第53話

「皇くんって、私が思ってたよりずっと馬鹿だったのね。心底見損なったわ」


「……それ、どう言う意味だよ」


白月が一体何に対して失望しているのか、腹を立てているのか、まるで理解ができない。


そんな互いの言動が上手く噛み合わない中、白月はわざとらしいほどに深々とため息を吐くと、一度姿勢を正し、黒く大きな瞳を真っ直ぐに向けてきた。



「——皇くん」


白月が俺の名を口にする。



「私はね、『凡人』でありながら、決して『天才』を称賛することをせず、ましてや憧れることもせず、寧ろそんな『天才』を嫌いだと言ってのける貴方に憧れたのよ」


白月は言葉を続ける。


「決して『天才』に歩み寄ろうとせず、近づこうとせず、かと言って離れた位置から眺めることもしない。そんな貴方だったから、私は貴方に憧れたし、貴方に救われたのよ」


「いや、だから……前にも言ったように、俺はお前を何かから救おうとなんて——」


「煩いわね。少し黙ってなさい」


反論しようと口を開いたが、全て言う前に白月のよく通る声によって遮られてしまった。


俺は渋々口を閉じる。


すると白月はそんな俺に対し、まるで子供をあやすかのようにゆっくりと語りかける。



「私ね、皇くん。貴方には貴方のままでいてほしいと、そう願っているのよ。あくまで凡人らしく、それでいて普通とは少し変わった考えを持っている……そんな貴方でいてほしいと、そう願っているの。『天才』がどうだの、『凡人』がどうだのといった難しい考えは、偉い学者さんにでも任せておきなさい。私みたいな『天才』に勝とうと努力するのも、きっと別の誰かがやってくれる。貴方は、貴方のままでいればそれでいいのよ」


先ほどまでとは打って変わって、優しく包み込むような柔らかな口調でそう話す白月に、俺は言葉を返す。



「けど……それじゃあ、今までの努力は一体何だったんだ……! これまでお前に勝つために積み重ねてきた努力は! この6年間は一体何だったんだ!! 俺はこれから何を目標に生きていけばいい!?」


震える声で叫ぶようにそう訴えかけると、鼻の奥がツンと痛んだ。手足は震えるほど冷たいのに、目だけが燃えるように熱い。胸のあたりに蟠る感情が激しくのたうち回っている。



白月はそんな俺から目をそらすことなく、微笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。



「全く……、皇くんは本当に頑張るのが好きなのね。でも、もういいんじゃないかしら。皇くんはもう十分すぎるくらいに頑張ったもの。普通はみんな嫌がるような努力を毎日毎日休むことなく続けるなんて、素直に尊敬するわ。それに、今まで積み重ねてきた努力は決して無駄なんかじゃない。本当は皇くんだって分かっているんでしょ?」


白月は俺の心を見透かしたように問いかける。


「皇くんが今まで続けてきた努力は、貴方に関わった全ての人が認めてる。だから、そんな悲観的になる必要なんてどこにもないはずよ。それに、貴方が続けてきた努力は、他でもない貴方が褒め称えるべきことなのよ。……だから胸を張りなさい」


白月は続ける。


「けれど、それは決して『凡人らしい』とは言えないわ。貴方には、私のような『天才』には出来ない、『凡人らしい』生き方をしてもらいたいの」


「凡人らしい生き方……」


俺は白月の発した言葉を繰り返す。



「そう。例えば、夜遅くまでテレビを観たり、ゲームをしたり、漫画を読んだり。休日には友達とお出かけしたり、『課題やってくるの忘れたー』とか『ノート写させてー』とか、普通の高校生が当たり前にやっている、そんな生き方を貴方にもしてもらいたいの。……それは、私には決して出来ない生き方だから」


そう言って白月は、少し寂しそうに笑ってみせる。



俺はそんな白月の顔を見て、 “あの日” の出来事を思い出していた。



あの日——、ゴールデンウィークが明けた日の放課後。



俺は天文部の部室で、涙ながらに天才の苦悩を語る白月に対して、偉そうにも助言を与えた。


それがまさか、今度は俺の方が助言を受ける立場になるなんて思いもしなかった。



『天才』は完璧ではない。


それならば、『凡人』は尚更だろう。



一生頑張り続けるなんて事は、きっと神にでもできる事じゃない。それをただの凡人がやろうだなんて、おこがましいにも程がある。


冷静になって考えてみれば、そんなのは当たり前のことなのだ。せっかく『凡人』として、普通の高校生として生活することが出来るのに、貴重な青春時代をこいつみたいな『天才』と張り合って浪費するなんてのは、確かに馬鹿げた話だ。


……それこそ、思わず笑ってしまうくらいに——。


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