第2話-02 震える手

「じゃあ行ってくるから……降姫はここで待っててね」


 そう言い置いて、僕は犬崎の背中を追いかけた。彼は大股で路地の奥へと入っていき、僕は小走りになりながらそれについていく。

 やがてたどりついたのは、ただでさえ薄暗い日光がほとんど降り注いでいない、背の高い建物だった。犬崎は建物前の障害物で身を隠して待機していた班員に駆け寄ると、彼同様にしゃがみこんだ。


「お。隊長、ちーっす」

「口を慎め、向井堂むかいどう。……この子が例の新入りだ。色々と教えてやってくれ。外彦くん!」

「ひ、ひゃい!」


 突然話題を振られ、油断していた僕は小さく飛び上がってしまう。犬崎はそんな僕に眉を寄せながら、壁に立てかけてあった一振りの刀を僕に手渡してきた。


「今日はこれを使うといい」


 その刀は僕の腹ほどまである長い刃を持っていた。自然と、その柄を含めれば僕が扱うには圧倒的に長すぎる代物だ。そして、そのつば近くには何かをはめ込むためのへこみが作られているようだった。


「本当ならここに自分の持つ欠片を食わせて戦うものなんだが……君の場合は少し違うようだな」


 少し違う、と言われて、心当たりのない僕は首を傾げる。だが犬崎はそんな僕の肩に手を置いてぽんぽんと撫でてきた。


「問題ない。俺も君と同じようなものだ。安心して刀を振るってくれ」


 あとは頼んだ、と言い終わると、犬崎は他の待機している班員のもとへと姿勢を低くしながら駆けていった。残された向井堂は僕へと向きなおり、手を差し伸べた。


「よろしくな、新入りくん」

「はい。ええと、向井堂さん?」

「おう向井堂だ。お前は外彦で合ってたよな?」


 こくりと頷くと、向井堂は僕とつないだ手をぶんぶんと縦に振った。その力が強すぎて僕は少しだけつんのめる。


「聞いたよ。お前、女の子のためにここに来たんだって?」


 突然の問いかけに、僕は混乱して動きを止める。向井堂はにまにまと笑んできた。


「かっこいいなあ、好きな子のために戦うなんて、男の子の夢って感じじゃん」

「え、え……?」


 肘でぐいぐいと腹を突かれ、僕は徐々に顔が上気していくのを感じていた。

 好きな子のためって、え? 僕、まだ犬崎さんに降姫と一緒に来たことしか言ってないのに。それがどうして好きな子のためだなんてそんな勘違い――いや、勘違いじゃないかもしれないけど!

 ぐるぐると混乱する僕を見て、向井堂はぺちぺちと僕の額を叩いてきた。


「ただの冗談だよ、あんまりマジに受け取らなくていいって。男の子が女の子つれてこんな街に来たってことはそういうことかなって邪推しただけだからさ」


 質の悪い笑顔のまま、向井堂は言う。僕はだんだん腹が立ってきて、むすっと頬を膨らませた。向井堂はそんな僕の頬を両手でむにゅっと挟んだ後、急に真剣な顔になってその状態で尋ねてきた。


「今回の標的については聞いてるか?」


 向井堂の手の平に邪魔されながらも、僕は首を横に振る。向井堂は僕から手を離し、額に手をやって大げさに嘆いてみせた。


「あー隊長、それぐらい伝えといてくれよぉ……」


 その表情に僕は申し訳なくなって、身をすくめる。向井堂はそんな僕に気づいたらしく、僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。


「そんな顔するなって。悪いのはお前じゃないんだからさ」


 ただでさえぼさぼさの髪の毛をさらに乱されて、僕は不機嫌な目を向井堂に向ける。彼は肩をすくめてそれを躱した。


「いいか、今回の相手は鬼欠片のブローカーだ。どこからか仕入れてきた鬼欠片を売りさばく奴らさ」


 僕は一度きょとんとした目を彼に向けてしまい、すぐにきゅっと気を引き締めてその話に集中し始めた。


「ブローカーってことは元締めと客がいるってことだが……今回ブローカーの陰にはジョロウグモって組織が絡んでると俺たちは見てる」

「ジョロウグモ?」


 尋ね返すと向井堂は少し考えて、顔を寄せてきた。


「お前も名前だけは知っているかもな。このあたりには笑鬼って通り魔が出るんだが……そいつもジョロウグモの一員じゃないかって言われてる」


 緊張からごくりと唾を飲み込む。しかし向井堂は僕から離れると、軽い口調で話してきた。


「とにかくヤバくて暴力的な組織だってことだよ。ここ十数年で頭角を現してきたヤクザものって感じだ」


 ほらと押し付けられ、僕は改めて刀を握りしめる。たしか犬崎はこれを魔食刀と呼んでいたはずだ。鬼欠片を食べるから魔食刀。そういうことなのだろうが、自分と犬崎は違うというのはどういうことだろうか。

