第54話

気がつけばとっくに手足の震えは止まっていて、肩に入った力も抜けていた。



「ようやく、いつもの皇くんに戻ったみたいね。あー、良かった良かった。全く手のかかる子だこと。今回は借りがあったから少し優しくしてあげたけれど、今後はあまり私の手を煩わせないでちょうだいね」


そう言って、したり顔を向けてくる白月のウザさと言ったら普段の比じゃない。


俺はそんな白月に向かって口を開く。



「今後一切、お前の手を借りることなんてねぇから安心しとけ。ってか、そのドヤ顔ムカつくからやめろ」


「はいはい、分かった分かった」


白月はそう言って俺の言葉をサラリと受け流すと、「そういえば……」と続けて話を切り出した。



「……例の約束はどうするの?」


「約束?」


「ほら、勝った方の言うことを1つだけ聞くっていう……」


「あぁ……」


そんな約束もしてたな……そう言えば。

こいつのことだから、無理難題を提示してきそうな予感もするが勝負は勝負、約束は約束だ。ここは大人しく引き受けておこう。



「聞いてやるよ。なんでも1つだけ」


そう言うと白月は、今まで膝の上に置いていた手を急にそわそわと動かし始めた。



「そう……えっと、それじゃあ言うけれど……」


一体何をお願いされるのか。

漠然とした不安感と緊張が静かに押し寄せる。


すると白月は、口を小さく開いてぼそぼそと何かを呟いた。



「………………ほしい」


「は?」


「………が………ほしい……」


声が小さすぎて何を言ってるのか全く聞き取れない。さっきまでの威勢は一体どこへ行ったんだ。



「全然聞こえねぇよ。もっとハキハキ喋れ」


「っ……! だから……!!」


白月は若干腹を立てた様子で声のボリュームを上げる。



そして——



「…………部員が……欲しい……」


白月は蚊の鳴くような声で確かにそう呟いた。



「……は? 部員? 天文部の?」


確認のため聞き返すと、白月は俯いたまま小さく首を縦に振る。


すると、垂れ下がった長い黒髪の間から、まるで鉄を熱したかのように紅く染まる白月の耳が見えた。



もしかしてこいつ、恥ずかしがってんのか?



人んちの前で平然と服を脱ぎ出すような奴が、どうしてこんなことで恥ずかしがっているのか疑問に思っていると、先日白月と交わした話をふと思い出した。



***



『なぁ、部員集めたりしないのか?』


『……少なくても、自発的に誰かを部に誘おうとは思わないわね。——それに、本当に部の活動に興味があるなら、そのうち向こうからやってくるはずよ』


『そういうもんか?』


『そういうもんよ』



***



「あぁ……なるほど」


俺は白月が恥ずかしさのあまり、耳を真っ赤に染めてしまう理由をなんとなく理解することができた。



「まぁ確かに、あれだけ澄ました顔であんなセリフを言っておいて、『やっぱり部員欲しいです』なんて言えないよな。俺なら恥ずかしさで死ねる」


さっきの仕返しの意味も込めて、俺は俯いたまま肩を震わせる白月にそんな言葉をかける。



「最初っから強がらずに『部員集め手伝ってください。お願いします』くらい言えばいいのによ」


「……皇くん、調子に乗りすぎじゃない? 女子の前でみっともなく洟水垂らしながら泣くような凡人の分際で、あまりいい気にならないでもらえる? 」


「は? 泣いてねぇし。適当なこと言ってんな」


「泣いてたわよ。声だってぷるぷる震えてたもの」


「ビブラート効かせてただけだっつーの。変な勘違いすんな」


と、そんな高校生にあるまじき子供の口喧嘩のような真似を繰り広げる中、白月が確認するように尋ねる。



「それで……、どうしてくれるの?」


もちろん、俺の中で答えはすでに決まっている。けれど、普段は決して人には見せない白月の羞恥の表情が滑稽に思えて、出来るだけ長い時間それを見ていたくて、敢えて悩むフリをする。


そうしてたっぷり白月の表情を堪能してから、俺はゆっくりと口を開き、白月の問いに答えた。



「分かった。約束は約束だしな。なんとかしてやるよ」


「……本当に、協力してくれるの?」


白月は若干疑うように確認してくる。



「あぁ。任せろ」


事実、新しい天文部員として白月と共に活動してくれそうな人物には心当たりがある。


……ならきっと、以前所属していた部員たちのように白月を残して退部するなんてこともないだろう。だから、俺は自信を持ってそう答えることができる。


すると白月は、それまで強張っていた顔に安堵の表情を浮かべると、まるで小さな蕾が花開くかのようにポツリと呟いた。



「そう。……良かった」



それは、今まで白月の顔を覆っていた硝子のように美しく、そして氷のように冷ややかな仮面をそっと剥がし、白月が持つ本来の表情を露わにさせるような、そんな温かみのある優しさに満ち溢れた、いい笑顔だった。

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