お前のせいだ。2

「……い、起きろ……」

声。耳元で声が聞こえる。

優しい、少しだけくすぐったい囁き声。ウィスパーボイスと言うんだったか。

「……おい、起きろ。早田……」

「……ん、うぁん?」

「何だその声は。気色悪い」

「……寝起き早々にキツイ言葉をありがとう」

頭を軽く振って眠気を追い払う。

「……ん?」

「起きたな」

「うわおおおぁ!?」

顔のすぐ隣にアイツの顔があった。吐息がかかる距離で、妙に、妙に……

「くすぐったいんだよ、お前は!!」

「お前、最後の部分だけ言語化するなよ」

「まさか、心を読んだのか!?」

心底呆れた顔をして、アイツは言う。

何という予想的中率だ。やはり、この女は侮れない。

「どうせ、気持ち良かったとか考えてたんだろう? この救いようのない、底無しの変態め」

「思ってねぇし! お前にそれほどの魅力があると思うか! この自意識過剰め!!」

「顔真っ赤にするな。罵られて喜びやがって、このマゾ。ほら、『我々の業界ではご褒美です!!』とか何とか、聞いててやるから言ってみろ?」

「マゾじゃねえぇ!! 身長が俺よりも低いクセに見下ろすな!」

コイツ、椅子の上に立って俺のことを見下ろしていやがった。

俺が荒い息を吐きながらまくし立てると、アイツはカバンを持って立ち上がった。

その背中に声を掛ける。

「……脚本、どこまで進んだ」

アイツはため息を吐きながら答えた。その声は、沈んでいた。

「……半分。でも、カスだ。熟考を重ねていかないと埋もれる」

コイツの言う埋もれるとは、他のクラスの劇に埋もれて見えなくなってしまうのを指すのだと思った。

「……たかが劇の脚本だぞ? そこまでしなくても」

「たかが、だと……?」

「な、何だよ……」

「私は、劇の脚本だろうと小説だろうと、そこに表現の仕方の違いはあれど、手を抜くようなことは絶対にしない。やるからには全力で行く。……私には、それしか出来ないからな」

「何を言ってるんだ……?」

「……私の作品だぞ。埋もれさせてたまるかっ」

そう捨て台詞を吐いて、早歩きでこちらを振り返ることなく去っていった。

その目は強い信念、まるで『書く』ことは自分の一部とでも言うかのように、強い意志を宿していた。

でも、その声は震えていて、アイツは何かに怯えているのかもしれないと思った。



「……おい、一姫」

「……」

店を出てからもスピードは緩めることはなく、寧ろ速くなっている。

まるで俺を引き離そうとするかのように。

代金は全部俺持ちだった。

「おい、聞いてんのか」

「黙れ。ついてくるなよ」

返ってくるのは冷たい言葉。

いい加減、我慢ならない。

「一姫ッ!!」

「……っ!?」

手を掴んで、強引に振り向かせた。

「……ぐっ!」

アイツの顔が苦痛に歪む。

壁に無理矢理押し付けてしまったが、謝罪は後だ。

「なに、するんだ……」

「それはこっちの台詞だ。訳わかんねぇこと言って逃げやがって。意味不明なんだよ。言いたいことあるならハッキリ言えよ!!」

アイツの目を見る。その目が僅かに震え、見られまいと顔が俯いた。

「……の、せいだ」

「……は?」

「オマエのせいだあああああッ……!!」

コイツはあらん限りの声を振り絞り、俺を力いっぱい蹴り飛ばした。

腹に鈍い痛みが広がり、呼吸を詰まらせながらも立ち上がる。

「……ぐっ、はぁ、何すんだ、オマエ!!」

「黙れよっ!! ……お前のせいだろ! 私がこうなったのも、全部、何もかも、お前のせいだろうがっ!!」

鬼のような形相で睨みつけてくる。俺も負けじと睨み返した。

「いきなり人を蹴り飛ばしたかと思ったら、寝言は寝て言えよ!! 散々人のこと殴りやがって!」

そして、そこから先の言葉は出て来なかった。

アイツが、一姫は、泣いていた。壁からずるずると崩れ落ち、座り込んで泣いていた。

「……なぁ、早田。私には分からないよっ」

「……何が」

「お前は、この世界をどう思う? 私には地獄に見えるんだよ……。

ーーーーーーだから、せめて、お前がいなければ良かったのにっ……」

心底俺を憎んでいるような、悲痛な声。

俺は強く振る舞うことに努めた。出来るだけ、声を震わせ無いように。

「……なら、お前は俺を殺すのか?」

「やるわけ、ないだろ……」

「俺に、何の恨みがあるって言うんだよ。俺は普通の学生だぞ」

「……私には、それが何よりも許せない。お前がいることが、許せないっ」


……もう、帰ってくれ。


散々付き合わせた挙句、酷い言い方だった。

いや、勝手に最後まで残っていたのは俺の方か。

コイツ、人の善意を踏みにじりやがって。

次々と出てくる恨み言を押し殺し、俺は一言だけ。



「……気をつけてな。また明日」

なぜかそんなことを口にしていた。

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