第2話「今はまだ、ゴング前」

 加賀谷輝カガヤテルは今、不満をそのまま形にしたような表情で歩いていた。

 下校時間の周囲には、次々と学生達が家路いえじを急いでいる。

 時刻はまだ三時を過ぎたばかりで、誰にとっても楽しい放課後はまだまだこれからだ。


「で、どうだった? 輝クン、生徒会長に勝てそう?」


 小柄で華奢きゃしゃな友人が、隣から長身の輝を見上げてくる。

 並んで歩く彼は、花園薫ハナゾノカオル。見た目も名前も少女然としているが、れっきとした男だ。そして、輝にとっては数少ない友人である。

 今日は私服ではないので、二人が恋人同士に間違われることはない。

 だが、よく性別が迷子と言われるだけあって、薫の笑顔は今日もまぶしい。


「ん、それがな、薫。俺様は今度、フィギュレスをやることになった。星音セイネとタッグを組んで、奴と雌雄を決することになったのだ」

「えっと、ゴメン……言ってる意味わかんない。タッグを組んだら、仲間だよ? 戦うわけじゃ」

「俺様があの女と馴れ合うなど、ありえん! ……だが、薫よ」


 小さな薫を横に見下ろし、輝は本音を打ち明ける。

 本人は全く自覚していないが、何故なぜかは知らないが、同性の男子からは避けられている。普段の奇行、有栖星音アリスセイネとの勝負三昧ともう一つ……無駄に眉目秀麗びもくしゅうれいなルックスのために、女子の人気を独り占めしているからだ。

 だが、輝は色恋沙汰いろこいざたくリソースなど持ち合わせていない。

 学園中の女子から憧憬の念を注がれても、全くそれを感じぬ残念な男なのだった。


「頼む、俺様にフィギュレスを教えてくれ。薫は詳しいと見たが」

「あ、うんっ! ボクもね、結構やってるんだ。でも、驚いたよ」

「ああ、星音のことか」

「そう! あの最強フィギュドール、トップランカーのアリスを操るドールマスターが……まさかうちの生徒会長だったなんてね」

「アリス? ……ふむ、有栖星音から取って、アリスか」


 その名は、このジャパンリーグでは最強を意味する。

 今や大人気となったエンターティメント、フィギュレス……フィギュアート・レスリング。そのフィギュレスで、国内無敗のフュギュドールがアリスだ。

 そのドールマスターは、あの星音。

 彼女は密かに、フィギュレスをたしなんでいた。それは、幼馴染おさななじみの輝でさえ知らず、薫から聞いて驚きを禁じ得ない意外性だったのだ。

 しかし、どうやら隠していた訳ではないらしい。

 秘密を握って屈服させる作戦は、先程見事に失敗したのだった。


「そうだ! ねね、輝クン。このあと、ひま?」

「ん? ああ、時間に余裕はあるが」

「じゃあ、ボクがフィギュレスのこと、教えてあげるっ! ちょっと寄り道してこ!」


 ハシッ! と、腕に薫が抱きついてくる。

 彼はそのまま、グイグイと輝を引っ張り歩き出した。

 これもまた、輝が女子に、それも一部の特殊な層にキャーキャー言われる原因である。世の中には、いわゆる腐女子ふじょしと呼ばれる男性同士の関係性に過敏な女の子がいるのだ。

 薫に言われるままに、輝は商店街の方へと足を伸ばしてみるのだった。




 学園を出て徒歩で10分程で、地元の商店街を突っ切る形になる。

 古くから市民の台所を預かる場所で、近くに大型スーパー等がないこともあって大盛況だ。今どきちょっと見ない混雑ぶりで、その活況の中を歩けば賑わいが心地よい。

 輝はようやく薫に離れてもらって、立ち話をする主婦達を避けながら歩いた。


「ほらっ、輝クン! あそこだよ!」

「本屋? ああ、そういえば最近はどこにでも筐体きょうたいがあるな」

「そうなの! フィギュレスは今や、ゲームセンターから模型店、デパートの屋上まで! 娯楽を求める場所にフィギュレスあり! だよっ」


 フィギュレスは文字通り、である。

 必定、四角いリングが必要になるのだ。

 そしてそれは、立体映像を投影するAR空間展開筐体オーグメンテッド・リアリティ・デバイスとして各地に普及している。全面が3D投影ディスプレイとなった、1mメートル四方の正方形だ。

 そこまでは輝も知っていたし、実際に子供達が遊んでるのを何度か見たことがある。

 薫は本屋に入るなり、奥のスペースへ進む。ゲームアプリや音楽データを売るコーナーのすみに、筐体が複数並んでいた。その一つが空いている。


「じゃあ、ボクが実際にプレイして見せるね!」


 薫はこの手のジャンルには詳しい。

 アニメやゲームに目がなく、それが男らしくない容姿も手伝ってからかいの対象になっていた。だが、輝から言わせれば、そんないじりなど言語道断だ。いつもいつでも、彼を助けて周囲に苦言を呈する。空気など読まない、空気を読むより友を守る、輝はそういう男だ。

