしたら、なんて勇敢な人なんだろう……。竜の巣で孤立しちゃうのが気の毒だよ。私に、なにかできないかな。豆をカラカラしてる場合じゃないかも)


 そのわずかな思案のすきに、三男がフライパンへさっと手を伸ばして、豆を一掴み。


「あ! ちょっと!」


「俺、寝坊しちゃって、朝メシ食ってないんだわ~」


 ザリザリと豆を食べながら、三男がまたフライパンに手を伸ばすのを、ヒメはフライパンを持ち上げて阻止そしした。


「食べちゃダメ! これノルマがあるんだから! 減った分、また煎らなきゃならないでしょ!」


「ケチー!!! 食いもんは食うためにあるんだろー」


 背伸びして手をのばす三男を、ヒメがさらに背伸びしてフライパンを頭上にかかげる。


「寝坊するのが悪いんですー。お昼ごはんまで待ってなさい」


「ブーブー!! あともう一口だけー!!」


「だーめ!」


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