第5話-03 ヤドリギ

 目を開くとそこには、心配そうにこちらを覗き込む降姫の顔があった。何が起きたのか分からないまま、僕は体を起こす。


「外彦くん、大丈夫?」

「え、うん……」


 ずきずきと痛む側頭部を押さえながら、こうなってしまう前のことを思い出そうとした。

 確か犬崎が書類を持ってきて、それを僕が見たいと言って、その中に書かれていた名前が――


「うぅ……」


 ずきんと頭が痛み、記憶をそれ以上さかのぼることができない。その代わりに浮かんだ疑問を口にした。


「降姫、なんでここに」

「外彦くんのことが心配で……」


 周囲を見回すと、質素な家具が並ぶ部屋のようだった。多分、さっき入ろうとしていた拠点の部屋だ。室内には僕たち以外には誰もおらず、だけど机の上には一枚の紙が置かれていた。


『聞き込みに行ってくる。君はここで待機するように』


 硬い筆跡で書かれたそれは、犬崎の置手紙だった。僕はそれを持ち上げた後、慌てて壁にかけてあったコートを着て外に飛び出そうとした。時計によればまだそう長い時間が経ったわけではなさそうだ。また失敗するところだなんて犬崎さんに見られたくはない。しかし、そんな僕の前に降姫は立ちふさがった。


「外彦くん」


 彼女の真剣な眼差しを受けて立ち止まる。


「私もついていっちゃ……駄目かな?」


 ぎゅっとこぶしを握り締めながらの言葉に、僕はちょっとだけ気圧された後、当たり前の事実を述べた。


「駄目だよ、降姫」


 思考が冷え切り、単純な答えだけが残される。


「君は何もしないでいいんだ。僕が君を守ってみせるから」


 僕の宣言に、降姫はそれ以上に食い下がってはこなかった。僕は降姫の横を通り過ぎ、外に続くドアへと手をかけた。


「いってきます、降姫」

「……うん、いってらっしゃい」







 拠点を飛び出してから気づいたが、犬崎の居場所が分かるものを僕は何も持ち合わせてはいなかった。場所を指定されたわけでもなく、通信機があるわけでもない。だけど拠点に戻るわけにもいかなくて、僕は拠点の周辺を犬崎を探してうろうろと歩き回ることしかできなかった。


 その時現れたのは、つい先ほど見たばかりの少年だった。


「おっ、さっきの軍人さんじゃん」


 少年は楽しそうな足取りで僕に近づいてくると、再びあの紙袋を取り出して僕の前にちらつかせ始めた。


「なあなあ、軍人さん。これ買わないか? 安全だぞ。何にでも効くんだ」


 ほとんど同じ身長の少年を振り切ろうと僕は足を動かすが、彼はそんな僕の前に回り続けてしつこく付きまとってきた。


「なあ軍人さん」

「軍人さん軍人さん」

「なあなあなあったら、軍人さんーー」


 粘着されて五分ほど。堪忍袋の緒が切れかけ、僕は立ち止まって叫んだ。


「あーもう! 僕は『軍人さん』って名前じゃない。外彦だ!」


 僕の言葉は狭い路地に響き渡り、反響していった。狭苦しい住宅の中からいくつもの視線がちらりとこちらに向けられたが、軍服姿の僕を見るとすぐに目をそらされた。少年も彼らと同じように怯んでくれればよかったのだが――


