第4話「動き出す絆、擦れ違う想い」

 四階建てのビルは、その全てがジムの所有物。どのフロアにも、脂肪を燃やして汗を流す老若男女ろうにゃくなんにょがごった返している。

 ジムの名は、ボディルネッサンス梶原かじわら

 ヨガからエステまでなんでもありだが、ここで有栖星音アリスセイネが通っているのはエクササイズジムではない。

 玄関から入れば、受付を兼ねた広いエントランスが一同を出迎えてくれる。


「あっ、見てみて千代チヨサン。ここにもフィギュレスの筐体きょうたいがあるねっ」

「は、はい。やっぱり、身体を鍛える方も好きなんでしょうか……フィギュレス」

「今はどこに行ってもあるからねー」


 加賀谷輝カガヤテルは、友人の花園薫ハナゾノカオルが指差す方を見やる。

 刈谷千代カリヤチヨも、自動販売機の近くに置かれた筐体へ駆け寄っていった。今は小さな子供達が、自分のフィギュドールを持ち寄って遊んでいる。

 一生懸命に声援を飛ばす姿は、フィギュレス本来の楽しさに満ちていた。

 だが、それは輝の求めているものではない。

 そして、先程の千代の弟、巧斗タクトが見せた暗い情熱もなかった。


「ふむ、それで……史香フミカの奴はどこだ? まったく、人を呼び出しておいて」

「あ、あのぉ」

「ん? どうした、刈谷女史」

「あ、んと、千代、でいいです……それで」


 おずおずと千代は、周囲を見回す。

 年の頃は少し上で、大学生か社会人だろう。

 見た目は落ち着いた文学少女といった雰囲気なのだが、少女という歳でもないだろう。それでも若く、より幼く見えるのは童顔だからだろうか? まだあどけなさを感じられる顔立ちは、どこかおどおどとして不安そうに瞳を揺らしていた。

 だが、彼女は心なしか息をはずませて喋る。


「ここに、アリスのドールマスターさんがいるんですね」

「そういうことになるな」

「ど、どうしましょう……私、緊張してきました」

何故なぜだ、それはどういう」

「だって、あのアリスですよ! 私、私っ……」


 勝手に千代は赤くなった。

 そして、両頬りょうほおを手で覆って身をくねらせる。


「ずっとあこがれてたんです。どんな男性なんでしょうか……いつも試合は、通信を介したネットマッチ……あまり筐体の前には姿を現さない方なので」

「そうか、だが千代女史。いっておくが星音のやつは」

「星音さんとおっしゃるんですね! 嗚呼、素敵な名前……」


 駄目だ、まるで話が通じない。

 どうやら、千代はアリスのドールマスターである星音に特別な感情を持っているようだ。そして、どうやら同性だと気付いていないようである。

 勘違いはともかく、輝も思い返して無理からぬことだとうなった。

 このジャパンリーグで無敵の最強フィギュドール……アリス。

 そのアリスを生み出し戦わせる、謎のドールマスター。

 フィギュレスに詳しい千代が、憧憬どうけいの念を持っても不思議ではない。

 そう思っていると、エレベーターがチン! と鳴った。


「ま、待ち給え! 有栖君! 有栖星音君!」

「悪いが社長、私は忙しいのだ。……ん? ああ、どうした? 輝じゃないか」


 エレベーターの扉が開くと同時に、颯爽と星音が出てきた。

 その横では、四条史香シジョウフミカが「遅いぞ、輝!」と頬を膨らませている。

 そして、二人の後を追うように初老の男が駆け出し、先回りして両手を広げる。


「頼む、考え直してくれ! ……そもそも、もうネット上でのマッチングは難しい。かといって、インターナショナルリーグに出ていかれては、我々の立場も」


 なんの話だろうか?

 だが、千代が小声で教えてくれた。

 この男はどうやら、フィギュレスのジャパンリーグを取り仕切る、開発会社の日本支社長らしい。確か、デイロン・インターナショナルという国際企業がフィギュレスの全てを牛耳っている筈だ。

