第154話

「突然押し掛けて申し訳ありません。今、ご自宅に蒼子さんはいらっしゃいますでしょうか?」


「蒼子……? まだ、帰ってきていないが。……今日は文化祭だと聞いている。もう終わったのか?」


「いいえ。実は、文化祭の最中に蒼子さんの姿が見当たらなくなったんです。てっきり、体調を崩して家に帰ったのかと思っていたんですが……どうやら違ったようです」


そんな俺の話を聞いて、彼、白月蒼子の父親は、遠目でも分かるほどに眉をひそめた。



「……蒼子に、何かあったのか?」


その声に、小さな棘のようなものが生えているのが窺える。

俺は少し沈黙を挟んだ後で、それに答えた。



「……いえ。心配されるようなことは何も。きっと、文化祭で使用する食材の買い出しにでも出かけたんでしょう。お休みのところ、すみませんでした」


真実を話せば、まず間違いなく彼は取り乱すだろう。そうなられては困る。


仮に白月を見つけ出し、いつも通りの日常に戻すことができたとしても、彼が白月の行動を知れば、思い出したくもないあの夜のような出来事が再び起こるかも知れない。


それはダメだ。解決するどころか、状況が悪化してしまう。


だから、俺はそれを悟られないようにと、必死に嘘を並べた。



そうして今一度頭を深く下げ、踵を返そうとしていると、「待ちなさい」と背中に声をかけられた。


俺はピタリと足を止め、ゆっくりと後ろを振り返って尋ねる。



「何か?」


すると彼は、白月と同じ凍てつくような冷たく鋭い瞳を足元に向け、呟くように口を開いた。



「……あの日からずっと、君に言わなければと思っていた」


「一体何を……」


態度の変わりように、思わず戸惑う。

それから彼はゆっくりと頭を下げ、およそ予想もしていなかった言葉を口にした。



「……すまなかった。そして、ありがとう」


「えっ?」


「あの日、君には随分と酷いことを言ってしまった。今更ではあるが、どうか許してほしい」


思わず硬直してしまった俺に向かって、彼は言葉を続ける。



「私は今まで、あの子に誰よりも幸せになってもらいたいと思い、厳しく接してきた。あの子は、他の子には無い才能を沢山持っている。私は、それがいつか必ずあの子の力になると信じて、その才能を磨くことを強要してきた。……今では、それがどれだけ馬鹿げた考えだったのか、よく理解している」


俺は訥々と話を続ける彼に、静かに耳を傾ける。



「そして、それを教えてくれたのは君だ。……あの後、蒼子が私の元へやってきて言ったんだ。『どうか、私にもう少しだけ自由をください。自分が本当にやりたいこと、叶えたいことを探す時間をください』と。

……私は、自分でも物分かりのいい方だとは思っていない。だから、あの子にそう懇願された時も、素直に『分かった』と言えずに、くだらない条件なんてものを課してしまった。……全く、馬鹿な父親だよ」


そう言って、彼は苦笑いを浮かべる。



「蒼子はね、私があの子の才能に固執し出した時から、一切わがままも頼み事もしなくなったんだ。……そんな蒼子が、私に頭を下げてまで自分の想いを口にした。素直に驚いたよ。


きっと、蒼子が変われたのは君のお陰なんだろう。……本当にありがとう」


そう言って、先程よりも深く頭を下げる白月の父親の姿を見て、俺の中で彼に対する印象が大きく変わった。



彼は親である以前に、1人の人間だ。

そして、俺と同じ凡人でもある。


何が正しくて、何が間違っているのかなんて自分1人では判断のつけようがなくて、人知れず悩み、日々葛藤を繰り返しているのだ。



俺はずっと、白月の父親は実は白月のことを愛していないんじゃないかと疑っていた。


彼女は愛を知らずに育ったがために、あんなにも冷たい瞳をしているのだと、そんなことを思っていた。



けれど、それは違った。


彼は間違いなく彼女を、自分の娘を心から愛している。ただ、愛情のかけ方が少し歪んでいただけなのだ。


そのことに彼自身が気付けたなら、もう何も心配はいらないだろう。



「どうか——」


最後まで話を聞いて、自分の中で考えを整理していると、白月の父親がそう呟いた。



「どうか、あの子が何かに怯え、困っている時には手を差し伸べてやってほしい。全く無責任な父親だと、笑われるかも知れない。……それでも娘を、蒼子を、よろしく頼む」


俺は何だか少し嬉しそうな、けれど少し寂しそうな、そんな表情を浮かべる白月の父親を見て、薄らと口元に笑みを浮かべる。


そして、迷いのない返事をはっきりと口にした。

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