第3話

第3話-01 沼御前

「ふんふふんふーん……」


 鼻歌を歌いながら、分けてもらった裁縫針に黒い糸を通す。袖を折り込んで、細やかな手つきでそれを縫い付けていく。慣れたものだ。ここに来る前いつものようにしていたことなのだからすぐに忘れるわけがない。

 糸の端で玉止めをして、パンッと布を広げてみる。僕のサイズにまで袖を詰めた鬼切の軍服だ。ふふ、と自然と笑顔になってしまっていた。


「外彦くん嬉しい?」

「えへへ、まあね」


 改めて言われるとちょっとだけ恥ずかしくなる。それでも滲んでくる喜びは本物のようで、口元に浮かんだ笑みは隠せそうにない。

 刀を振るって悪い鬼を討つ。単純だが間違いなく正しい行為をしているのだという実感があって、誇らしさをもって僕は今日も軍服に袖を通している。

 ほんの数日、一緒に行動していただけだというのに、僕はこの鬼切という組織にもっと認められたいと思うようになっていた。

 いきなり渡されたこの軍服も、早く服に着られている感覚を脱したいものだ。僕はまだダボついてしまう腰をぎゅっとベルトで締めた。


「うん、この服に恥じないようにしないとね!」


 大きく胸を張って降姫に宣言すると、彼女はこくこくと僕にうなずいた。僕は軍服が似合っているか洗面所にある鏡で確かめようとして――その鏡が割れていることを思い出した。

 部屋に洗面所とお風呂があるのはうれしいけど、鏡が割れているのはどうにかしてほしい。


「お風呂のこと言いに行くの?」

「うん。犬崎さん、今日、本部に帰ってくるって話だったし」


 ぴょんっと跳ねるようにしてドアに近づくと、その後ろを降姫も軽い足取りでついてきた。僕はドアノブを握り、ふと思い出して自分の刀に手を置く。


「そうだ、降姫の力のことも一緒に聞きにいかないと」


 数日前の戦闘の際、僕の刀には謎の力が宿ったような感覚があった。目で鬼を睨み、切り裂く力。だけど降姫に尋ねてもうまく説明できないようで、同じ隊の向井堂にも聞いてみたけれどよく分からないという返答だった。

 犬崎隊長なら何か知っているかもしれない。何しろ彼は僕と似た性質らしいのだから。


「でも何が似てるんだろうね」

「うん……」


 ひそひそと会話をしながら廊下を進んでいく。すれ違う隊員にちらりと見降ろされるのはちょっとこそばゆいが、そろそろ慣れるべきかもしれない。犬崎さんが何を思って僕を拾ってくれたのかは分からないが、僕のような子供がここにいるのは異質そのものだろうから。

 犬崎の部屋は僕の部屋の五つ隣にあった。僕はドアの前で一度深呼吸した後、コンコンとノックをした。


「あの、犬崎さん、いますか?」


 返事はなかった。もしかしたらまだ部屋に戻っていないのかもしれない。数秒待った後立ち去ろうとすると、僕の背後からカタン、と音が響いた。振り向くと犬崎の部屋のドアはほんの少しだけ開いていた。


「あれ? 確かに閉まって……」


 不審に思いながら僕はドアノブに手をかける。そっと引いてみると、きぃと軋む音を立ててドアは簡単に開いた。だが、部屋の中には人影はない。誰もいないようだ。


「犬崎さん……?」


 そろそろと足音を忍ばせて、部屋の中に入る。僕は一度、恐る恐るついてきた降姫を振り返り、再び視線を前に戻すと、濁った緑色の目と目が合った。


「うひゃぇあ!」


 そこに立っていたのは黒髪の少女だった。ただの少女だったならいい。彼女は底知れない不気味さと妖艶な表情を兼ね備えた存在だった。恐怖と緊張とで心臓が跳ね回り、僕は彼女を指す名前をつぶやいた。


