第2話 伝書鳩


 一九四二年、晩秋。


 ぼくは、廃墟と化した都市の燃え落ちた住宅に隠れながら、周囲の様子をうかがっていた。止むことのない砲爆撃の音のなかで、胸に提げた通信筒を、ぎゅっと握りしめる。


 心はとっくに恐怖に凍り付いた。いつから? とっくの昔から。

 でも、目を閉じてはだめだ。耳を塞いでもだめだ。

 ぼくは、軍隊という大きな生き物の、一本のかぼそい神経だ。



 「新帝国」の軍勢が、神学者州都市区になだれ込んできたのは、今年の夏の頃だった。その頃のぼくは、まだ街から離れた練兵場にいた。


 練兵場では、ぼくたち鳥人の訓練生たちは、おなじ鳥人の教官から「伝書鳩」とよばれた。まるであざけり言葉のような字面ではあったけれど、教える側も、教わる側も、それを真摯に受け止めていた。

 地上人よりも野生生物の血を色濃く受け継ぐぼくたちは、風雪に耐える肉体を、いまだに手放してはいない。低空を飛び、凍てついた林や密集した建造物の間を自在に行き来するぼくらは、たしかに偵察や伝令にはうってつけだ。


 ひととおりの訓練を終え、ぼくたちがトラックで都市区へと運ばれる日がいつになるのだろうかと、訓練生同士でひそひそと話していたのが、今年の初秋の頃。ひとつの噂が、まるで水面にインクを落としたかのように広まった。


 ――この州の都市区に、『新帝国』の軍勢が攻め込んできた。

 誰もが、まさか、と思った。トラックを走らせれば数日の、地図上ではすぐ近くの街だ。


 とはいっても、練兵場からは都市区の様子はうかがえない。それに、たとえどんなに小さいものでも、その戦場に勝利があれば、国防局から派遣されている指導将校が、それを十倍、百倍にも拡げて宣伝するだろう。

 だけど、都市区で起こっているはずの戦闘について、指導将校は口をつぐんだままだった。


 沈黙が意味することは、ひとつだけだ。



 そこには、ただのひとつの勝利もなく、完全な敗北があったのだ――。



 そして、ぼくらは訓練を終えた。はなばなしい閲兵を受けることもなく、そのままトラックで神学者州都市区へと送られた。幌のかかった荷台の上で、舗装の荒れた道を運ばれていく。ぼくの他にも、鳥人、地上人の新兵が肩をよせあってうずくまっていた。寒さと振動のせいで、あまりよく眠れず、うつらうつらとしながら数日の旅程を耐えた。


 そして、からだじゅうが冷めた肉料理のようにこわばってきたころに、「もうすぐ集結地点だ」と、トラックの運転手が言った。


 次第にきこえてくる砲爆撃の音。それはまるで、雨のなかで聞く遠雷のようだった。幌のかかったトラックの荷台からは、街の様子はうかがえない。

 ぼくたちは荷台から降りる、整列せよ、と号令をかける将校の顔よりも、街はどんなふうになっているのかを、とにかく早く知りたかった。



 大祖国の南西部に位置する、歴史ある大都市は――。



 ぼくは、そのとき言葉を失っていた。

 きっと、他の皆もそうだったのだろうと思う。

 それでも誰かが、震えるような声で呟いていた。


「……街が……まるで、まるごと火にくべたみたいだ……」


 いつもは弱音を吐く者を容赦なくなぐりつける指導将校も、そのときは呆然としていた。



 ぼくたちの隊は、作戦正面の反対側から都市区に入った。

 街は砲爆撃で荒れ果てていた。このあたりに斃れている亡骸は、ほとんどが市民のものだった。遺体をひとりひとり葬っているだけの時間は、いまはない。


 傍らの地上人斥候兵が、ぽつりぽつりと呟く。

「……新帝国軍がなだれ込んできたときにも、市民への避難命令は出ていなかったらしい。早く……逃げてくれれば、よかったのにな……」


 地上人の、子供、女性、老人。もちろん、鳥人の子供たちの死骸もあった。かれらはもう何も言わないけれど、「逃げ遅れた」のではないのだろう。「逃げろ」と命令されなかったから、逃げたくても逃げられなかったのだ。

 命令のないまま逃げれば「敵前逃亡者」のレッテルを貼られる。それは、この国では重い罪となる。


 そして、ぼくたちは街路を進む。立ちすくんだり、後戻りをしたりすれば、ぼくたちも逃亡者の仲間入りだ。


 街路に足を踏み入れたぼくたちは、まずは防御のための拠点をつくることになる。地上人の歩兵と狙撃兵たちが、瓦礫や土塁をつかって、大急ぎで作業をすすめる。そして、ぼくたち鳥人の斥候兵が、この広い街区に散らばった友軍兵たちに逐一状況を知らせて回る。


 皮膚を貫くような砲音と、燃えさかる建物から放たれる焦熱しょうねつ。砕けそうになる心を支えてくれるのは、結局のところ訓練で身につけた動きだけだった。軍人らしいふるまいを疎む心は、いまもぼくの中にはあった。でもその気持ちは、命を長らえさせるようには働かない。


