第3話「人形達の糸が絡まる」

 加賀谷輝カガヤテルが、友人の花園薫ハナゾノカオルに見せてもらったフィギュレス。

 その楽しさと激しさの横では、姉と弟とが雌雄しゆうを決しようとしていたのだ。そして、勝利したにもかかわらず弟の方は不満を爆発させていた。

 フィギュドールを投げつけられた女性は、呆然ぼうぜんとその場に立ち尽くしてしまう。

 全くもって見ていられない。

 親しき仲にも礼儀あり、という言葉もある。

 輝には、自分が気に入らないと言うだけで介入する理由は十分だった。


「おい待て、貴様……彼女はお姉さんのようだが、その態度は気に入らんな」


 その間に薫が、うつむく女性に駆け寄り声をかける。

 薫の優しさはいつだって、輝を助けてくれる。直接自分に向けられれば心が休まるし、他者へ向けられる時は輝に守るべきものを教えてくれた。

 正義を気取る訳ではないが、気に食わない。

 そして、腕前だけは一丁前いっちょまえの少年からは、強い力の気配が感じられた。強者のオーラとでも言うべきなにかを、敏感に察する。

 正直、ようやくフィギュレスに興味を抱けたような気がした。


「なんだ、あんた。人んちの話に首を突っ込まないでくれるか?」

「ほう? 見過ごせぬ程に無様をさらしておいて、退屈なことを抜かしおる」

「……喧嘩なら買うぜ? あんた、ここいらじゃ見ない顔だな」

「貴様などに売る安っぽい拳など、持ち合わせてはいない。ただ、無様だと言ったのだ。貴様は、みじめだ!」


 去りかけた少年は、輝の方へと振り返る。

 だが、鋭い眼光に刺し貫かれても、輝は平然と涼しい表情で見詰め返した。

 まるで永遠のような、一瞬。

 周囲の客も緊張感を感じた、その時だった。

 小さな溜息ためいきこぼして、少年はやれやれと首を横に振った。


「アホくさ。悪いが俺は、フィギュレスにしか……。あんたみたいな暑苦しい奴と関わるなんざ御免ごめんだね」

「ならば、お姉さんに謝ったらどうだ? 


 薫が「えっ!?」と目を見開いた。

 驚きに黙ってしまったが、まばたきを繰り返す表情が雄弁ゆうべんに語っている。

 ――お前が言うな。

 そう、いわゆるである。

 日頃から有栖星音アリスセイネに食って掛かる。負けても食い下がるどころか、手段を選ばず喰らいついてゆく。それが加賀谷輝という男だ。

 その輝だが、さらに少年へと踏み込んで語気を強めた。


「お姉さんもまた、女の子! ! 貴様は先程、女の子にやってはならんことをした。俺様はそのことを見過ごせんな」

「――ッ! そうだよ、姉さんは女だよ! あんたに言われなくてもわかる、わかれてしまったんだ! 本当に普通の女の子だって!」


 なにかが少年の逆鱗げきりんに触れたらしい。

 彼はギラつく眼差まなざしで周囲をにらんでから、きびすを返して走り去った。

 背後では、彼の姉が「待って、巧斗タクト!」と小さく叫ぶ。

 らちが明かないので、輝が追いかけようとしたその時だった。

 不意にポケットの中から、携帯電話が着信音を響かせる。迷ったが、すでに巧斗と呼ばれた少年の姿はない。舌打したうちと共に、輝はスマートフォンを取り出した。

 電話の相手は、幼馴染おさななじみ四条史香シジョウフミカだった。


「もしもし、俺様だ!」

『俺様だ、じゃないわよ! ちょっと輝、今どこ?』

「商店街の本屋にいる。ちょっと今、取り込み中だ」

『それどころじゃないの! 星音が大変なの、いつものジムまで来て! いい? 大至急よっ!』


 一方的に言うだけ言って、史香の電話は切れてしまった。

 その間にもう、巧斗の背中は見えなくなっていた。

 しかたがないので、輝は先程の女性へと歩み寄る。薫がなぐさめているようだが、消沈して肩を落としたその姿は少し痛々しい。そして、どこかおどおどした雰囲気があって、美人なのにもったいない。長い黒髪に通りの良い目鼻立ちと、申し分ない容姿が陰って見える。

 いかにも薄幸はっこうに思えたが、輝は自分なりに言葉を選んで話しかけた。


「すまん、弟さんを引き止められなかったようだ」

「あ、いえ……私こそ、すみません」

「ん、謝ることなどない。俺様が勝手にやったこと。では、急ぎの用事があるので失礼する。薫、今日はここまでだ。また明日、いろいろ教えてくれ。今日は助かった」


 先程の電話で、史香の声には逼迫ひっぱくした硬さが感じられた。

 もしや、あの星音に危機が迫っているとしたら……それは見過ごせない。

 何故なぜなら、星音を倒すのは絶対に輝でなければいけないからだ。

 だが、泣き入りそうな声で女性は呼び止めてくる。


「あ、あのっ! もしよければ、お名前を……私は、刈谷千代カリヤチヨ、です。さっきの子は、弟の刈谷巧斗カリヤタクト

「……俺様は加賀谷輝。そっちは友人の花園薫だ」


 なにやら事情があるらしいし、そのことを千代は話し出そうとしていた。

 先程の電話が気になるが、勝手に姉弟に割って入り、自分だけの都合で去るのも失礼な話だ。なにより、フィギュドールを両手でギュムと握る千代は、今にもまぶたを涙で決壊させそうだ。

