第5話「秒殺姫アリス」

 突然のマッチメイク。

 それを提案した花園薫ハナゾノカオルは、こうした唐突さすらもプロレス的なことなのだと語った。それがどうにも、加賀谷輝カガヤテルには訳がわからない。

 だが、一つだけわかっていることがあった。

 それは、刈谷千代カリヤチヨがショックから立ち直り、乗り気であるということだ。


「あっ、ああ、あの、アリスさん!」

「アリスは私のフィギュドールの名だ。まあ、名字も有栖アリスだが……星音セイネで構わん。じゃあ、やるか? 私のかわいいファンの頼みとあらば、断る理由はない」


 いつでも有栖星音アリスセイネという少女は、王者の風格に満ちている。

 それは、輝が常にチャレンジャーであるからではない……徹底して帝王学を叩き込まれた、良家の御嬢様おじょうさま特有のオーラがあるのだ。そして、その根底にあるのは、気高く自身を律する星音自身の高潔さにほかならない。

 要するに、過剰なまでの自信家だが大物の貫禄があって、オマケにかわいい美少女なのだ。


「では、丁度いい。そこに筐体きょうたいがあるから借り受けよう。なに、私におごらせてもらうさ」


 あくまで颯爽さっそうとして、気風きっぷがいい星音。

 これが、学園の全校生徒が彼氏にしたいと憧れる、イケメン女子の生き様だ。

 すぐに星音は、子供達で賑わう輪の中へ入ってゆく。どうやらすぐに話がまとまって、フィギュレス用の筐体を使う順番を融通してもらえたようだ。

 そして、輝は見た。

 星音がかばんから出したのだ、先程の薫も持っていたプラスチックのケースだ。中から、全高15cm程の美少女フィギュアが現れる。

 ジャパンリーグ最強のフィギュドール、アリスだ。


「さ、やろうか。私は常に本気だが、構わないだろうか?」

「はっ、はいっ! ……その、光栄です。私、ずっとアリスのことが」

「フッ、こそばゆいな。だが、嬉しくもある。さ、君のフィギュドールもセットしたまえ」


 あくまで星音は、余裕の態度を崩さない。

 千代はどぎまぎと手間取りながらも、先程本屋で使っていたフィギュドールを取り出した。星音のアリスとは対象的に、味気ない黒のレオタード姿である。

 アリスは、迷彩柄めいさいがらのズボンをはいて、上はへそ出しのスポーツブラ風だ。

 だが、千代のフィギュドールと並ぶと、圧倒的な威容に驚かせる。

 頭一つくらい、アリスの方が長身だ。


「むっ……体格が絶対的な戦闘力の差とは思えんが、これは」

「まあ、そうだね。輝クン、はっきり言って千代さんは不利だと思う。でもほら、エキシビジョンマッチみたいなものだし。それに……アリスより有利なフィギュドールなんて、この日本には存在しないよ」


 薫の言う通りかもしれない。

 星音は日本最強のドールマスター、そして彼女のアリスは無敗のチャンピオンなのだ。あらゆるベルトを総ナメにし、今まさに海外のリーグに飛び出そうとしている。

 だが、その前に星音は輝を誘った。

 自分を宿敵と呼んで挑み続けてくる、輝をタッグマッチのパートナーに指名したのだ。

 その意味が、輝にはまだわからない。

 それでもゴングが打ち鳴らされれば、初めて見る星音のフィギュレスに答えを求めてしまう。彼女が戦う以上、その先に求めるものは勝利……ならば、それだけは輝と同じだ。

 戦うからには、勝つ。

 勝つために戦う。

 それが勝負というものだ。


「千代さんっ、気をつけろ! 俺様にはわかる……星音は王道、決して卑怯な真似まねはしない!」


 そう、戦いには貴賤きせんがあると星音は思っているのだ。

 だから、輝のようななりふり構わぬ戦いはしない。


「それでも、日本最強ならば油断は大敵だ。だから……む? 千代、さん?」


 思わず自分のことのように、輝は熱くなってしまった。

 輝にとって星音は、超えるべき壁、倒すべき宿敵である。

 その存在に挑む者は皆、輝と同じ場所に立ってる気がするのだ。

 だが、千代は違った。

 彼女の表情には、至福の限りを散りばめた多幸感がいろどられていた。


「ああ……私があのアリスと。アリスのドールマスターさんと」

「お、おいっ! 千代さん、いいのか? その憧れの戦いだ、気合を入れねば」

「もう、同じリングに立てただけでも……昇天、しそう、です……!」

「千代さん!」


 筐体が広げるAR空間は、先程の満員御礼のアリーナとは違う。まるで、武道の道場のような殺風景な景色を広げていた。雑多なトレーニング器具が並ぶ中で、部屋の中央にはリングがある。

