第8話 竜の巣の侍女
ガビィと別れたヒメは、自身の胸に手を当てながら、物憂げに廊下を歩いていた。
石造りの廊下は、まるで芋虫が食べ進んだ果物だ。竜の巣はとてつもなく巨大な岩を、皆で削って住んでいる。
だから、一人になれる場所は
「ヒメ様!」
目の辺りを除いて全身黒装束の女性が、駆けつけてきた。小柄で胸がかなり大きく、ヒメの横に並んで歩くだけでも、すごく揺れていた。
「大丈夫ですか? びっくりしましたよね」
「ああ、あなたもあの場にいたんだね」
彼女は、侍女のようだった。ヒメは初めから事のあらましを説明する手間が省けて、ほっとした。
「びっくりしたよねぇ、あんな色のお召し物、初めて見た。キレイだったね」
「まさか! 黒以外の色を誉めてはなりませんよ、ヒメ様。着飾りは、闇へ紛れる者にとっては敵です。授業で習いましたでしょ?」
「でも、それは夜や夕闇に紛れるときだけだよね?」
反論したら、すごい目で睨まれた。
「ヒメ様、あなたが処刑台に立たされても、わたくしは庇ってあげられないのです」
「ごめん、変なこと言って」
「それと、次男の王子様の話題は、頻繁にしないほうが良いですよ。彼はヒメ様の
「そ、そうなの? 長男さんと三男さんは、気にしないと思うけど」
ガビィが候補に入っていない……言われてヒメは、王の言葉を思い出した。
『王子二人のどちらかを選び、共に竜の巣の未来を
王は最初から、一人
(もしかしてガブリエルさんは、私と同じで、体に一枚も
たったそれだけで、候補者から外されてしまったという可能性は、充分に考えられた。
(私も以前は、自分に鱗がないことを悩んでた。でも今は、鱗が無くても堂々としていたあなたに会えたから、ほんのちょっぴりだけど、平気になったんだよ。だから……えっと……その……、って、なんで私がこんなこと考えてるの!? なにしてんの私!)
ヒメは彼の素顔を思い出して、黒い覆いの下で赤面した。
「ね、ねえ! きみは次男の王子様が、あんな顔をしてたって知ってた!?」
「いいえ。わたくしがお顔を見たのは、今日が初めてです」
「あ、そ、そうなんだ。あ、でも、彼の奥さんたちは、彼の素顔を見たことがあるかもしれないね」
「奥様がいるという話は、聞いたことがございませんが……」
「え? え? いないの? 珍しいね、竜の巣の男性が独身なんて」
「……ヒメ様、これ以上は、次男の王子様を話題にするのはやめましょう。命がいくつあっても足りませんもの」
本気で嫌がっている侍女に、ヒメは観念して「うん……」と生返事した。
夜盗、書類偽造、変装、暗殺、身分の高い人の誘拐などなど、危ない仕事ばかりやっている一族だから、統率力や協調性を削ぐような
その輩に加担する気配を、見せる者も。
(ガブリエルさんの話題を嫌がる彼女の気持ち、わからなくもないけど……)
それでも、少しでも情報を得て、混乱している自分を落ち着かせたかった。
今日はもう、いろいろと、アレだったから。
「きみは、
「はい」
「誰と結婚してるの?」
「王様のご子息、長男のネイルさんとです。三ヵ月前に、赤ちゃんが産まれました」
「ああ、今朝聞こえた声は、きみだったのか。あなたー、って聞こえた」
すると侍女の目元が、幸せにほころんだ。
「ふふ、お恥ずかしいですわ。ネイルさんが多忙なのは重々承知しているのですが、つい頼ってしまって」
「長男さんはしっかりしてるから、頼っていいと思うよ」
「……そう言ってくださると、肩の荷が下ります」
侍女のため息には、疲労が混じっていた。
彼の立場を考えると、頼っちゃダメな気がするのは、この侍女だけではない。
ヒメも、いろいろと相談事があるけれど、後回しでも良いと思えるくらい、ネイルはめったに手が
「元気な男の子が産まれたのは、とっても幸せなのですが、大変なお父さんっ子で、わたくしよりも主人に懐いております。お乳を飲ませた後、ぐっすり眠ってくれたので、今は手の空いている者に、子守りをお願いしております」
お母さんは大変である。ヒメはそんな彼女が、容赦なく王の雑務に駆り出されているのが気の毒に思えてきた。本当は赤ちゃんにつきっきりで、お世話してあげたいはず。
でも、誰も王には逆らえない。
「王様、怖いよね。何を考えているのか、わかんないや。最近は、すぐ処刑するしさ」
「そうですねぇ。お歳ですから、気が
「いいえ、なんでもありません」
「私がどうかしたの?」
「ええ、まあ……」
侍女は再び辺りを見回した。すっかり怯えている。
(もしも私が結婚したら、彼女のような気持ちになりながら生活するんだろうな……)
ヒメはそれを
そのような生活しか用意されていないのだと、教えられてきたから。
『竜の巣の王にとって、俺はまだ利用価値がある。……少々の無礼では、殺されはしない』
彼はどうしてあんな危ないことをしてまで、自分に新しい世界を、教えようとするのだろうか。
ヒメには、困ってしまう事態だった。
へこんだ扉が見えてきた。
「あ、ここが私の部屋なんだ。ついて来てくれて、ありがとね」
「はい。では、わたくしは息子を迎えに行きますので、これで」
侍女は黒い覆面部分の目だけを細めて、去っていった。
彼女が王の命令で、ヒメが変な行動を起こさないよう見張っていたなんて、想像もしていないヒメだった。
一人になった侍女は、後ろを振り向いた。
夫ネイルの命令だろう、ずっと後ろから部下の一人が静かに付いてくる。
変に立ち止まっては不自然だから、そのまま追い抜いてもらった。
「王様もうちの人も、何をお考えかさっぱりですね」
「そうですね」
追い抜かれ
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