第141話

——やっぱり、彼は優しい。



1人きりになった教室で、私はそんな事を思っていた。


彼は、両親や教師すら知らない私の弱さを唯一知っている。だから、あれだけ私の身を案じ、気にかけてくれる。


そんな彼にあんな言葉をかけられてしまったら、思わず何もかも吐き出して、縋り付いてしまいそうになる。きっと今、全てを話せば、彼は本当に私と共に悩み、迷い、そして抱えている問題を解決してくれるだろう。


……けれど、それは出来ない。


何故なら、彼に依存すればするほど、彼が私から離れていってしまった時、それだけ痛みが強く、大きくなるということを理解しているから。


私は、彼に嫌われてしまうことが、何よりも怖い。


……『天才』を嫌悪している彼に、私という『個人』を嫌悪されることが、怖くてたまらないのだ。


人生において、相手との関係が必ずしも一生続くなんて言い切ることは出来ない。

どんなにお互いを理解し、尊重し合っていたとしても、ほんの些細なことでその関係が綻び、崩れ去ってしまうこともある。


ましてや、彼と私は『凡人』と『天才』。

最初から対等の関係ではないのだ。


それを続けていくということは、それだけ関係が壊れるリスクも大きいということを意味する。


そこまで考えて、私は先程柏城くんが言った言葉を思い返す。



『どんなに絆が深かろうが、想いが強かろうが、所詮「天才」と「凡人」は分かり合えねェんだ。それを無理に分かり合おうとすれば、必ず歪みが生じる。結果として「凡人」側の奴らは、お前の才能に嫉妬し、絶望し、次第に嫌悪感を抱くことになるんだ』



冷静になって考えてみると、彼が発したその言葉は的を得ていた。


今まで彼らと過ごしてきた日々は、奇跡のようなものだったのだ。それを私は自分でも気づかないうちに、「普通だ」と勝手に思い込んでしまっていた。


そんな『普通』、私なんかの手に入るわけもないのに……。



彼らには彼らの日常があり、普通が存在する。そこに私のような異分子が混ざり合ってしまえば、本当に彼らの人生を壊してしまうかもしれない。


そうなる前に、私は自分が元いた場所に戻らなければならない。


……彼らと出会う前の私に、戻らなくてはならないのだ。




私は喧騒が轟く教室で1人、静かにそう決意した——。

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