第9話   ここから、出るということ

 ヒメは顔の覆いを取らないまま、自室の鏡をじっと見つめていた。

(エメロ国では、素顔をさらして、名前を呼び合うのが当たり前……うぅ)

 何度想像してみても、自分が顔の覆いを取って、人前に出るなんて、


(は、恥ずかしい!)


 ヒメは黒い布越しに、顔を両手で覆った。


(エメロ国に行くの本当にや~だ~!! 素顔を出したり、裸みたいな恰好をしたり、名前を呼び合ったり、愛称あいしょうを、挨拶あいさつみたいに呼び交わすのが当たり前だったり……、うわあああ! 無理だよぉ! でもガブリエルさんの前で失敗はしたくないし~!)


 部屋の扉が外からコンコンと叩かれた。


「ヒメ様ー、いっしょに食堂に行きませんかー」


 ヒメはハッと顔を上げた。

(そうだ、美味しいモノ食べたら、きっと気分も変わるよ。うん、そうだそうだ、食堂に行こう!)


 ヒメは鏡から離れると、廊下へつながる扉の取っ手に、手を伸ばした。

 けれど、躊躇ちゅうちょするかのように、手が止まってしまった。


(あれ? どうしたんだろ、私……ちっとも食べたいって思えない。食べることは生きるための基本だって授業で習ったのに、どうしても今、一人になりたい……)


 ヒメは戸惑とまどい、扉しに、食欲がないことを少女たちに伝えた。


「ええ!? ヒメ様、大丈夫なのですか!?」


「うん……ごめんね、せっかく来てくれたのに。食堂のおじちゃんに、食べられなくてごめんなさいって伝言、頼めるかな」


「はい、承りました。ヒメ様、なんだか声に元気がありませんね。ゆっくり休んでください」


 少女たちはそれぞれ、ヒメを気遣う優しい言葉をかけた後、食堂へ向かっていった。


 部屋で一人になったヒメは、生まれて初めて食欲を失ってしまった自分に、戸惑っていた。


「どうしよう、なんで……? 自分で自分が、わかんない……。こんな調子で、エメロ国に行って、うまく仕事がこなせるかな……。どうしよう、ぜんぜん自信ない……」


 素顔を出したり、裸みたいな恰好をしたり、名前を呼び合ったり、愛称を挨拶みたいに呼び交わす練習をしなければならない、しなければならないとあせれば焦るほど、ヒメはだんだん涙がにじんできた。


 泣きだす前に、ベットに飛びこんで毛布もうふにもぐった。


(竜の巣から出て、別の価値観の国に行くのが怖い。でも私、このままずっと役立たずじゃヤだ! もっといろんなことが、わかるようになりたい。いろんなことが知りたい。どんな任務もこなせるように、強くなりたい。でも、怖い! ヤダ! 恥ずかしい! エメロ国の価値観に合わせられる自信なんてない!)


 ヒメは急激な板挟いたばさみに、呼吸が思うようにできなくなった。


 まぶたをぎゅっと閉じても、よどんだ謁見えっけんの空気を一瞬で変えてしまった、あの真っ赤な髪の青年の、燃えるような両目と目が合って、毛布をぐっしゃぐしゃに握りしめて身もだえた。


「私……私、がんばる!」


 まくらを相手に決意して、ボスッと顔をうずめた。

 いろいろあって驚いたせいか、すぐに寝入ってしまった。


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