第6話「夢見れば過去は遠く」

 加賀谷輝カガヤテルの長い長い一日が終わった。

 帰宅すれば、出迎える者は一人もいない。台所で冷めた夕食を回収し、そのまま二階の自室に向かう。暖かくて明るい我が家というのは、帰宅する輝にとっては未経験だ。

 部屋に戻って、机の上にワンプレートの簡素な夕食を置く。

 その横に、先程刈谷千代カリヤチヨから譲り受けた小さな乙女を立たせた。


「フィギュドール、アスカ……何故なぜ、俺様はあの時あんなにも激したのだ?」


 そう、それは千代が対アリス用に制作したフィギュドール、アスカだ。

 千代はアリスに憧れ、アリスのドールマスターに一方通行な片思いをしていた。だが、正体不明のアリスのドールマスターは、年下の女子高生だったのだ。

 輝にとって終生のライバル、有栖星音アリスセイネである。

 千代もまた、絶対強者である星音に気持ちを打ち砕かれた。

 それを体現するように、一撃必殺のもとにアスカは秒殺KOノックアウトされたのである。


「だが、俺様は叫んでいた……そして、その声に答えるようにこいつは立った。そうだな? ……貴様には、千代さんが心血注いでかたどったたましいが宿っている。ように、思えたが」


 ふと、人形相手に喋っている自分が妙におかしかった。

 今なら少し、フィギュレスに熱中する大衆の気持ちがわかる。共感を感じるにはいたらないが、老若男女ろうにゃくなんにょを問わずのめり込む者達の考えが理解できた。

 趣味として奥深く、豊かなゲーム性とおおらかなギャンブル性の調和。

 それでいて、自分だけの美少女であるフィギュロイドのカスタマイズは無限大だ。

 趣味人にとって、突き詰めて没入したい要素が沢山詰まっていた。

 星音も恐らく、そこに惹かれたのだろう。


「……俺様は貴様を使って、あの星音とタッグを組むらしい。なら、名誉挽回だな」


 フィギュドールは、専用筐体のAR空間に入れてやらねば動かない。

 それでも、物言わぬアスカがわずかにうなずいたような気がした。

 今は、気がしただけで十分である。

 早速輝は、スマートフォンでフィギュレスの公式サイトを調べる。丁度、近々開催される大イベント、レッスル・パペット・カーニバルの告知が大々的に行われていた。

 国内タッグ最強を争う、二人一組でのエントリーを前提とした大会である。

 なるほど、無敵のアリスと星音でも、一人ではどうにもならない。

 適度に夕食の冷めたハンバーグを口に運び、輝は熱心に公式サイトの文字を追う。そして、フィギュレス用のアプリをダウンロードし始めた。これがないと、千代から譲られたアスカをセッティングもできないし、輝の叱咤しった激励げきれいも届かない。


「しかし、いいのだろうか。意外と高いものだが……フィギュドールなる人形は」


 ――私と一緒に戦ってください、輝さん。

 そう言って、千代はアスカを差し出してきた。

 その目には、輝と同じ炎が燃えていたように思った。恋い焦がれた想いは勘違いと思い込みで消え失せ、同じリングに立てば一瞬でなにもかもが終わった。そんな敗北の中でも、あの女性はまだ心を折られてはいなかった。

