第3話失われた翼


 冬の嵐が過ぎ去り、年が明けた。


 一九四三年、二月、二日。

 燃え尽きた街、神学者州都市区の中心地で、ぼくたちはラジオを聞いていた。


「――われらが大祖国陸空軍は、神学者州都市区に向けられた新帝国軍からの不当なる侵略を、完全に阻止しえたことをここに宣言する。敵野戦軍は完全に壊滅した。もはやかれらに余力はなく、敗走すらもままならぬ状態である。栄えある大祖国軍は、いまもって潤沢なる戦力を存分に発揮し、新帝国軍の敗残兵を徹底的に狩り尽くすものである。大祖国万歳。大祖国軍、万歳――」


 ラジオから流れる国防局局長の勝利宣言は、いまの景色にはしっくりこなかった。

 生き残った者を称える勇ましい言葉の数々は、瓦礫の山々や、焼け焦げた壁面に吸い込まれるようにして消えていく。

 あれほど凄まじかった砲声は、もうとっくに鳴り止んだ。

 傷病者や物資を運ぶトラックのエンジン音が、遠くに聞こえる。だけど、それは枯葉の上を這い回る芋虫の足音みたいにかぼそい。


 ずっと、耳鳴りが続いていた。

 秋、冬。暦の上では、ふたつの季節を過ごしただけだ。

 なのに、ぼくはこの戦場で、心のなかのいろいろなものを、火にくべてしまったかのようだ。


 ただ無性に、学校が懐かしかった。


(戻れるのかな)


 鳥人の学生。歴史と言葉が好きな、リドリィ……。

 かつての「ぼく」をかたちづくっていたものは、もう、ぼくのなかには残っていない。

 歴史と、言葉への興味は、いつのまにか消え去ってしまっていた。


 きっかけは、ひとつの疑問だった。


 『ぼくたちは、なぜ、この地上に地獄を産み出してしまったのか。』


 先人たちの膨大な先例は、それでもなお足りないのか。あるいは、ぼくたちが勉強不足だったのか。

 それは違う。

 学ぶべき歴史は、もう十分に積み重なっていた。

 耳を傾けるべき言葉は、いくらでもあった。

 ……そして、認めたくはないけれど、ぼくたちが不勉強であった、ということでもないのだろう。


 過去の歴史に学び、先人のことばを尊び、争いのない暮らしを望みながらも……多くの人々が戦地に立たされ、そして消えていった。

 争いを好まないのは、ここにいるぼくたちだけではない。敵国の兵隊たちだってそうだろうし、銃後のひとたちだってそうだろう。

 なのに、どこでボタンをかけちがえたら、国同士で争いが起こってしまうのだろう。

 じっさいに戦地に放り込まれてもなお、ぼくには戦争のしくみがわからなかった。


(父さん、母さん、学校のみんな……)


 いつだろう。いつ、戻れるのだろう。

 そんなことをぼんやりと考えていると、ぼくの隣にいた地上人の僚友が、声をかけてきた。


「リドリィ。翼は傷むか? さっき、補給から痛み止めと腫れ止めの薬をもらってきた。飲めよ」


「ありがとう。助かるよ」


 気づかうようなかれのまなざしに、ぼくはつとめて笑顔をつくった。手渡された薬は、大規模な戦闘が終わった今だからこそ、手に入るものだ。


 翼。

 ぼくはおそらく、二度と空を飛ぶことはできないだろう。

 ここでの戦闘が終わるほんの一週間ほども前に、ぼくは片方の翼を失った。

 近距離に落ちた砲弾の破片が、ぼくの翼をずたずたに引き裂いたのだ。砲撃を受けたときに気を失って、目が覚めたときには、ぼくの片翼は軍医の処置により根元から切り落とされていた。


「ここから生きて帰れるってのは――」と、薬をくれた兵士が呟く。「きっと、幸福なことなんだろう。味方の兵隊もたくさん死んだ。この街の住人はもっと哀れだ。家も、家族も、命も失ってしまった奴がいる。新帝国の兵隊どもも……自業自得って言えばそれまでだが、故郷から遠く離れてここまで来て死んでいく。望んだ結果じゃないだろうにな」


「……そうだね。僕たちはついていた。それだけは、まぎれもない真実だ……」


 望まぬままこの地獄に放り込まれて、生き残ることが、幸運。


 ――ラジオは、勝利を称える言葉をいつまでも流していた。

 それよりも、やさしい音楽をかけてほしい、と、ぼくは思った。


「もうじき、帰れるさ」と、兵士は言った。「俺たちは、ここにいても、もう……なにもできない」


「そう……だね」


 ぼくに薬を手渡してくれたかれも、大きな戦傷を受けていた。砲弾で足を吹き飛ばされ、小銃弾で手を砕かれた。薬が底をつき、治療もままならなかった昨年末ごろであれば、とうてい助からなかっただろう。


 ぼくたちは、心身を損ねた廃兵だ。崩れかけた建物のなかで、ラジオを聞いている。

 演説が終わり、勇壮な軍楽曲が流れる。

 そのメロディがぼくの心を通り抜けていったとき、なぜかしら、涙がひとすじ零れた。

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