「そうか! 俺は従矢じゅうやだ。よろしくな、外彦!」


 にっこりと明るい笑顔を向けられて、毒気が抜けてしまう。だけれどここで退いてしまうわけにはいかない。僕はそっぽを向いてつかつかと歩き始めた。


「仕事中なんだ。あっち行ってよ」

「嫌だね。お前がこれ買ってくれるまで逃がさない」


 悪戯っぽい表情でひらひらと紙の小袋を振られる。僕は顔をゆがめて彼に背を向けた。


「外彦さぁ。仕事って何やってんだ? 探し物とか?」


 答えなければこのままずっとついてくるだろう。むすっと唇を尖らせながら、端的に僕は答えた。


「危険な鬼欠片の情報を集めてるんだよ。最近そういうのが流行ってるらしいから」

「ふぅん、鬼欠片。鬼欠片ねぇ」


 従矢は目を斜め上にやって考え込んだ後、にっこりと僕に笑んできた。


「母さんがそれについて知ってるかも」

「えっ」


 思わず立ち止まって彼の顔を凝視してしまう。従矢はにこにこと笑うばかりでその真意は掴めそうになかった。


「どうだ? 一緒に来るか?」


 どんなにうさん臭くても数少ない手がかりだ。何より犬崎さんの前でもう失敗は繰り返したくない。なんとかして成果を持って帰らなければ。

 僕は重々しくうなずき、従矢はにひひっと上機嫌に笑った。






 従矢が案内したのは住宅地のさらに奥、押しつぶされるかのように存在している木造の小さな店だった。


「ただいま母さん! お客つれてきたぞ!」


 従矢が駆け込んでいくと、店の奥から一人の女性がゆっくりと姿を現した。腹が膨れているので身重なのだろう。

 彼女は店先にいる僕の服をちらりと見て、顔をひきつらせた。


「ああもう。またなのね、従矢!」


 ごつんと拳骨を落とされ、僕は自分のことでもないのに頭を押さえて後ずさった。あれは痛い。


「ごめんなさいね、そうやって店に連れてくるのがこの子の常套手段なの」


 ころりと雰囲気を変えて母親らしきその女性は僕に振り向いてくる。彼女が僕に押し売りをしてこないことに疑問を覚えていると、彼女は優しく微笑んだ。


「さすがに軍人さんに押し売りするほど命知らずじゃないわ」


 ほら従矢、店を手伝いなさい!

 そう言って従矢の母親は彼を引きずって店の中へと連れていき、それにつられるようにして僕も店内に入っていった。店内には雑多な品物が小箱に入れて並べられており、おそらく雑貨屋なのだろうと想像がついた。