 ぎゅっと刀を握りしめる僕の手に向井堂は手を乗せ、僕は彼を見上げる。


「念のため聞いておくが、鬼を切って殺すのは初めてか?」

「……いえ」


 刀を持つのが初めてというわけではない。むしろ使い慣れているもののはずだ。降姫を守るために、僕はいつだって刀を振るってきたのだから。殺すのは好まないしできるだけ避けたいと思っているけれど、刀を振るうこと自体には慣れている。

 だけど何故か今は、この刀がいつもよりずっと重く感じた。


「さあそろそろだ。準備はいいか?」


 向井堂の言葉に気を引き締める。彼の視線の先には、手で合図を送る犬崎の姿があった。

 指を立てて、三、二、一。


「突入――!!」


 響き渡る犬崎の号令と同時に、向井堂は走り出し、僕はその後ろを必死で追いかけ始めた。

 向井堂は階段には目もくれず、一階の奥へと踏み入っていった。部屋の中には数名の鬼がいたが、その全てを向井堂は切り捨てていく。さらに奥へ、奥へ。三、四、五、六。その鮮やかな切っ先の軌跡を目で追いかけていると、急に足がもつれてしまい、僕は転倒してしまった。


「ま、待って、向井堂さん」


 転んだ僕に気づかず、彼はどんどんと奥に進んでしまう。慌てて立ち上がってその後を追ったが、建物の中はかなり複雑になっており、僕は完全に彼の姿を見失ってしまった。

 僕は焦りが体中に広がっていくのを感じていたが、一方で頭の片隅の冷静な部分がある判断を僕に提示していた。こういう時は下手に動かない方がいい。隠れていれば、いつか班員の誰かには見つけてもらえるはずだ。

 そう決めた僕は部屋の隅に寄ると、迎えが来るのを待つ子供のようにしゃがみこもうとした。しかしその時――見覚えのない男が、足音荒く僕のいる部屋へと走り込んできた。


「あ……」


 拳銃を右手に持つ彼は、僕へと目をやると、僕が軍服をまとっていることに気づいたらしい。にやりと嫌な笑みを浮かべると、僕へと詰め寄ってきた。


「テメェ、鬼切か」


 とっさに反応できずにいる僕に対して、男は銃口を向けてきた。


「一緒に来い。人質になってもらおうじゃねぇか」


 拳銃を真っ直ぐこちらに構えたまま歩み寄ってくる男を、僕は混乱しながらも必死で打開策を考えた。

 ここで逃げ出す? 駄目だ。そんなことをしてもきっとすぐに捕まるだけだ。

 彼に捕まって鬼切に助けてもらう? 駄目だ。そんなことはできない。そんなことをしたら、僕は鬼切を追い出されてしまうかもしれない。

 ぐるぐる巡る思考の中、ふと自分の手には刀が握られていることに、僕は改めて気がついた。

 男は近づいてくる。時間はない。覚悟を決めろ。覚悟を決めるんだ。

 僕は、握りこんでいた刀を抜きはらい、目の前の敵へと構えた。どく、どく、と。刀に反応して、僕の中の欠片が熱く脈打っている。男は僕が抵抗しようとしてくるのが意外だったらしく、少し驚いた顔をした後、銃の引き金に指をかけた。


「銃に刀で勝とうってのか? 随分と世間知らずな――」

「やぁあああああ!」


 言い終わらないうちに、僕は刀の射程に入っていた彼の右手に切りつけた。男の二の腕から血が飛び散る。さらに踏み込み、返す刀で刃を振り下ろす。


「う、ぐぁ……!」


 傷は浅かったようだ。男は一撃で昏倒することはなく、這いずって、残った左手で地面に落ちた拳銃を拾い上げようとした。僕はそんな彼の左手を縫い留める形で、刀を振り下ろした。


「ぎゃぁあああ!!」


 聞き苦しい悲鳴を上げて男は悶絶する。僕は顔をしかめてそれを聞き、それ以上動けないようにさらに力を込めて左手に刃を突き立てた。

 男の刀傷からはみるみるうちに血だまりが作り上げられていき、僕はそれを見ながら荒い息を整えていた。

 飛び散った血が僕の靴を濡らす。ざらざらと、嫌な気分が体を満たしていく。嫌だ。気持ち悪い。吐きそうだ。なぜ?

 だって僕は元々退魔師で、何度もこの手で鬼を屠ってきたはずなのに。

 なのにどうして、どうしてこんな気分になるんだろう。


「外彦くん!」


 突然名前を呼ばれ、僕は顔を上げる。


「犬崎さん……」


 刀を握りしめながら、呆然と彼の名前を呼ぶ。犬崎は僕に近づいてくると、僕の足元に倒れ伏すブローカーの男を見て顔をしかめた。


「外彦くん、一度帰りなさい」


 なぜ、と僕は問いかけそうになった。しかしその前に犬崎は僕の手から刀を掴み取った。


「手が震えてるじゃないか。そんな状態の班員を戦場いくさばに置いておくわけにはいかない」


 ぼんやりと見下ろした僕の両手は確かに震えていた。

 どうして。戦うのなんて、初めてじゃないのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る