第7話

 とっさに駆け寄ろうとして、後ろから追うものの正体を知った。

「あれは、タイガービー……!」

 モンスターランクD、なんとオークモドキよりも上だ。一言で説明するなら、でかい蜂である。縞々模様の腹が、ゆうに僕の胴体くらいはある。

 この森では厄介な類のモンスターだった。集団で行動する上に、さらに仲間を呼ぶことも多い。とがった口は鋭く、噛まれたらただでは済まない。蜂と言ったら毒だが、お尻の針は常に出ていて、僕の持っているナイフと変わらない大きさだ。刺されたら、毒に冒される前にイチコロだろう。

 これは、逃げることを考えないといけないエンカウントだ。けれどニールを庇いながらの逃走となると、回り込まれる。だったら……。

 ポシェットをひっくり返して中身を地面にぶちまけた。

 せっかく収集した素材になりそうな葉っぱや、木の実、植物の蔓などが無造作に放り出されたが、今は悠長に一つ一つ探っている暇はない。

「……っ! あった」

 ニールの方を見ると、すでに数匹のタイガービーに囲まれていた。しかもなぜか激怒状態。いったい何をやらかしたんだ、ニール!

 小さな布の巾着袋、それはオークモドキが集団でいた場合に撒いて逃げるために用意していたもの。大きく振りかぶって(野球なんかやったことないけどなんかそんな感じで)正面のタイガービーに向かって思いっきり投げた。

 ビーの胴体に当たったそれは、衝撃でほどけて中の粉を一気にぶちまけた。

 謎の粉攻撃を食らったモンスターは、とっさに距離を取った数匹が逃げていき、至近距離だった個体は次々に地面に落ちた。

「必殺、痺れ薬」

 って、ほんの数分動けなくなるだけなんだけどね。しかも本来の使い方とは異なる。マヒを緩和する治療薬を作るための植物を、粉末状にしたものだ。毒と薬は表裏一体って言うでしょ。本当にピンチになったら試しに使おうと思って持ってきてよかった。

 手拭いでマスクをしてから、急いでニールのもとへ走っていった。

 当然ながらニールも痺れている。だよね、うん、わかってた……ごめんね。

「動けないよね。でも、出来るだけ僕に掴まって」

 早くしないと、もう動けそうなビーがモゾモゾしている。ひと回り以上大きなニールを無造作に引き上げ、担ぎ上げるようにして背中に背負った。身体強化はこんなところでも地味に役立つ。地面を足が引き摺っちゃうのは、我慢してね。


「ふう、なんとか逃げられたね」

「すみませんでした! 坊ちゃん」

 ニールはやっとマヒから回復したようだ。身体を直角に折り曲げて、凄い勢いで頭を下げた。いつもは高い位置にあって見えないつむじが、すぐ目の前にある。

「うーん、あれだよね。たぶんだけど、クリフに言われて来た?」

「う……はい、その通りです。本当はこんな奥に入る前に止めようとしたんですが、坊ちゃんときたら足が早くて、途中で見失っちゃって」

 どうやら追いついては見失いを繰り返しているうちに、うっかりキラービーの巣の近くを通ってしまったらしい。

「坊ちゃん強いですね! それに力持ちでびっくりしました」

 担ぎ上げた時、もちろん意識のあったニールは、なんなく背負われ、そのまま駆けだした僕に仰天したらしく、ちょっと興奮気味にそう言った。

「そっか、クリフにバレてるんだ。うわあ、怒られる」

「たぶん俺も怒られるから、一緒に覚悟を決めましょう。引き留めることが出来なかったばかりか、助けられちゃいましたから」

「ごめんね、ニール」

「いえいえ、俺の不甲斐なさのせいだし、坊ちゃんのせいじゃないですよ。さて、さっきの荷物を拾いにいかないと」

 そうだった。全部放り出してきてしまった。それと、オークモドキ!

「ニールって解体できる?」

「出来ますが……ああそうか、オークモドキを仕留めてましたね」

 先ほどの場所に戻り、キラービーが居なくなっているのを確認してから、役割を分担して作業を開始した。僕は放り出した荷物を、ニールがオークモドキの解体をである。

 黙々とオークモドキを解体しているニールの横で、僕はそこら中に散らかっている素材や、薬瓶をちまちまと拾い上げていた。

 なんでも自分で出来るようにならないといけないと決意した矢先、こうしてニールに解体を任せているあたり情けないが、人間すぐにどうにかなるものでもない。

「ぼっちゃん。はいこれ背脂、大丈夫そうですか?」

「さすがニール、手際がいいね。ありがとう、助かったよ」

 ニールは幼いころからクリフにガッツリ鍛えられている。農作業のイロハはもちろん、こうした獲物の解体などもお手の物だ。本当に見習いたいものだ。

 拾い上げた薬瓶を手にとり、割れてないか確認する。この世界のガラスも、元の世界の物とさほど違いはない。透明で透き通っており、衝撃を加えると割れる。通称ガラスの石と呼ばれる鉱石を、錬金により熱加工して作るのだ。