 趣味に貴賤きせんなど無く、なにかに打ち込む姿はとうとい。

 それは、これといった趣味を持たぬ輝にはうらやましささえ感じるのだ。

 輝の日常は全て、あの星音を超えるために費やされてゆくから。

 薫は嬉しそうにかばんを下ろして、その中に手を突っ込みながら話を続ける。


「そういえば、前から気になってたんだけどさ。輝クンって、どうして生徒会長に勝ちたいの? それも、あんなにまでして……親のかたき? 昔、故郷の村を焼かれたとか?」

「ン、まあ……その、なんだ。……、だな」

「輝きたい……なるほどっ! 確かに、なんでも生徒会長が一番だから、その光が輝クンを影にしてるんだね。万年次席ナンバーツーだもんね」


 なんでもはっきりと言う薫が、嫌いじゃない。

 そして、そんな彼がいつでも応援してくれることに、輝は感謝していた。

 そうこうしていると、薫は小さなプラスチック製の箱を取り出す。それをアタッシュケースのように開けば、中には可憐かれんな妖精が封じ込められていた。

 フィギュレス用の美少女フィギュア、フィギュドールである。


「これがボクのフィギュドール、リンクスたんだよっ! どう? かわいいでしょ」

「むう……その、薫よ。俺様、見ててなんだかとっても恥ずかしいんだが」


 薫が差し出すフィギュドールは、露出度が際どい。そして、無駄にフリフリな衣装を着ている。胸元やわきがガラ空きチラ見せで、どう見ても格闘技の装束しょうぞくには見えない。

 おまけに、何故かリンクスと呼ばれたフィギュドール……頭にネコの耳がある。

 ますますわからないが、薫は気にせず筐体の上に相棒をセットした。

 そして、ポケットからスマートフォンを取り出し、専用アプリケーションを立ち上げる。


「操作はスマホのタッチパネルなんだ。大雑把おおざっぱな指示しかできない。事前にフィギュドールのAIに、行動ルーチンのプログラムをインストールしておく必要があるの」

「なるほど、ようするに半分オートで動くということか」

「うん! ちょっと見ててね……スパーリングモード、相手の設定をCPUコンピュータに」


 スマートフォンを介して、薫が筐体にアクセスする。

 光が天井まで舞い上がって、あっという間に卓上をAR空間が埋め尽くした。

 そこには、薫の後ろで見守る輝にもはっきりとわかる熱狂があった。

 視界一杯に広がるのは、観客で埋め尽くされたスタジアム。その中央にあるリングに、二人の少女が立っていた。ビキニスタイルのお姫様っぽいのがリンクスで、相手は黒いワンピースの簡素なレオタードだ。

 どうやらこれから、薫がCPUを相手に戦うらしい。


ちなみにボクのファイトスタイルは……ルチャ・リブレ! フィギュドールの語源は、空中殺法メインのメキシカンレスラー、ルチャドールからきてるの」

「ほう! では、俺様に存分に見せるがいい。お前のフィギュレスを!」

「もっちろん! いっくよーっ!」


 薫がスマートフォンへ指を走らせる。

 すぐに小さなフィギュアが動き出した。

 リンクスは軽快なステップを踏みながら、CPUの周囲を回り始める。当然だが、割れんばかりの大歓声が輝にも伝わってきた。

 互いに距離をはかるように、二体のフィギュドールが近づく。

 そして、ガッチリと四つに組み合うなり試合が動いた。

 小さなAR空間の中では、観客の声援や野次やじまでがはっきり聴こえる。


「まずは小技、ダメージは低いけど返されにくい技を狙ってくんだー」

「ほうほう」

「ダメージを負ったフィギュドールへは、大技の成功率がUPするんだよっ」

「道理だな」

「あとは、見栄みばえが大事っ! 投げる、打つ、極める……そして、飛ぶっ!」


 楽しそうに声を弾ませ、薫は次々とリンクスを踊らせた。

 そう、まるで舞うように戦う。

 意思ある生き物のように、リンクスは飛び跳ね、躍動する。身軽さがウリのようで、側転やバク転を交えて、コーナーポストにも果敢に駆け上がる。相手の攻撃を返す時にも、柔軟な俊敏性で華麗に立ち回っていた。

 なるほど、わかった。

 プロレスそのものだ。

 そして、

 老若男女に大人気で、わかりやすくて単純明快、しかしフィギュドールの改造やロジック構築は奥深そうだ。趣味として没頭すれば、きっと豊かな時間が送れるだろう。

 だが、それだけしかわからない。

 あの星音がどうしてのめり込んでるかも、理解できなかった。


「……す、すまん、薫。俺様には、その、なんだ」

「ん? ああ、ボクこそゴメンッ! 一人で楽しんじゃった。そうだ、実際に輝クンもやってみようよ! ボクのリンクスたんを使って!」

「い、いや、ええと――」


 その時だった。

 奥の筐体から、一際大きな歓声があがった。

 ちらりと見やれば、どうやらドールマスター同士の対戦が終わったようである。

 そして、一組の男女が勝者と敗者に分けられていた。

 そこには、カップルや友人同士が持つ親しさがない。そして、遊戯ゲームとしてのフィギュレスである以上の深刻さが感じられた。

 まるでそう、真剣勝負の果たし合いを終えたあとのような緊張感。

 輝達と同世代と思しき少年は、自分のフィギュドールを手に取り、それを対戦していた女性へ投げつけた。。


「これでわかったろ、姉さん……こんなフィギュドールじゃ、アリスには絶対に勝てない。姉さんにただ勝てる程度のフィギュドールなんか、求めていないんだ」


 どうやら姉弟きょうだいのようで、少年は星音のフィギュドールの名を口にした。

 そのまま彼は、呆然ぼうぜんと立ち尽くす女性に背を向け、去ってゆく。

 見送る輝と一瞬目が合って、鋭い視線の刃が光った。それは輝の中に響いて、もやもやした煮え切らない気持ちに点火する。ともったのは、純粋な闘争心だった。

 輝は強者と戦い勝利すること、それくらいしか楽しみのない男なのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る