第56話

「おはよう、葉原」


「あっ、うん。おはよ……」


登校してきたばかりの葉原に朝の挨拶をしただけなのだが、なぜか目を逸らされてしまった。


すると、葉原と共に登校してきたであろう2名の女子生徒が、何やら葉原の耳元でボソボソと囁き出した。



「ねぇねぇ! ゆうの言ってた『ハルトくん』って、もしかしてこの人!? 」


「……う、うん」


染めているのか、それとも遺伝なのか、薄く茶色みがかった長い髪を桜色のリボンで左右にまとめた女子高生感満載、雰囲気明るめの女子生徒の問いかけに、葉原が小さく頷く。


それ続けて、そのツインテ少女とは反対側で葉原を挟むようにして立つ、比較的大人しめに見える黒髪セミロングの女子生徒が、同じように葉原に向かって囁く。



「ひょっとして、夕ちゃんのこと待ってたんじゃないかな? 朝からラッキーだね」


そう言って2人は、真ん中に立つ葉原にニヤニヤとした笑みを向けながら、肘で軽く小突いてみたり、寄り添うように肩を当ててみたりを繰り返す。


それに対して葉原は、あわあわと忙しなく手を動かしながら、2人に向かって口を開く。



「ちょっとぉ! 美結みゆちゃんもれいちゃんも声大きいよぉ! 」


どちらが『美結ちゃん』でどちらが『玲ちゃん』かは知らないが、確かに会話がダダ漏れだ。なんだか、この2人はわざと俺に聞こえるように囁いているようにも思える。


その光景を『朝から元気がいいなぁ、最近の女子高生は』などと思ってしばらく傍観していると、それまで葉原にちょっかいを出していた2人は一瞬俺の表情を窺い、場の空気を読んだのか「それじゃー、教室で待ってるねー」とだけ言い残して教室へと入っていった。



「…………」


「…………」


廊下には俺と葉原の2人だけが取り残され、さっきまでの賑やかさが嘘のように静まり返る。2人が入っていった教室の方からは「おはよー」だの「課題やってきた?」だの「ウチ、やってない。マジヤバみ」だのと声が聞こえてくる。


どう話を切り出すかを考えながら、賑やかな笑い声の響く教室の方に耳を傾けていると、正面に立って俯く葉原が「あの……」と恐る恐る尋ねてきた。



「……もしかして、さっきの聞こえてた?」


「うん? あぁ……聞こえてたけど」


「っ……! あれ気にしないでいいからっ!! もうマジで! 全然どうでもいい話だし忘れてもらって大丈夫だからっ! ってゆーか、忘れて!! 」


「あっ、はい」


早口でまくしたてるように話す葉原に気圧されて、思わず丁寧語になってしまった。


葉原は興奮して上がった体温を下げようと、ほんのり桜色に上気した顔を手でパタパタと仰ぎ出す。俺はその様子を眺めながら、ようやく本題について話を切り出した。



「なぁ、葉原」


「な、なに!?」


「お前、もう部活って決まったか?」


「えっ……?」


葉原は一度顔を仰ぐ手を止めて聞き返す。



「いや、この前コンビニから一緒に帰った時、『部活はしてみたいけど、いまいちやりたい部活が見つからない』みたいなこと言ってたろ?」


「うん……。 実はテスト終わってから、もう一度いろんな部活の見学に行ってみたんだけど、やっぱりあんまりいいのがなくてねー。……で、それがどうかしたの?」


それを聞いた俺は、口の端を少し上げてから葉原に尋ねる。



「葉原さぁ、天文学って興味ないか? ……ほら、小中学校の時、よく理科の先生と星の話やら宇宙の話して盛り上がってたろ? 」


俺がそう尋ねてみると、葉原は目の色を変えてその話題に飛びついてきた。



「うん!! あるよ! あるある! もしかして、この学校に天文部あるの!? 」


「あぁ」


俺は続ける。



「……それで提案なんだが、新しい天文部員として天文部に入部してくれないか? 実は今、部員が1名だけで廃部の危機らしいんだよ」


葉原にそう告げると、答えは1秒もせずに返ってきた。



「やる! 入るよ! 天文部 」


ぐいっと前のめりになって答える葉原の瞳には、宇宙そらに浮かぶ無数の星々が散りばめられたかのような、強く繊細な輝きが映し出されていた。


まぁ、想定通りの結果とは言っても、やはりホッとする。これで白月と交わした約束のは達成できたわけだ。


俺は安堵の息を短く吐き、葉原に向かって口を開く。



「そうか。それは良かった。それじゃあ、これ渡しておくから、出来れば放課後までにそれ記入して担任の先生にでも提出しといてくれ」


そう言って制服のポケットから4つに折った紙切れを取り出すと、それを葉原に手渡した。



「あー、入部届けね。分かった! 放課後までに提出しておくよ。……ところで、天文部の部室ってどこにあるの?」


「3階西棟、一番奥の部屋。部屋の上にちゃんと天文部のプレート貼ってあるから、行けば分かる」


「ふーん、とりあえず了解! 一応、顧問の先生とか部長とかに挨拶って行っといた方がいいのかな? ……ってゆーか、その唯一の天文部員さんって、一体誰なの?」


葉原が尋ねてきたのはもっともな質問だ。

けれど、教える必要はない。


俺はニヤリと口元に笑みを浮かべて、その質問に答える。



「いや、大丈夫だ。……それに、唯一の部員についても部室に行けば、きっとすぐに分かる」


葉原は俺の言葉の意味が、いまいちピンときていないらしく、眉を寄せながら首を傾げる。


と、そんなやり取りをしている間にも時計の針は刻々と進み、昇降口からは学年問わず多くの生徒が押し寄せて来た。あと10分もすれば始業のチャイムが校内に鳴り響く。俺もそろそろ自分の教室に戻らなければならない時間だ。



「まぁ、そういうわけだから。もし何かあったら、遠慮せずに2年2組教室まで来いよ」


「あ、うん、わかった。……わざわざ、誘いに来てくれてありがとね」


「おう。こっちこそサンキューな」


そう言って葉原に感謝の言葉を送ると、まるで蕩けたチーズのような笑みを浮かべながら「いえいえー」と手を振ってきた。


俺はそれに応えるように軽く手を上げると、各自の教室に向かって廊下を闊歩する生徒たちの波に乗りながら、1年4組の教室を後にした。

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