第7話「生まれ直せ、アスカ!」

 加賀谷輝カガヤテルのフィギュレス特訓が始まった。

 まずはルールの熟知、そこから入る。いついかなる時でも、輝の行動は王道だ。セオリーを学んでこそ、セオリー無視の自分流が貫けるのである。

 そして、時には手段を選ばない……それが輝のポリシーだった。


「むむ……カオル、この妙なルールはなんだ? 5、とあるが」


 学校での昼休み、輝は友人の花園薫ハナゾノカオルと共に昼食を囲んでいた。

 学食は混雑しているが、輝の周囲にだけ人がいない。女子はれた視線でで回して、互いにひそひそとささやきを交わすだけ。そして、男子で輝と昼食を共にしようという人間はいない。

 それでも、輝はスマートフォンを片手にきつねうどんを頬張ほおばっていた。


「あ、それね。んと、フィギュレスのルールって、基本的にプロレスと全く一緒なの」

「ほう。では、5秒以内というと」

「5秒以内にやめればOK、5秒を超えると反則負けになるんだぁ」

「……クククッ! それはいいことを聞いた」


 他にも、プロレスには奇妙なルールが沢山ある。

 まず、意外と知られていないのが『』だ。

 そう、プロレスは基本的にグーパンチが禁止なのだ。だから、チョップや掌底しょうていといったオープンハンドの手技が好まれる。

 それなのに、プロレス界ではハードパンチャーが沢山いる。

 フィギュレスでも勿論もちろん反則だが、5


「あとはね、トップロープからの攻撃も反則だし、凶器攻撃も反則」

「……だが、5秒以内であれば問題あるまい?」

「うん」

「よし、だいたいイメージできてきたな」


 すでにもう、輝はアスカの改良……いな、大改造を始めていた。

 刈谷千代カリヤチヨから譲り受けたアスカは、基本的なビルドを全て終えていた。そのスペックは高く、特に瞬発力や機動力に優れる。反面、やや耐久力が心もとないが、それは『耐える』よりも『避ける』ことで体力を維持するタイプを思わせた。

 だが、今のアスカにはコスチュームもファイトスタイルも決まっていない。

 あの有栖星音アリスセイネのアリスに勝つべく、千代が生み出したフィギュロイド、アスカ。

 そして、彼女の弟である巧斗タクトは、アスカを姉ごと全否定した。

 その理由が少しずつ、輝にもわかってきたところである。


「多分ね、輝クン。アスカは、軽量級の部類に入ると思う。脚を使って攪乱戦法、機敏な動作で空中殺法ってスタイルがいいんじゃないかな」

「なるほど、薫のリンクスと同じような感じか」

「そそ、メキシカンプロレス、ルチャ・リブレってのだけど」

「だが、俺様はそこにもう少しひねりを加えるつもりだ。それこそが、星音に勝つための秘策!」

「組んで戦う仲間、だよね? ねえ、タッグマッチに出るんだよね?」


 ズズズとうどんをすする輝の、その脳裏に徐々にヴィジョンが鮮明になってゆく。

 ジャパンリーグ最強のフィギュドール、アリスは無敵だ。

 完全無欠のシュートスタイルで、相手に対して全く付き合わない。まるで精密機械のように研ぎ澄まされた動きで、圧勝する。国内に敵ナシといわれ、あらゆるチャンピオンベルトを総ナメにしてきた。

 そんなアリスが唯一持っていないベルト……それがタッグマッチのものだ。

 あまりに強過ぎる秒殺姫びょうさつきは、大半のファンから畏怖いふ畏敬いけいの念で祭り上げられている。仲間もいなければ、賛同者もいないのだ。


「そうそう、輝クン。昨日の夜、千代サンからメールが来てたよ?」

「おう、俺様にも来ていた。スパーリング……ククク、いいだろう! 試合まで日時がない、実戦形式でアスカをきたえるのだ」

「ボクも微力ながら手伝うねっ!」


 だが、に落ちないことが一つだけある。

 それは、打倒アリスを目指していた姉と弟に、なにがあったのかということだ。

 巧斗は丁度ちょうど、輝や薫と同じ年頃に思えた。

 その彼がどうして、アスカを拒絶するのか。

 彼が求めるファイトスタイルとは、なんなのだろうか?

 内心、輝はそれを、それをこそ知りたかった。偶然知り合ったとはいえ、千代は輝にアスカをたくしてくれた。彼女はずっと、アリスのドールマスターが素敵な異性だと思いこんでいたのだが……実際には、才色兼備さいしょくけんびのパーフェクト御嬢様おじょうさま、星音がアリスと共に戦っていたのだった。

