第7話 見えざる館

 翌朝、山を進むミオニスとジョーノ、それに続くネゴの姿があった。

 ネゴは不機嫌である、結局ジョーノを翻意させられずさりとて切り替えることもできず、ミオニスの保全を果たさすまで付いていくしかなかったからだ。自身も切り替えることができなかった、それほど彼の『異能』は魅力的で、おまけにある程度ネゴ自身で制御できているのである。

「20代目の魔王……」

「ま、待ってくれ……無理、覚えらんねえ……」

 そんな思惑を知ってか知らずか、ミオニスとジョーノは極々平然と歩みを進めていた。否、ミオニスは違う。昨夜の一見からネゴに距離を置いている一方でジョーノには魔人に似合わぬ親近を示していた。

「なんじゃ粗末な頭じゃのう」

「うっせえ、そんな一度に覚えられるかよ……あれ? 最初の飯出すのも朧げになってきたあ……ああ……」

 ジョーノの『異能』の弱点がまた一つ発覚した。相手の『異能』がわからないと盗めない、すなわちどれだけ多くの『異能』を把握できるかが選択肢を広めるわけだが、記憶力に難があった。

 名前、『異能』の名称、効果、全てそろって初めて運用できる。すなわち、どれかひとつを欠くと途端に脆弱な再現になってしまうのだ。

「ほら、見てくれよ。え~……ふ、ふ……フロ……じゃなかった、『幸腹(フルップ)』」

 食料をひねり出そうとしたジョーノだったが、現れたのは馳走でなく一粒の果実だった。

「全然憶えらんねえ」

「戦い用の『異能』なんか覚えなくていいのよ」

 厭味ったらしくネゴが言った。

「うるせえ奴じゃのう、おどれは呼んどらん」

「あっそ」

「まあまあ」

 ジョーノが間を取り持った。放っておくと喧嘩になりそうで見ていられない。

「ミオニス、そういえばなんでそっちの『異能』は変な読み方なんだ? それがなけりゃ少しは……」

「変? おどれらの方がよほど変じゃて。大体すげえなまっとるしのう」

「ええ……」

 これは言語の成り立ち、そもそも種族の成り立ちに原因があった。人と魔人は同種、魔人の中で生まれた『か弱く争いも好まない軟弱個体』が魔人の社会から逃げて集まったのが人の始まりである。魔人は周知の事実としつつも無関心から、人は成り立ちへの羞恥から始祖が隠ぺいし知られていないというだけである。

 文化や言語も元は魔人のもの。それを独自にかみ砕き伝えてきたのが人間の操る言葉である。つまり人の言葉は『変質した魔人の言葉』でしかなく、魔人から見れば『人の使う奇妙ななまり』、人から見れば『魔人に混じる奇妙ななまり』なのだ。まだ意思疎通は可能なものの、いずれは相互に解読が困難になるだろう。