 確認して拾い上げた薬瓶をポシェットに仕舞い、次に素材を包むための大きな紙を広げた。これは特殊加工して脂や水を通さないよう魔法錬金したものである。

「ここに……って、ニール足どうしたの?」

「大丈夫です。ビーに襲われた時、ちょっと擦りむいただけですから」

 よく見ると、濃いグレーのズボンが擦れて、わずかに血がにじんでいる。どうやら転んだ時に地面に擦ったのだろう。さらに捻りでもしたのか、かなり痛そうだ。

「ちょうどいいや、コレ使っていいよ」

「え? いや、それって錬金した薬ですよね? そんな高価な物……」

 先ほど拾い集めた薬瓶を取り出すと、驚いたニールが慌てて手を振った。

 調合のみの薬は比較的安価なのだが、魔力錬金を施した薬は高価なのだ。効き目が全然違うので、ある意味別物と言ってもいい。

「薬草園の材料で、僕が錬金したものだから、気にしないで」

「う、うわあ……待って、そんなジャバジャバと!?」

 ズボンの裾を引き上げ、赤く皮膚がめくれ上がった痛々しい傷に、容赦なく薬をぶちまけた。これは傷薬、色は一般的に赤。続いてもう一本、透き通った青い液体だ。青い薬は体力や気力を回復させる。僕の作った薬は魔力も微回復させ、それら効果はしばらく続くが、見た目は普通の回復薬と変わらない。

「相変わらず、効き目が気持ち悪い」

 みるみる傷が治っていく様子は、何度見ても慣れない。

「俺の台詞ですよ。こんなの唾でもつけとけば治るのに、勿体ない」

 唾付けるとかやめて。どんだけ雑菌がいると思ってるの? まあ、ともかく治ってよかったよ。とてもじゃないけど、足引き摺った状態でここから帰るの無理だからね。

 改めて二人はそれぞれ手分けして、荷物を片付けて帰路へとついた。

 オークモドキも簡単に切り分けてちゃんと持って帰ることを忘れない。何しろ背脂取っただけでポイっと捨てちゃ、いくら何でも浮かばれないからね。

 二人そろって屋敷に戻った時には、すっかり日が暮れた頃だった。

 どうやら捜索隊が結成しようかという、とんでもない騒ぎになっていたようだ。

 生まれて初めて優しい母が怒るのを目の当たりにした。

 あまりの形相に手を上げられるのも覚悟したが、予想に反してその腕は、背中へと回された。潰されるかと思うほど強く抱きしめられ、泣きながら怒る母の姿に、不覚にも泣き出しそうになってしまった。本当に心配をかけてしまったのだと、反省しかない。

 初めての大冒険は、こうして大波乱のうちに終わった。

 もちろん、やったことへの対価は支払わなければならない。

 僕は、父親によって、一週間の謹慎を言い渡されてしまった。屋敷の外へ、一切出てはいけないと厳命されたのだ。もちろん薬草園にも行ってはいけないと。

 結局、僕は父の書斎に籠った。

 ただ、せっかく集めた素材を無駄にするのはかわいそうだと言って、母が錬金に必要な道具を書斎の隅に設置してくれた。ありがたいことに、大掛かりなものは無理でも、紙の精製くらいならギリギリできそうである。

 あんなに心配させたのに、母には本当に頭が上がらない。

 錬金の傍ら、冒険者向けのモンスター解体の本なども読んだ。記憶はできても、こればかりは実地で覚えなくてはどうにもならないので、知識だけ詰め込むことにした。そんなこんなで一週間の謹慎期間は、あっという間に過ぎていったのである。


 完成した魔法陣用の巻物を、僕は満足げに眺めた。

 背脂の品質は申し分ない。素材剥ぎが、的確かつ丁寧だったからだ。クリフ仕込みのニールの腕は流石だった。

 そうそう、ニールもあの後、クリフの岩のような拳骨を食らったらしい。本当にごめんね、申し訳ないことをしてしまった。後で二人にも謝りにいかないと。

 綺麗に装丁された巻物を机に広げて、さっそく魔法陣を念写してみた。ぼんやりと光りながら紙に定着した魔法陣に、念入りにチェックを入れる。大丈夫、裏映りしてないし、すごくノリもいい。文句なしだ。

 とりあえず初級の攻撃魔法をいくつか作ってみた。きちんとした写生用の資料には、残念ながら初級魔法の魔法陣しか載ってなかったのだ。

 難しそうな分厚い本には、まるでネタのようなものすごい魔法陣が載っていたが、あれは伝説、というか眉唾に近い。だって、五連魔法陣だよ!? 火属性の上級魔法らしいけど、有りえないでしょ。巻物が五本とか! 探してる間に戦闘が終わっちゃうよ!?

 まあ、加えて言うなら、世の中にはもっとすごい魔法があるらしいけどね……ほんとかいな。

 とにかく、いろいろな魔法陣を見てみたい。

 一番手っ取り早いのは王都へ行くことだけど。今の僕の状況では、やっぱり学校へはやらせてもらえないかな。

 貴族が一般的に通うのは王立学校の教養科。でも僕は、できたら初等科に行きたいと思っている。いわゆる才能のある人材を発掘し、育てるのが目的の、王国が学費を全面免除している学校だ。魔力さえあれば、 平民でも無料で通えるのが特徴である。

 貴族の礼儀作法だとか、横のつながりだとか、そういう社交的な面が強い教養科とは違い、こちらは魔法や剣術、一般教養などがメインである。

 でも正直な話、もっと行きたいと望んでいる場所がある。

 それは一番上の兄、ファビオが通っているドリスタンの学園都市だ。他国だし、たぶん許してもらえないだろうから、これは内緒なんだけどね。

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ご落胤王子は異世界を楽しむと決めた! るう/ファンタジア文庫 @fantasia

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