第57話

葉原と天文部入部に関する話をしてから、2日が経った水曜日の放課後。俺は教室で下校の支度をする白月を連れて、西棟3階にある天文部の部室へと向かった。


中間テストが終了したことにより、校内では再び体操服やユニフォームに着替えて部活動に勤しむ生徒の姿が見られ始め、西棟3階に建ち並ぶ文化部の部室や東棟にある音楽室からも、大会やコンクールに向けての練習に取り組む部員たちの様子がひしひしと伝わってくるようになった。


そんないつも通りの日常を取り戻した校内の雰囲気を肌で感じながら、俺たちは西棟3階の一番奥に位置する天文部の部室へとやってきた。



「それにしても皇の方から話しかけてくるなんて珍しいこともあるものね。先日お家にお邪魔したことで、皇くんの中で何か変化でもあったのかしら?」


白月はここに来る途中、職員室で拝借した部室の鍵をドアノブの鍵穴に差し込みながら尋ねてくる。



「ねぇよ。強いて言うなら、お前のウザさを再認識したくらいだな」


「あら。せっかく意気消沈ネガティブモードになった皇くんを助けてあげたっていうのに感謝の言葉もないなんて、全く礼儀がなってないわね。一から躾け直さないとダメかしら」


「一からも何も、お前に躾けられた記憶はないんだが」



そんな話をしているうちに部室の扉はカチャリという音を立てて解錠し、白月は鍵を制服のポケットにしまい込むと、ドアノブをくるりと回して部室の中へと足を踏み入れた。


俺も白月に続いて部室に入るが、この部屋に来るのも久し振りだったせいか、やけに埃っぽく感じる。


けほけほと軽く咳をしながら、部屋の中央に設置されている木製テーブルの上に鞄を置くと、閉め切られたカーテンを勢いよく開いた白月が一息ついてから疑問を口にした。



「それで、私をここへ呼び出した理由は一体なんなのかしら」


俺は赤錆の目立つパイプ椅子に深く腰掛けながら、その問いに答える。



「今からここに新入部員がやって来る」


「…………は?」


「だからお前にはこれから、その新入部員の相手をしてもらう」


窓硝子に背を向けて立つ白月は、理解が追いついていないといった様子で瞳を大きく開くと、ぱちくりと数回瞬きを繰り返した。



***



時は少し遡り、俺が今朝学校に登校してきてすぐのこと。昇降口で靴を履き替え、2年2組教室へと向かうと、教室の前で不審な動きをしている生徒を発見した。スカートを校則で指定されている長さよりも少し短めに履き、ウェーブのかかった綺麗な栗色の髪をゆさゆさと揺らしながら、盗み見るように教室内の様子を眺めている。


あいにく、俺はその生徒が誰なのかよく知っていたし、どうして彼女がこの教室の前にいるのかも大体の予想がついていたため、躊躇わずに声をかけた。



「おはよう、葉原」


「うわぁ!? ……って、晴人くんかぁ。びっくりしたぁ」


「いや、驚きすぎだろ」


「急に後ろから声かけられれば、誰だって驚くよぉ!」


葉原はこちらを振り向いてそういうと、むくれたように頬を膨らませた。


俺はそんな、思わずニヤついてしまいそうになるほど可愛らしい葉原のしかめっ面を眺めながら尋ねる。



「で、俺に何か用か?」


すると葉原は本来の目的を思い出したかのように「あー、そうそう」と両手を合わせると、いつものおっとりとした朗らかな表情に戻って話し始めた。



「この前晴人くんから貰った入部届け、ちゃんと提出しておいたよ。それで、今日から正式な天文部員として活動させてもらうことになったから、放課後天文部の部室に挨拶に行くことにしたの」


葉原は続ける。



「ところで晴人くん、唯一の天文部員さんとお知り合いなんでしょ?」


「まぁ、そうだな」


「じゃあさ……悪いんだけど、私が放課後挨拶に行くってこと伝えておいて貰えない? それと、出来れば晴人くんも一緒に来て欲しいんだけど、ダメ……かな?」


葉原はそう言って、捨て犬のような目をこちらに向けてくる。



確かに、誰かもよく知らない人物と狭い空間で向かい合って会話するというのは、少なからず不安を感じるだろう。ましてや、入学して間もない1年生ともなればなおさらだ。



……まぁ伝えてないだけで、お互い何度も顔を合わせて話をしている仲なんだけどな。



と、そんなことを考えながら、ただでさえ小さな体を不安でさらに縮こませる葉原に向かって答える。



「あぁ、いいよ。分かった」


すると葉原はホッと安堵の表情を浮かべて、こちらが思わず仰け反ってしまうほどに顔を前に突き出してきた。



「ありがとー! 助かるよぉ〜」


「まぁ、部に誘ったのは俺の方だしな。最後まで付き合ってやるよ」


実のところ、天文部の部室には個人的に用があったため、葉原に頼まれようが頼まれまいが行く予定ではあった。しかし、ここは『嫌な顔一つせず、後輩のお願いを聞いてくれる頼れる先輩』を演じて、少しでも葉原からの好感度を上げておいた方がいいだろう……などと、先輩にあるまじき姑息な考えを巡らせつつ答えると、葉原はそんな俺から視線を逸らして柔らかく微笑み、ポツリと呟いた。



「……晴人くん、やっぱり優しいよ」


何というか、面と向かってそんなことを言われると、照れ臭さと葉原を騙しているような罪悪感に苛まれてこの場から逃げ出したくなってしまう。

だから俺は、誤魔化すように冗談めかして葉原に言葉を返す。



「まぁ…… “先輩” だからな」



そんな話を交わしているうちに、2年2組教室にも続々と生徒がやって来る時間になった。葉原は始業のチャイムが近づくにつれて徐々に騒がしくなって行く廊下に目をやると、


「それじゃあ、放課後よろしくね!」


とだけ言い残して、足早に2年2組教室の前から去って行った。

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