「変な話だぜ」

「しかし参ったのう、おどれの脳みそお留守はいかんともしがたい」

「悪かったな」

「……」

 と、ミオニスはいきなりジョーノの頭を叩いた。

「あだあ⁉」

 軽くではあるが、石のこぶしによる一撃である。怪我、下手をすれば死の危険すらあった。

「な、何すんだよ⁉」

「ちょ、やめなさいよ‼」

「憶えたかのう?」

「え⁉ ……あれ? ……そいっ」

 ジョーノによる同じ『幸腹』の発現。だが、先ほどとは違い瑞々しい果実の盛り合わせが出現した。

「おお!」

「あらら……」

 最も驚いたのはジョーノであった、ただ殴られただけなのにあれほど朧げだった『異能』が克明に頭に刻まれている。

「よし、次」

「つ、次?」

「わしがさっき教えた19代目魔王の『異能』じゃ」

「え、えっと……だめだ、思い出せねえ」

 生じた空腹を癒すために、ネゴと一緒になって果物を食べながらジョーノは言った。やはり欠点はいかんともしがたい。

「なんで急に憶えたの?」

「やっぱ痛いからなあ……盗賊も農場もへまして殴られることはやっぱすぐ憶えるし……」

「それには同意するのう」

 ミオニスがむんずとジョーノの肩を掴んだ。その意図を察して、ジョーノは青ざめ自身の浅慮を悔いた。

「ま、まま待ってくれ‼」

「心配するない、憶えれば殴らん」

「ば、馬鹿‼ あんたが殴ると死んじゃうよ‼」

「憶えねば刺客にやられて死ぬでのう、同じことよ」

「ふざけないでよ!」

 ネゴが食らいつき、ジョーノももがいたが、ミオニスの拘束は逃れようもない。

「安心せい、軽くじゃ軽く」

「それでも死ぬんだってえ‼」

 ミオニスに悪気はない。あくまで魔人の立場に立ってではあるが。

「では初代から……」

 ジョーノは、恐怖を喚きでなくあふれる涙と震える体に必死に留め、全身全霊を記憶へと注ぎ込んだ。

 結果としてジョーノは生き残った。死に際しての底力と、最初の方で傷を癒す『異能』を教えられたことが、100数発の殴打を受けても命を繋いだのだった。

 歴代魔王の『異能』、勇士と称えられた魔人の『異能』、そのほか少しでも役に立つと判断された『異能』が、ジョーノの頭に焼き付いている。

「定期的に確認、忘れとったらまた殴るでのう」

「わ、わかった‼」

「よしよし、それでいいのじゃ」

 繰り返すがミオニスに悪意はない。人に数倍する頑健さを持つ魔人にとっては、当たり前の風景なのだった。


「北の勇士『静止の牙』カノウ」

「わ、わかる‼ 『異能』は二つ名と同じ『静止の牙』‼ 雪と

氷を自在に操れる‼ 欠点は雪か氷じゃないと操れないこと‼」

「うむ、ゆえにカノウは故郷から出なんだが、5代目魔王はそれ

を知っておってのう。焔を宿す石立を配下にして封じたのじゃ」

 その夜も山中で明かし、『異能』確認をしながら一行は相変わら

ず歩みを進めていた。それなりにあった人の手の加わった木々の

姿も消え、手つかずの原生林が周囲を取り囲んでいる。ジョーノ

とネゴはもちろん、ミオニスもさすがに歩が思い。

「よくそんなにいっぱい知ってるな……ところでさ、今更なんだ

けどどこ向かってんだ?」

「姉上のところよ、あのアホと対抗しとって他の兄妹も集まっと

るって話での」

「他にもいるのか……」

「いい? 着いたらあたしたちは帰るんだからね。魔人の戦争な

んか危ないだけなんだから……大体ね、魔人の住んでるとこまで

どれだけあると思ってるの?」

「明日にはつくんじゃないの?」

「ばか、境まででも次の氷が張る季節までかかるわ」

「え、結構かかるんだな」

 つまるところ半年近くは必要である。さすがのジョーノも少々

驚いたが、それでも揺らぎは小さい。

「う~ん、ミオニス近道とかないのか?」

「ないのう」

「ほら見なさい。いい? そんなに歩いてもー」

「もう着いたからのう」

 いつの間にか立ち止まっていたミオニスに釣られて二人も足

を置く。

「ミオニス様でございますね?」

「おう」

 3人の前に魔人が立っていた。その姿は何と言ったら良いか、

ジョーノの倍はある巨大な水滴だった。ふるふると震えて、押す

と弾力がありそうな質感を有している。それが言葉を発している

のは、なんとも奇妙な光景である。