 そのことを思い出していると、周囲が騒がしくなっていった。


「ん? なんだ……ッ! 貴様か!」


 周囲の生徒達が、男女の別なく一歩下がる。

 自然と生まれた道の真中を、一人の少女が近付いてきた。


「おお、生徒会長だ」

「今日も、なんつーか……すっげえな、おい」

「オーラが違うよな、オーラが」

「ああもぉ、星音様……素敵」


 この場の誰もが、ハートを撃墜されてゆくのが見えるようだ。

 確かに、輝も客観的に見て星音が美少女だということは理解している。だが、それだけだ。誰よりもよく知るからこそ、彼女のことは彼女と思っていない。

 輝は星音を、女として見ないと決めているのだ。

 常にライバル、宿敵だ。

 それは、フィギュレスでタッグを組んでも変わらない。

 星音は食券を数枚出して、トレイにいっぱいの料理を受け取った。


「おや? 輝か。いいだろう、たまには昼食を共にしよう」


 誰もが避ける輝の向かい、薫の隣へと星音は腰掛けた。

 優雅な所作しょさは、見るだけで周囲に溜息ためいきを連鎖させてゆく。

 ここに学年一の美男美女、加えて言えば少女かと見紛みまがう美少年が一同に介していた。


「フン、相変わらず貴様は健啖家けんたんかだな? よく食うものだ」

「腹が減ってはいくさができぬ、と言うからな」


 上品に割りばしを割った星音は、目の前の昼食を食べ始めた。

 カツ丼大盛りに天ぷらそば、そしてサラダというゴージャスなものである。見るだけで胸焼けしそうなボリュームだが、星音は急ぐわけでもなくそれを食べてゆく。


「時に輝、どうだ? フィギュドールの準備は進んでいるか?」

「知れたことよ、今すぐ戦ってもいいぐらいだ」

「ちょ、ちょっとぉ、輝クンってば」


 小さなお弁当箱を広げた薫が、驚いたように口を挟む。

 そう、まだまだアスカには時間がかかるだろう。

 だが、既に星音の最後の戦い……最強タッグを決める、レッスル・パペット・カーニバルは始まっているのだ。まず、本戦のトーナメントに進むため、タッグでのフリーマッチで一定数の勝利をおさめる必要がある。

 それなのに、輝のアスカはまだ衣装すら決まっていないのだ。


「まあ、あせらずともいいさ。私が一人でも勝ちは稼げる。輝、お前は見てるだけでいい」

「ほう? またまた抜かしおる。またお寒い勝ち方で、しょっぱい試合をするつもりか」


 涼やかな星音の微笑びしょうが、ピクリと震えた。

 だが、次に発した彼女の声は、普段通りに透き通っている。

 やはり、安い挑発には乗ってこない。

 当然だ、それだけの相手だからこそ、輝は何年も敗北を重ねてきた。

 それでこそだと、込み上げる笑みが不敵な表情をかたどらせた。

 食卓が不思議な緊張感に包まれ、薫が凄く居心地が悪そうである。

 それを察してか、星音は隣の薫の弁当箱を覗き込んだ。


「む? 食が細いな、少年。そんな小さな弁当で足りるのか」

「あ、はい、まあ……生徒会長は沢山食べるんですね」

「当然だ。だが、君のその卵焼きは美味おいしそうだ。よければ一つ、くれまいか」

「へっ? ど、どうぞ」

「うん、ありあとう。お礼にカツをあげよう」


 ヒョイと星音は、薫の弁当箱から卵焼きを取った。

 逆に、自分のカツ丼に山となってるカツを数切れ渡す。

 もともと薫が少食なのは輝も知ってたが、星音はマイペースで食事を続けながら話す。勿論もちろん、喋りながらも行儀よく食事しており、みるみる料理が減っていった。


「輝、私がお前に求めるものがなんだかわかるか?」

「勝利、ただそれのみ……違うか?」

「ふふ、違いはしないが、それは当然のこと。そしてまた、私の勝ちは常に約束されている」


 そんな台詞せりふ、輝だってたまには言ってみたい。

 だが、輝が求めているのは激闘の末の勝利、手を伸べてもつかめず指をすり抜ける、そんな勝利を鷲掴わしづかみにしたいのだ。

 そのことを言ってやったら、満足そうに星音は笑った。


「それでこそ、だ。であれば、わかっているな?」

「無論だ。貴様が徹底した合理的な戦いをするならば、俺様が思い知らせてやろう……戦いには貴賤きせんというものがあるっ! たた勝てばいいというのであれば、それは既にゲームとして成立していないのだ!」

「面白い、お前は競技性や真剣勝負を否定するのか? 誰よりも勝ちを求めるお前が」


 いつのまに平らげたのか、空の器の前へと星音は箸を置いた。そのまま上品に紙ナプキンで口元を拭いている。

 肌がひりつくような、まるで鞘当をしているような時間だった。

 だが、それが輝には心地良い。

 自分が勝ちたい唯一の存在が今、パートナーとしての自分に戦いを問うているのだ。


「既にルールはあらかた熟知している……プロレスは、フィギュレスは勝ち負けを競うだけの格闘技ではあるまい?」

「ほう? ……そうなのか、少年」


 意外そうな顔をして、やはり星音は笑う。そして、隣で一生懸命カツを食べてる薫を見下ろした。女子としては長身でスタイルのいい星音から見れば、薫の方が女の子みたいだった。


「えっと、それは……でも、ボク思うんです。フィギュレスって、単純に勝ち負けを競う以上の意味があるなって。あ、僕もやるんですけどね、フィギュレス」


 周囲では、ざわめきがさざなみとなって広がっていた。どうやら、この場の誰にも伝わったらしい……星音が実は、フィギュレスを嗜んでいるという秘密が。そして、星音自身は秘密にしていた素振りを見せず、泰然たいぜんとしたまま輝に笑いかけてくるのだった。

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