「ごぜん、さま……?」


 黒に緑を孕んだ少女――御前様はにんまりと笑みを深めると、初対面の時のように僕の顔を覗き込んできた。蛇ににらまれているかのような気分になって、僕はがくがくと足が震えてしまうのを感じていた。


「なまえは」


 淡々とした口調で彼女は言う。咄嗟に返すことができなかった僕に、少女はさらに距離を詰めてきた。


「なのれ」


 数秒の沈黙の後、名前を聞かれているのだと気づいた僕は、カラカラに渇きつつあるのどをこじ開けて、慌てて自分たちの名前を口にした。


「と、外彦ですっ。こっちは降姫」


 背後で困惑の表情を浮かべる降姫を指してみる。

 だが僕の返答が気に入らなかったのかもしれない。御前様は表情を一切崩さないまま、僕から一歩離れ、首をかしげてみせた。


「なんのよう?」


 そのしぐさは文字通り人形のようで、僕は彼女から目を離せなくなっていた。それは、降姫とはまた違う、ただただ「きれい」な笑顔だった。僕は一歩後ずさろうとしながら、なんとか言葉を吐き出した。


「あの、あの、えっと。ふ、降姫の力について聞きたくて」

「ちから?」

「戦ってる時、降姫の力が僕に流れ込んでくるような気がしたんです、それで……」


 ふと隙をついて彼女は僕の目の前に迫ってきた。彼女に頬を撫でられ、身動きが取れなくなる。彼女はそのまま口を開け、僕を飲み込もうと――


「沼御前」


 背後から聞こえてきた聞き覚えのある声に、僕はパッとそちらを振り返る。そこには開け放ったドアのすぐ向こうで刀に手をかける犬崎の姿があった。


「その子は餌じゃない。離れろ」


 餌。餌……!?

 不穏な単語が聞こえ、僕は全力で彼女から飛びのこうとした。しかし彼女はそんな僕の首の後ろを捕まえて、犬崎に不満そうな顔を向けてみせた。


「御前ちゃん」


 何のことか分からず、僕は彼女と犬崎の顔を見比べる。彼女は繰り返した。


「御前ちゃんと呼べ」


 犬崎の顔がぐっと歪むのが見えた。多分彼女を「ちゃん」で呼べという意味なのだろう。でも嫌そうだ。まるで顔をしかめる猫のようだ。一秒、二秒経ち、だけどそれ以外に方法はないと観念したようで、犬崎はぼそぼそと小声で言った。


「……ごぜんちゃん」


 俯いて真っ赤になりながら言う彼に、沼御前は満足したようで、僕をあっさりと解放すると、踊るような足取りで犬崎へと歩み寄り、彼の顔に手を伸ばした。


「いい子」


 羞恥から上気した彼の頬を撫で、沼御前は満足そうに笑む。犬崎は最初されるがままになっていたが、一度ぎゅっと唇を噛むと、それを振り払って踵を返した。沼御前は自然な足さばきでそんな彼の前に回り込んだ。


「ぼうや、どこにいくの?」


 答えるまで逃げられないと悟ったのかもしれない。犬崎は苦虫を嚙み潰したような顔をして、それからしぶしぶ口を開いた。


「蛤様のところだ。一連の事件の情報を貰いに行く」


 聞き覚えのない単語に、僕は首を傾げる。僕のそばに寄ってきた降姫も首を傾げている。どんな存在であってもこちらには関係ないことだろうと油断していると、突然、沼御前は僕たちを指さした。


「外彦と降姫もつれていけ」

「え、ええ?」


 僕はともかく降姫も一緒というのはどういうことだろう。僕たちが顔を見合わせていると、沼御前は淡々とした、だけどどこか楽しそうに言葉を紡いだ。


「きっとおもしろいことになる」


 犬崎に目を戻すと、再び心底嫌そうな顔をしていたが、やがて何を言っても無駄だと悟ったらしく、大きくため息をついた。


「……分かった。連れていくだけだぞ」

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