 そのリングの上で、アリスと無銘むめいのフィギュドールは向き合っていた。

 ゴングがすでに鳴らされたにもかかわらず、両者は動かない。

 だが、じゅるりと口元を手の甲で拭って、千代は眼光鋭くスマホへ指を滑らせた。


「証明する……憧れのアリスに、自分の全てを! 私が作った、対アリス用フィギュドール……行きなさいっ、アスカ!」


 ――アスカ。

 それが華奢きゃしゃ矮躯わいくの名だ。

 千代の声を受け、弾かれたようにアスカが走り出す。

 真正面からアリスに突っ込んでゆく。

 そのスピードは、先程輝が見せてもらった薫のリンクスをしのぐ。まるで弾丸で、撃発した千代の闘志が宿っているように見えた。

 そう、アスカが強いフィギュドールなのが輝にもわかった。

 フィギュレスには素人しろうとだが、すぐに察して感じ取れたのだ。

 それなのに――


「よし、アリス。いつも通りだ。……圧倒しろ」


 トントンと軽くその場で飛び跳ねてから、アリスが消えた。

 リングの上に姿が見えなくなったのだ。

 それは、アスカが組み合おうと間合いを詰めた瞬間だった。

 輝にも見えなかった……恐らく、この場の誰にも。

 観戦している子供達だけが、無邪気に「おおー!」と声をあげていた。

 ただ、それだけ。

 他になにもない。

 それだけの一瞬が、勝敗を決めた。

 次の瞬間には、アスカはマットに倒れて動かなくなっていた。


「なっ……なにをした、星音! 今、なにを」

「見ての通りだ、輝」

「見えなかったではないか! 見えぬから聞いている!」


 それは、アスカに指示を飛ばしていた千代にも見えなかったようだ。かわいそうに、なにが起こったかわからず、彼女は呆然ぼうぜんとしたまま固まっている。

 やはり、一番アスカへ眼差まなざしを注いでいたドールマスターでも、見えなかった。

 実際には、アスカはダウンしたまま動けず、ゆっくりとアリスが背を向ける。

 自分のコーナーポストに戻るアリスの余裕さ、その優雅ゆうがさが輝を戦慄させた。

 そして、自分の網膜もうまくに焼き付いた記憶を冷静に思い返す。


「そうか、そういうことか……一撃、だと? ただ一度の蹴りで……」

「えっ、輝クン! 見えたの? ボク、全然なにがなんだか」

「蹴りだ、ハイキック……そう、まるで首筋に巻き付くような」


 ギシリと小さくロープを鳴かせて、アリスは青いコーナーポストによりかかる。

 汗一つかいていないのは、彼女がフィギュドールだからではない。

 実際に運動量が最小限、なにも全力を振り絞ることがなかったからだ。

 何故なぜなら、アリスはただ一度だけ、一発の蹴りを放っただけなのだから。


「正面からアスカは組み合おうとした。つかみかかったのだ。その時……アリスのハイキックが見えたような気がする」


 輝は気付けば、手に汗を握っていた。

 そして、余裕の笑みでうなずく星音を見て、確信する。

 まさに、一撃必殺……一発の蹴りが勝敗を決めた。

 千代もようやく、その現実を受け入れたようだった。

 そして、輝は現実を認識した瞬間……筐体に駆け寄り、叫んでいた。


「おいっ、アスカ! 立て! 立つんだ! この俺様が言ってるんだ、立つのだ!」


 見ていられなかった。

 見過ごせなかった。

 輝には、いわゆるワンパンKOノックアウトで沈んだアスカが自分に思えたのだ。

 筐体の映し出す立体映像にノイズが走るくらい、叩いた。慌てて止める薫を腕にぶらさげながら。声を限りに叫んでいた。

 自分もそうだったから、黙っていられなかった。

 鎧袖一触がいしゅういっしょくとはこのことで、いつも星音に負け続けてきた。

 それでも、挑むために立ち上がった……負けても、負けで終わらなかったのが輝だ。それを今、小さな人形のアスカにも求めた。自分を重ねて希望をねだるなど、ナンセンスかもしれない。

 だが、あきらめるにはあまりにもあっけなくて、凄絶過ぎる秒殺劇だった。


「待って、落ち着いて輝クン! アリスは別名、秒殺姫びょうさつき……生徒会長のアリスは、試合開始して10秒以内でのKO率が90%なんだ。試合にならない、まさにガチンコのセメントマッチ……! だから相手も最近は減って」

「ええい、薫! 放せ、俺様は冷静だ! こんなことが……星音が強いのはわかる! だが、そんな星音のフィギュアまでも……これでは!」


 気付けば、千代もげきを飛ばしていた。

 彼女と二人、輝は叫んだ。

 あらん限りのエールを叫んで、アスカを励ました。

 そして奇跡が起こる。


「嘘……ま、待って! データ上は完全に……それに、私の組んだロジックでは」


 千代の驚きをよそに、ゆらりとアスカは立ち上がった。

 その瞬間、青コーナーからアリスが走り出す。

 それが当然のように、星音はスマホをタッチしながら鼻を鳴らした。

 かろうじて立ったアスカが、ファイティングポーズを取る。足は震えているのか、ひざがガクガクと笑っていた。みるからにダメージは深刻で、立つのがやっと……だが、この小さなレスラーは立ち上がった。

 アリスは容赦なく、トドメのハイキックでアスカを沈めるのだった。

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