 あちこちで銃声が響く。

 新帝国軍の歩兵たちが持つ小銃の音は、発火の重さと、空気を突き破る鋭さが入り交じった音。大祖国軍の小銃は、すこし濁ったような、空気が割れる音を放つ。

 「敵の音」が濃いところを避けるように、ぼくは建物のあいだを縫うように飛んだ。


 ぼくは武器を身につけていない。地上人たちの武器は、拳銃でさえ重すぎる。飛行をさまたげない小さな通信筒と雑嚢ざつのうだけが、ぼくの装備だ。


(今だ)


 まるで波間を読むかのように、銃声が衰えたときを狙って空に躍り出る。

 そのときに、狙撃されるか、されないか。それはぼくの思惑の及ぶところではない。


 新帝国の国土には、深く黒い森があって、そこの鳥や獣を相手にしてきた猟師たちが、数多く新帝国軍に徴用されたと聞いた。野生の鳥たちに比べれば、ぼくたち鳥人の身のこなしなど止まっているようなものだ。


(……神様……神様)


 埒もない祈り。

 神様は、たしかにいるのだろう。だからこそ、自然のままの世界はこんなにも豊穣だ。

 だけど、その自然のなかに生まれてくる鳥や獣たちでさえ、ほかの誰かの獲物として殺されることがあるのだから、ぼくたちばかりが守られる理由はない。


 でも、祈らずにはいられなかった。


 早鐘をうつ心臓にせかされるようにして、ぼくは最前線で戦う歩兵たちのところへ飛び込んだ。


「――伝令!」


 そう叫んで、ぼくはそこにいるはずの指揮官を捜した。

 ぼくを迎えた下士官は、まず「頭を下げろ」と言った。ぼくは慌てて縮こまった。すぐ近くで、すさまじい爆発音がした。砲撃の弾着だ。直撃していれば、ぼくなどはスープの具のように引き裂かれてしまうだろう。


 その様子を見た下士官は、疲れ切った顔に、わずかに笑みを浮かべた。


「新兵さんか。まずは死なずに来れてよかったな」


「はい……ありがとうございます」


「でも、ここの指揮官はすこし前に死んだよ。いまのところ、先任の俺が指揮をとっている。で、命令と情報はなんだ」


 促されるままに、ぼくは通信筒から指令書を渡した。

 下士官は、それを黙読する。どんな文章が書かれているかは、ぼくはもう記憶している。



 ――現地を死守せよ。損害の如何を問わず、撤退は許可しない。



 この言葉が意味することを、ぼくは理解しているつもりだった。

 これは命令などではないし、この言葉をただ伝えるのであれば、ぼくは死の使いでしかない。

 下士官が文面から目を上げる。そこには暗い光がやどっている。


「死ね、ってことのようだね、新兵さん」


 ぼくは、その重たい視線に背筋が押し潰されそうになった。

 だが、心を奮い立たせて、ぼくはこう告げた。


「書面のとおり、たしかに『指揮官どの』にお伝えしました」


 負け戦でならどこにでもあるような、凡庸な〝とんち〟だった。

 果たして、下士官はぼくの言葉を理解してくれただろうか。

 ぼくは、おそるおそる、かれの顔を窺った。


「……ありがとうよ、新兵さん。今の話、たしかに『指揮官どの』が聞いた。ざんねんなことに、俺たちに伝える前に戦死してしまったようだがな」


「……はい、お気の毒なことです」


「で、指揮官が健在だったらどうするつもりだ」


「そういうときは『死守防衛には成功しつつあるも、より有効なる位置に陣地構築を行う』と、お返事いただくように、こちらからお願いしています」


「なるほどね。伝令の知恵、か。練兵場も捨てたもんじゃないな」


 そう言って、下士官はぼくの小さな肩を、ごつくて傷だらけの指先でぽんぽんと叩いた。

 そして、ぼくはここまでに見聞きした戦況や、司令部の思惑などを正しく伝えた。これこそが、ぼくの本当の仕事だ。


 ひととおりの情報伝達を終えたのち、下士官は、指揮下の兵たちに大声で指示を出した。


「おぉい、ここでの働きはこのくらいにしておこう。うしろに味方の軍が来てる。うまいこと撃ちながら退がるぞ!」


 これほどの激戦でありながら、兵士たちはまだ、ねばりづよく戦うことを諦めてはいなかった。そうだ。ここは地獄になってしまったのかもしれないが、たしかにぼくたちの国なのだ。


 そして、ぼくは飛び立とうとして、翼をたしかめた。

 下士官をはじめとして、まわりの兵たちがぼくに声をかけてくれる。


「死ぬなよ、新兵」


「新帝国のやつら、腕のいい狙撃手をたくさん連れてきている。……まあ、俺たちにも、『帯なる山脈』で鍛えられた猟師がたくさんいる。そいつらが敵をやっつけてくれるまで、撃ち落とされるなよ」


「後ろに味方がいるのか。いい情報をありがとう」



 ぼくは、この戦場で、伝令として働いている。

 ぼくの翼は、ぼくを生きながらえさせるために動かし、

 ぼくの口は、ほかの誰かを生きながらえさせるために動かす。

 帰還が許されるときまで、命あるかぎり、そうするつもりだ。

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