 どうやら揉め事のようで、薫も興味津々である。

 星音はいつもの泰然たいぜんとした無表情で、泣きつくような社長を手でどけようとした。


「もう一度言うぞ、社長。私は相手がいない以上、海外へ戦いを求める。幸い、国内で取っていないベルトは一つだけだ。それが終わり次第」

「それは困る! プロレスには、スターが必要なんだよ! それはフィギュレスも同じだ」

「……

「それは戦いを見ればわかる! しかし」


 話が読めないが、読めないなりに輝は察した。

 星音はどうやら、国内では飽き足らず、海外へと戦いの舞台を移そうとしているのだ。

 そうと感じたらもう、輝は黙ってはいられない。

 誰よりもまず、自分を倒してから行けと叫びたくなった。

 現実には、一度も星音に勝ったことがない。

 だが、負け続けるつもりもないし、奴の勝利を止めるのは自分だという自負がある。歩み出ようとした一歩を踏み留まったのは、薫が腕にしがみついてきたからだ。


「駄目だよ、輝クン! なんか、話がややこしくなっちゃう。それとね」

「それと、なんだ」

「確かに今、ジャパンリーグは少し困ったことになってるの。アリスが強過ぎるから!」

「当然だ、あの星音が送り出したフィギュドール? だったか? それなのだから」

「だーかーらーっ! !」

「安心しろ、俺様がいる!」


 ずるずると薫を引きずったまま、輝は星音の前に出た。

 星音もまた「ふむ」と不敵に鼻を鳴らす。


「社長、次のイベント……レッスル・パペット・カーニバルには、私はこいつと組んで出る。唯一取っていなかったタッグのベルト、いただくぞ」

「そういうことだ! 俺様がいるからには、星音の好きには……ん? お、おい待て」

「輝、いい機会だからもう一度言っておく。お前は私とタッグを組んで、国内最高のタッグマッチイベント、レッスル・パペット・カーニバルで優勝してもらう」


 星音は昔からこうだ。

 自分で決めたらテコでも動かない。無理も道理も蹴っ飛ばして、ひたすら目標に邁進まいしんする。その背を追ってきた輝には、それが嫌というほどわかるのだ。

 なにが彼女をそうさせるのか?

 大金持ちの御令嬢ごれいじょうとして生まれ、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と非の打ち所がない万能少女パーフェクトガールだ。だが、彼女は渇望を隠そうともしない。

 そう、えてかわくように自分を鍛えてゆく。

 それが輝には、とても輝いて見えるのだ。


「……まずは事情を説明しろ、星音。いつもだがお前は勢いと流れだけで突っ込み過ぎた」

「む、そうか? そうだったか……フム。まあいい、とりあえず社長。そうだな……私と輝がもし、レッスル・パペット・カーニバルで優勝できなければ……その時は、私は社長の条件をなんでも飲もう」

「おい待て! だから今、俺様が言っただろう! 突っ込み過ぎだと!」


 唯我独尊ゆいがどくそんという言葉は、星音のためにある。

 だが、彼女の独断に社長は目を輝かせた。


「ほっ、ほほ、本当だね? 君のアリスに勝てば、ジャパンリーグに残ってくれるんだね!」

「フッ、この有栖星音に二言にごんはない。それと、忘れるな……ついでだが、この加賀谷輝も一緒だ。なにせ、タッグマッチだからな!」


 言質げんちは取ったとばかりに、小躍りして社長は行ってしまった。

 そのまま彼を自動ドアの向こうに見送り、何故か星音は満ち足りた様子だが……輝は全く持って訳がわからない。

 勿論もちろん、他の面々もさっぱり話が飲み込めてなかった。

 だが、最初に声を発したのは……意外にも、千代だった。


「あっ、ああ、あの……もしかして、アリスのドールマスターさんって……あの、輝さん」

「ん? おう、こいつだ。有栖星音、俺様の永遠のライバルにして宿敵だ!」

「……女性……女の子! しかもその制服、女子高生!」

「おっと、待ってくれ。こいつを女などという枠組みにはめてはいかん。なにせこいつは――って、オィィ!?」


 突然、千代は泣き出した。

 ボロボロと涙を零し、最後にはウオーン! と声を上げて泣き叫ぶ。

 あまりにも唐突で、輝は薫に視線で助けを求めた。

 だが、この場の誰もが予期せぬ事で、収集のつかない事態になっていた。

 ただ一人、星音以外の全員がお手上げだった。


「ふむ! よくはわからんが、私は見ての通りの人間だ。だが……もしや貴女あなたは、もしかして……私の、じゃなかった、アリスのファンの方か」

「えぐっ、ひぐ……グスン。だ、だって……あのアリスのドールマスター……年下な上に、女の子だなんて」

「込み入った事情があるのか? 弱ったな」


 史香も慌ててフォローに入り、とりあえず全員でテーブルの方へと移動する。

 ジムの会員や近所の子供達も、なにごとかと視線を殺到させていた。

 とりあえず千代を座らせ、冷たい飲み物を買ってやる。

 時刻はすでに、夕闇を迎えて夜になろうとしていた。


「……すみません、グス……あの、私……ずっと、アリスに憧れてて。アリスのドールマスターって、どんな素敵な人だろうって」

「ふむ、すまない。普通の素敵な人ならよかっただろうに。


 おい待て黙れ、みんなお視線が星音に突き刺さった。

 だが、彼女の面の皮の厚さたるや、鉄面皮てつめんぴにも程がある。

 決してナルシストなのではない。相当な自信家なのだが、その自信の根拠は枚挙まいきょいとまがない。本当に自他共に認める優れた人間、美しい乙女でもあるのだ。

 なんだか、いたたまれない空気が流れる中、薫がなんとか言葉を取り繕う。


「そ、そうだ、千代サン! せっかくだし、生徒会長のアリスと戦ってみればどうかな」


 幸い、すぐ近くにはフィギュレスの筐体がある。

 輝はその一言で、初めて星音のフィギュレスを見ることになるのだった。

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