 薫の視線にうなずくと、輝は改めて千代に向き直る。


「話くらいは聞こう。手短に頼む。もし、俺様にできることがあったら言ってくれ」

「あのね、輝クンはすっごく頼りになるんだよ? ボクも手伝うし! ね、話せば少し楽になると思うしさ」


 薫の笑顔でようやく、千代の表情がやわらいだ。

 それでも彼女は、おっかなびっくりといった様子で話し始める。


「弟の巧斗は、昔から私とフィギュレスを……小さい頃からあの子、ゲームが得意で。それで、ずっと私がフィギュドールの制作と改良を、あの子が操作を」

「ふむ、それで何故あのようないさかいに?」

「私の作るフィギュドールじゃ、あの子の理想のスタイルについていけなくて。これじゃアリスに勝てないって」


 またアリスの名が出た。

 そして、急に千代は身を乗り出して早口になる。


「あの、アリスって凄いんです! 国内に敵ナシ、全戦無敗! しかも、試合開始60秒以内でのKO率は、実に80%を超えます! まさにジャパンリーグの頂点に君臨する女王!」

「お、おう……そうなのか? 薫」

「うん、無敵だよね。、生徒会長のアリスはあらゆる面で優れたフィギュドールだよ。ボクが戦ったら、100回やっても勝てないかな」


 だが、ふと輝は疑問を口にした。


「だが、先程俺様も見せてもらった。その、フィギュレスでは、フィギュドール? は、あらかじめ組み込んだ行動ロジックで動くのだろう。ドールマスターとやらは、大まかな指示を出すだけだと聞いたが」

「それは違いますっ、輝さん!」

「お、おう」


 グイグイと前のめりに、千代が迫ってくる。

 その豊満な胸の膨らみが、今にも輝に触れそうな距離だった。

 思わず輝も、普段の不遜ふそんな態度を引っ込めのけぞる。


「確かにフィギュドールは、設定されたルーチンによって動きます。でも、ドールマスターがやれることは指示だけじゃない……もっと大事なのは、応援なんです!」

「応援? 機械の人形にか?」

「はいっ! フィギュレスが普及して十年以上経ちますが、未だにフィギュドールのAIはブラックボックス……そして、フィギュドールにも感情や意思があると言われてます! この子達はフィギュアだけど、生きてるんですっ!」


 グイ、と千代が手にしたフィギュドールを突きつけてくる。

 先程、ドールマスターの巧斗が捨てるように投げつけたものだ。見れば、恐らくまだ調整中なのだろう。衣装も簡素で、まるで競泳水着のようなワンピースだ。先程見た薫のリンクスも華奢きゃしゃだが、こちらはさらに小さい。

 そのことに気付いた薫が口を挟めば、さらに千代の語り口はヒートアップした。


「体格的には必ずしも有利とは言えません! 現に、アリスはかなり絞った身体ですが、長身です。ウェイトだってそれなりに……でも、この子は全く違うコンセプトで作ったんです、私! だって、アリスと同じことをしてちゃ、アリスには勝てないから」


 千代の目は真剣だった。

 そこには、先程感じた巧斗と同等の強い意思が感じられた。

 それはもう、輝にとっては強さそのものだ。

 意思は力になる……心を折られぬ限り、負けは終わりではないのだ。負けで終わらせてしまった時、人間は本当に敗北する。

 だからこそ輝は、何度も星音に挑んでいる。

 見苦しくてもみっともなくても、そうと決めたら一直線だ。


「でも、本当にアリスは凄いんです! とても、凄くて……凄く、好きで。本当に洗練されて、ちょっと、その、洗練され過ぎてますけど。でも、ああいう尖り方に憧れてて! 私にない強さ、気持ちの強さがある気がするんです! ――あっ」


 熱っぽくまくしたてていた千代は、不意に自分の言動に気付いて赤くなった。

 イキイキとしていたのもここまで、先程同様に自信のなさで本音も本心も覆ってしまう。


「ごめんなさい、私……フィギュレスのことになると、つい熱くなっちゃって」

「いや、うらやましい。俺様には、そういうものは一つしかないからな」

「ふふ、私もフィギュレスだけ、たった一つだけ……でも、その唯一のものがフィギュレスでよかったな、って」


 そう言ってはにかむ千代を、ようやく輝はかわいいと思った。

 思考と観察で美人だと思っていたが、今は素直にかわいいと感じる。

 だが、立ち話もそこまでだった。史香に電話で先程、急いで星音のジムに行くように言われている。星音は宿敵、怨敵、好敵手……そして、幼馴染だ。彼女との戦いに決着がつくまでは、日々を平穏に暮らしてもらわなければ困る。

 だが、薫はパム! と手を叩いて笑顔になった。


「へー、生徒会長ってスポーツジムに通ってるんだ。スタイルいいもんね。そだ、よかったら千代さんも一緒に行こうよ! それならボクもついてけるし。えっと、生徒会長ってのは、アリスのドールマスターだよっ」


 瞬間、千代は全身が沸騰したかのように真っ赤になった。しどろもどろになって、身体をくねらせ始める。いいから俺様は行くぞ、と言ったその時には……輝はチョインと袖を指でつままれていた。

 千代は、憧れのアリスのドールマスターに会ってみたいと目をうるませてくるのだった。

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