 そして、アリスを倒すためのフィギュドールは、アリスと組むべきタッグパートナーとして輝にたくされたのだ。

 ふと、輝は昔を思い出してしまった。

 千代の気持ちの強さが、不思議と星音に重なる。

 千代が本気だからこそ、今日も星音は本気で応えた。手加減も手抜きもせず、秒殺姫びょうさつきの名に相応ふさわしい一撃でアリスを闘舞ダンスに踊らせたのだ。

 それでも、千代は終わったままで終わらなかった。




『なあ、おい……泣くなって。俺様の勝利だからな! つまり、俺様達の勝利だ!』


 不意に蘇る追憶に、ついついはしを止めてしまう。

 夕暮れ時の空き地は、もう何年も前に高層マンションが建ってしまった。だが、小学生だった幼い輝達、幼馴染おさななじみ三人組の中にいまもあると思いたい。

 今も部屋の窓から外を見れば、すぐ触れられる距離に四条史香シジョウフミカの家がある。

 そして、二人の家の裏に広がる敷地には、有栖家の大豪邸だ。

 小さな頃から、輝には史香と星音が一緒だった。


『いいから泣くな! 俺様みたいに笑ってみろ!』


 そういう輝少年は、傷だらけの泥だらけだ。

 そして、同じく酷い有様の星音に笑ってみせる。

 二人がいじめっ子集団から守ってやった史香は、声をあげてわんわん泣いていた。だが、星音は黙ってくちびるみ、地面の一点を見詰めて涙を堪えている。

 遠くにカラスの鳴き声が響き、町は茜色カーマインに燃えていた。


『ご、ごめんなさい、私が……私が、ううっ!』

『史香、貴様は悪くない! そして、悪は滅ぼされたのだ! この俺様と星音の手によってな!』


 当時から輝は、が強くて唯我独尊オレサマTUEEEEE、しかし常に自分が真っ先に一番力を絞り出す子供だった。そうせねばならないと思ったのは、星音の存在が大きい。

 その星音が、両の拳を握り締めてたまま小さくこぼす。


『私が……私が、女だから。だから、史香も輝も、守れない』

『なにを言うか、貴様。史香は守れた。そして俺様を守る必要など、ないっ!』

『……輝は、強いな。そんな輝が……私も、男の子に生まれればよかった』


 輝と史香から見て、裏のお屋敷に住む御嬢様おじょうさま……それが星音だ。そして、この近所のあらゆる家庭にとって、有栖家の敷地は隣接して広がっている。

 もはや財閥と言って差し支えない、多国籍企業の創始者一族。

 その現社長の一人娘として、星音は生まれたという。父親は男子でないことに失望し、責任もないのに母親は自分を責める……そんな中で、彼女は育ったのだ。


『ふむ……よかろう! この俺様が、俺様だけは! 貴様を女として見ることをやめてやろう。だから、これからも俺様のライバルで居続けろ。よかろう?』

『……ああ。ふふ、そうか。輝は……優しいな』

『これが男の度量というものよ! 貴様も強くおおらかに、とにかくでっかく生きるがいい! そして、いつでもこの俺様に挑んでこい』


 思い出した。

 そう、最初は輝が星音に挑んでくるように言ったのだ。

 常に二人は、性別を超えた激闘を繰り返してきた。共に史香に励まされ、応援されて戦ってきた。少年少女として成長し、男女の差が如実にょじつに現れても……心は身体の有利不利を凌駕し続けた。

 そして、輝はいつの頃からか負け続けの万年次席ナンバーツーになったのである。

 ……真っ赤に燃えてギラギラと輝きたい。

 何故その想いが強固なのか、それだけが思い出せない。




 ふと、物思いにふけっていた輝は、スマートフォンの音で我に返った。

 どうやら、フィギュレス用のアプリがダウンロードを完了したらしい。

 そして、気付けば背後に人の気配があって、語りかけてきた。


「ちょっと、輝? なによ、さっきから呼んでるのに……おうこら、星音には粘着してストーカー気味なのに、私は無視?」


 振り向けば、小丼こどんぶりを手に持った史香が立っていた。

 勝手に上がり込んだように見えて、彼女は先程から呼びかけていたと主張する。どうやら輝は、随分と思惟しいを過去へと飛ばしていたようだ。

 史香の部屋は、互いの窓の間に30cm程度隔てた先にある。

 必ず一方通行で、時々こうして窓伝まどづたいにやってくるのだ。


「おう、史香か。お疲れ様だな」

「ん、輝もね。ほらっ、差し入れ! ……今日は、さ。ちょっと、新しいの、試してみた」

「ほう? これは……肉じゃがか、ありがたい」

「輝は? うわー、冷凍ハンバーグの自然解凍風味、季節のインスタント食材を添えて、って感じか」

「食ってしまえば同じこと。だが、お前の料理は助かってる。フッ、感謝!」

「う、うるさいっ! それよりさ、輝」


 史香はそっと、机の上のアスカを手に取った。

 輝はまだ温かう小丼を受け取り、湯気に入り交じる和風だしの香りを吸い込む。史香はこうして時々、自分の手料理を差し入れてくれるのだ。

 その史香だが、アスカの手足を動かしてみて、いろいろなポーズを取らせている。

 そうして小さなフィギュドールを弄びながら、いつもの調子で話し始めた。


「私もさ、知らなかった……星音って、フィギュレス好きだったんだ。正直、意外っていうか、びっくりで。でも、私もフィギュレスのこと、全然知らなかったんだよね」

「俺様もだ、気にするな。……奴の弱みを握ったと思ったんだがな。ふむ」

「もぉ、輝さあ。そうまでして勝ちたい? ……勝ちたいん、だよね?」

「当然!」


 元の場所にアスカを戻して、小さく史香は笑った。

 そして、彼女なりにフィギュレスに関して調べてくれたことを教えてくれる。


カオル君も言ってたけど、星音のフィギュドールであるアリスは無敵よ。ただし……。勝率トップ、ジャパンリーグのベルトを総ナメしてるしてるけどね」

「ほう? まあ、今日ので少しわかった。せっかくプロレスを見るのだ、もっと盛り上がる試合を誰もが望むだろうな」

「ネットも調べてみたら、出るわ出るわ……しおだ塩だって、評判はイマイチね」

「塩? ああ、試合がしょっぱいということか。ふむ、馬鹿らしい! 勝敗を分かつ以上、全力でぶつかるのが礼儀だ。星音はなにも間違っていない」

「……そうかなあ。私、ちょっと違うと思うけど。まあ、プロレスしてないから不人気なのよね」


 強過ぎるフィギュレスラー、アリス。そのファイトスタイルは、いうなればである。打つ、投げる、極める……レスリングを含むあらゆる格闘技で重要なパラメーターは、極限まで高められていた。それを、体躯たいくに勝る長身で繰り出すのだ。

 だが、客が見たいのはアリスの勝利ではない。

 大衆は、アリスの苦戦と苦闘、その果ての勝敗を見たいのだ。

 常に味気ない勝利を確定させる姿からは、誰もが離れていったという。


「でさ、輝。せっかく星音のパートナーになるんだし」

「うむ、わかっている! 全ての力で上回り、客をも満足させよう。人気でもアリスに勝てば、俺様の勝利は完璧なものとなる!」

「……話聞けよ、ばーか。そうじゃなくて、さ。もぉ、ふふ……輝、やっぱ馬鹿だね」


 いつものように気安く触れてきて、史香はポフポフと輝の頭を叩いた。

 そして、皿はまた明日と言い残して、窓から部屋へと戻ってゆく。その背を見送り礼を言って、輝は肉じゃがを頬張ほおばりながら情報収集を続けた。

 スマートフォンを通じて今、彼は熱狂と興奮のフィギュレス界へと船出ふなでしていたのだった。

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