 ケホケホと彼女が咳をする音が聞こえる。奥の畳敷きの部屋へと目をやると、机の上にはついさっき従矢が売りつけてこようとした紙の小袋があった。


「あ。その薬って……」


 僕が指さすと、母親は仕方なさそうに眉尻を下げた。


「ああ、従矢が押し売りしようとしたのね。もう、お医者様からもらったものなんだから、持ち出すなってあれだけ言ってるのに」


 一体何の薬なのか。怪訝な表情を向けていると、母親は苦笑して薬の包みを掌の上に出した。


「本当に怪しい薬じゃないのよ。ほら」


 そのままそれを口に運び、飲み下す。僕はそれを凝視していた。しかし彼女が酩酊している様子は見受けられない。


「私も飲んでるの。ヤドリギっていってね。ただの漢方みたいなものよ」

「そうなんですか……」


 どうやらただの邪推だったようだ。ちょっとだけ恥ずかしくなってうつむくと、従矢の母親は僕に視線を合わせてきた。


「ところで軍人さん。あなた帰り道は分かるのかしら?」

「えっ、ええと……」


 しどろもどろになって僕は視線をさまよわせる。覚えている、はずだ。途中何度も細い道を通ったせいでちょっと怪しくなっているけれど――


「従矢、軍人さんを表通りまで送ってあげなさい」

「ええー、なんで俺が!」

「あなたがつれてきたんでしょう。最後まで責任持ちなさい!」

「……ちぇ、分かったよ」


 ぶつぶつと言いながら従矢は僕の手を取って店の外へと歩き始めた。


「ほら行くぞ!」

「い、痛い、痛いって!」


 腕を動かして抗議すると、従矢はあっさりと僕の手を放してくれた。その反動でたたらを踏む。


「もう、なんでそんな乱暴なのさ!」

「悪い悪い。お前ならちょっといじっても許される気がしてな!」

「もーーーっ!」


 僕は全身で怒りを表すが、従矢はそれを軽く流すばかりだ。だけど久々に降姫以外の同年代の子と話せたような気がして、僕は内心ちょっとだけ楽しくなっていた。

 しかし――


「けほ、けほ」


 異変は小さな空咳からだった。


「大丈夫? 風邪?」

「いや、これは元から――ゲホッ」


 体を折り曲げて従矢は重い咳を繰り返す。背中をさすったが、無意味のようだ。


「ゴホッ、グッ、ゲホッ……」


 だんだんひどくなっていく咳に、いよいよ不安になってきた僕が誰かを呼びにいこうと顔を上げたその時、咳とともに従矢の口から赤黒い物体が転がり出てきた。


「これ、鬼欠片……!」


 見間違いようのないそれをはっきりと見てしまい、僕は息も絶え絶えな従矢に視線をやる。従矢は熱に浮かされたかのようにその場所を呟いていた。


「び、びょういん、病院に、行かないと」


 これは間違いなく鬼欠片だ。きっとここに鬼切を呼ぶべきなのだろう。だけど鬼切を呼びに行っている間に彼が死んでしまったら?

 ぐるぐると回る思考をなんとか押さえつけ、僕は意を決して彼に肩を貸して立ち上がった。


「分かった。病院に行こう。どこにあるか分かる?」

「あ、ああ。悪いな」

「いいんだよ。こういうときはお互い助け合うのが普通だから」


 ふらふらとおぼつかない足つきのまま、僕たちは病院へと歩いていく。幸いにもその小さな病院は現在地から二ブロックほど先に存在していた。


「すみません! 急患なんです!」


 ドアを引き開けて声を上げる。すると、病院の奥からばたばたと足音を立てて、白衣の医師が姿を現した。


「これは……!」


 医師は言葉を失ったあと、すぐに従矢に手を貸した。


「よく連れてきてくれた。さあ、従矢くん。こっちだ」


 ばたんと病院のドアが閉じ、僕は大きく息を吐く。どうして彼は鬼欠片を吐いたんだろう。彼は鬼なんだろうか。鬼欠片を吐く、そういう種族なんだろうか。

 なんにせよ鬼切には報告すべきだろう。だけど、彼をここに一人置き去りにすることもできず、僕は治療が終わるまでの数十分を病院の前でしゃがみ込みながら過ごしていた。

 やがてがちゃりとドアが開き、さっきよりもずっと顔色がマシになった従矢が出てきた。その右手には紙袋にいくつも入ったヤドリギが抱えられていた。


「……大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。いつもの発作だからさ」


 従矢は紙袋の中からヤドリギを取り出し、上を向いて口の中へと放り込んだ。


「これさえ飲んでれば元気になれるんだ」


 ごくりと飲み下し、しっかりとした足取りで従矢は歩き出す。きっと家に帰るのだろう。僕はそんな彼を追いかけた。


「そういえばお金は大丈夫だったの?」

「ああ、それは大丈夫なんだ。あの人は病人からお代を取らないので有名なんだよ」


 へぇ、と僕は声を漏らす。


「もう大丈夫だ。さ、お前を大通りまで送らなきゃな」


 でも、と言いかける僕を、従矢は手をかざして止めた。にやりと笑っているその顔には先ほどの苦しそうな色はもうなく、そしてここで断っても無意味だということはすぐに理解できた。


「……分かったよ」


 僕の返答がお気に召したらしく、従矢は僕の手を取って軽やかな歩調で歩き始めた。


「それにしてもお医者さんがお金を取らないだなんて、どうやって生活してるのかな」


 ぼそりと呟いた僕の疑問になんでもないことのように従矢は答えた。


「んー、なんでも後ろ盾がいるらしいぜ。たしか、ジョロウグモとかいう――」

「……え」


 僕はさらに尋ねようと従矢の腕を引き寄せようとした。しかし、その直前に起こった変化に、僕の力はあっさりと振り払われてしまった。


「え、あ、なんで」


 彼の肌からは赤黒い結晶がぼこぼこと浮かび上がってきていた。その変化は手足から顔にも及んでいる。従矢はもだえ苦しみ、再び地面に膝をついて鬼欠片を吐いた。


「従矢……!!」

「薬飲んだ、のに、どうして」


 ガラガラと音を立てて鬼欠片が積みあがっていく。その中心で従矢は様々な関節を変な方向に捻じ曲げながら異形の姿――鬼へと姿を変えていった。

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