「ネゴさん……あれ何?」

「多分、軟体(スライム)って奴だと思う。全身水なんだって」

「そちらの細立は?」

「わしの臣下よ」

「ほう……」

 軟体の響きに侮りが混じった。

「ということはお付きの者は……」

「おう、立派な最期じゃった」

「勇士へ敬意を表します」

 ジョーノとネゴは顔を見合わせた。知識の多さと部下の存在、

どうやらミオニスは中々の出のようだ。

「ご用件はリオール様の庇護を求めてでよろしいでしょうか?」

「おう、他にも来とるかの?」

「第8、第10殿下が既に。第2もおいででしたが、御めがねに

叶わず」

「そうか……で、わしのはおどれかの?」

「はい」

「よし……おどれら‼」

「お、俺ら?」

「今からこいつをぶっ殺す、さもないとわしは姉上に認めてもら

えんでの」

「は⁉」

「姉上は戦力にもならん奴を助けたりせん‼ 力を示すのよ‼」

「な……そ、そういうのは先に言えよお⁉」

 なぜ姉妹でそんなことを。そう言いたいのをこらえてジョーノ

は実務的な不満を叫んだ。 

「よろしいですか?」

「おう‼」

 宣告と同時にミオニスは『紅瞳』で軟体を爆破した。

「死んだかの⁉」

「いえいえ」

 軟体は攻撃を避けていた。そのまま滑るように、ジョーノ達め

がけて進んでいく。

「むおっ、おんどれ‼ 行ったぞ‼」

「みりゃわかる‼ ネゴさんは逃げろ‼」

「言われなくてもそうしてるわよ‼」

 ネゴはとっくに退避していた。

 ミオニスは追撃ができなかった。『紅瞳』は視認した範囲に爆発

を起こす『異能』、軟体を攻撃するとジョーノを巻き込んでしま

う。

「細立などを臣下に……哀れですね」

 もしそのまま軟体がジョーノに突っ込んでいれば、混乱したま

まの彼は難なくやられていただろう。だが、ふと漏らした侮りが

仇となった。

「……‼」

 ジョーノは自分がろくな存在でないと自覚している、他者が過

去や所業をもとに侮辱侮蔑しようともある程度は仕方ないと納

得できる。 

 だがー

「歯があったら……食いしばれよ‼」

 怒りを覚え、立ち向かうことがないとは思っていない。今回の

それは、初めて特別な感情を抱いたミオニスへの嘲りだった。

「『枯渇の帝』‼」

「なに⁉」

 ミオニスに教わった最初の『異能』、生命を吸い取る魔王クシャ

の力だ。みるみる軟体の体が縮んでいく。

「ぬああああああ⁉」

「くうっ……」

 軟体の意識がジョーノに入り込んでくる。一己の意識でも、怨

嗟の声にジョーノの顔は激しく歪んだ。

「どうじゃ? これでもまだー」

「み、認めます‼ このシロコーン第7子ミオニス様の力を認め

ます‼」

「よし、ほれ、やめい」

 ミオニスはジョーノを持ち上げて乱暴に振り回した。『枯渇の

帝』がそれで解けたのか、シロコーンと名乗った軟体の縮小はジ

ョーノの膝のあたりで止まった。混乱しているのか、表面がさざ

なみたっている。

「うおおおおおっ⁉」

「情けないのう、こんなので『異能』を解いてどうする。……まあしかし、褒めてやるかのう」

 それなりにやさしく降ろしたミオニスだが、ジョーノは『枯渇の帝』の疲労と振り回されたせいでしりもちをついた。

「細立といえど侮れまい?」

「……非礼をお許しください」

「こ、これでいいのかミオニス?」

「こら、主君に何とー」

「ええんじゃ、こいつはのう」

「は」

 シロコーンの表面のさざなみが徐々に収まっていった。

「改めまして、ミオニス様をご案内させていただきます」

「臣下もええかの?」

「は、ミオニス様のでしたら」

 ミオニスは頷いてジョーノを立たせた。

「ほら、行くでの」

「わ、わかったからもう少し優しく……」

 シロコーン、ミオニスにジョーノ、そして安全と見るや戻ってきたネゴは先導のままに進んだ。

 すると、今まで森の中だったそれが絢爛な館の内装へと姿を変えたのだった。あちこちに魔人の姿も見える。

「ようこそ、第4子リオール・デリッシャア様の別荘へ」

 驚きを隠せないジョーノとミオニスに、シロコーンは身を震わせ威厳を示そうとした。

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