第125話

白月と別れて2年生教室が並ぶ東棟2階へやってくると、俺たち2組の教室からクレープを手にした若い客が出てくるのが見えた。

出て行く客と入れ替わりで教室に入ると、教室内には予想していた以上の一般客が集まっていて、その半数以上は男子たちの目論見通り女性客のようだった。


俺は客が並んで出来た列を眺めつつ、机を並べてできたカウンターの裏から調理場へと入り、クレープの生地を作っていたクラスの男子に声をかける。



「それ、代わるぞ」


「おっ、サンキュー。プレートに生地流して焼くだけだから案外楽だぜ。何かあればそこらへんの女子にでも聞いてくれ。んじゃ、よろしく」


そう言って、それまで生地を作っていた男子生徒は、つけていたエプロンを脱いでこちらに手渡し、廊下で待っていた友人たちと合流して、そそくさとどこかへ行ってしまった。



……まぁ、とりあえずやってみるか。



俺は手渡されたエプロンを身につけると、ボウルに入った液状の生地を杓子で掬い、言われた通り熱せられたプレートへゆっくりと生地を流し込んだ。


***


彼と別れた後、私は1人で校内を見て周ることにした。


学校がこんなにも賑やかになることなんて、1年でも文化祭の2日間しかないだろう。廊下を歩けば、他校の制服を着た生徒とすれ違い、教室に入れば和気藹々と楽しげに級友たちと会話する本校の生徒の姿が見て取れる。


そんな彼らの表情を見て、私は1年前の文化祭をふと思い出した。



当時の私には友人と呼べる友人はおらず、天文部の活動展示会場になった教室から、遠くの賑やかな笑い声を聴くことしか、これといってすることがなかった。


あの頃の私は、文化祭が楽しいものだなんて思ってすらいなかった。

私の中での文化祭は、せいぜい “授業のない登校日” くらいの感覚でしかなかった。



私が今、こうして文化祭を楽しめているのは、間違いなく彼との関係に変化があったからだろう。


人は、たった1年でこんなにも変わることが出来る。


その事実は『普通』とは異なる私にとって、何よりも喜ばしいものだった。



しかし、それでもやっぱり、こうして1人でいると嫌でも人の目を集めてしまう。そこは何年経っても変わることはない。


けれど、これにももうすっかり慣れてしまった。


他人から沢山の視線を浴びせられることにも、1人では抱えきれない感情を向けられることにも、慣れてしまった。



だから、私は大丈夫。



そう自分自身に言い聞かせるようにして、私は笑顔と賑やかな笑い声で彩られた校内をゆっくりと歩いていく。



そうして、私の知らない世界の扉を叩いて開けるように1つ1つの教室を覗いて周ったあと、私は『天文部 自作プラネタリウム』の看板が立て掛けてある教室の前で立ち止まり、ポケットにしまっておいた鍵で教室の扉を開けた。


ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、教室内にはまだ沢山の人の気配が残っていた。あと数十分もすれば、また沢山の人でこの教室は埋め尽くされる。


私は自分の胸が静かに高鳴るのを感じながら教室の扉をそっと閉めると、壁に沿うようにして、自分たちで撮影した天体写真をもう一度よく見ていく。


壁や黒板に貼られたその1枚1枚を瞳に映していくたびに、あの日の光景が記憶として蘇る。


皇くんと、葉原さんと、私。

3人で屋上から見上げたあの夏の夜空は、きっと5年経っても、10年経っても、私の記憶に残り続けるだろう。


今だって、指先でそっと写真に触れれば、あの日の空気の匂いだって思い出すことができる。


それだけ、彼らと共に過ごす時間は私の中で特別なものになっているのだ。



全ては長い1本の糸で繋がっている。


時には縒れたり、絡まったりすることもあるけれど、それは最初から最後まで、始まりから終わりまでしっかりと繋がっている。


だからきっと、こうして今があるのも奇跡や偶然なんかじゃない。


彼と出逢った時、すでに全ては決まっていたのかもしれない。



人はこれを『運命』なんて呼ぶけれど、この糸が途切れることなく、これから先の未来へ続いていけばいいと、私は写真の中の流れ星に向かって静かに願った。



——そんな時だった。



「……何だ? 幸せに満たされてるみたいな顔しやがって。そんなにいいことあったのか? なぁ……」



突然、 扉が開いたと思えば、外から1人の男子生徒がやってきて、私に向かってそう口を開いた。

その男子生徒は私のよく知る人物で、あの日と同じ、化け物でも見るかのような侮蔑の眼差しをこちらに向けていた。



「……かし……わぎくん……」


彼のその目を見た途端、急に息が苦しくなり、私は掠れるようにそう声を洩らした。

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