第4話

 そもそも巻物は、魔法陣を設置するために錬金された魔法紙と、それを保護したり劣化防止を担う外側のカバーにより成り立っている。そのどちらにも等級があり、設置する魔法陣や、使用されるであろう魔力量によって、必要とされる等級が変わる。もちろん、魔法陣に見合わない巻物を使えば、どうなるかは想像に難くない。

「失礼ですが、お兄様はどの試験紙で検査なさいましたか? ご兄弟がこれほどとなると、マノン様もあるいはこの巻物では足りないかもしれません」

「あ、いえ……いいえ、前回の検査ではリュク、……リュシアンは魔力なしと結果が出ましたので」

「……え?」

 母のアナスタジアがそう言うと、エマは再び固まった。

 しばらくの沈黙のあと、気を取り直したようにカバンから幾枚かの巻物状の紙を取り出した。最後に出した物は厚手の動物の革のようなものだった。

「すみません、マノン様の検査の後に、リュシアン様にも再度検査をさせていただきますね。こちらの手違いかもしれませんので」

 試験紙の巻物をいくつかテーブルへと並べ、エマはとりあえず先ほどと同じ物を、手伝いの少年に手渡した。どうらや彼には魔力が無いらしい。魔力に反応する使い捨ての魔道具を扱うときは、時に彼のような人材が重宝されることもある。

 どうやら今度はうまくいったようだ。

 マノンの魔力に反応して、魔法陣は緩やかに光を走らせ、上から時計回りにぽつ、ぽつ、と淡いともしびを浮かべた。八つ目を光らせた後、ほわっと魔法陣が熱のない炎のように揺らぎ、フッと紙の上から消えてしまった。

「八節と少しです。次は属性を調べましょう」

 この検査での魔力の量は、大まかな目安としてしか測れない。

 魔法陣の十分割された枠にどれだけ印が灯るか、そもそもどの試験紙で検査したか、それで判断するのだ。もとより幼少期の検査では、大きな魔力量を測る検査紙を使うことはまずない。まれに魔法使いの家系などで、容量が足りなことがあるので一応、上位のものも持ち歩いているのだという。

 属性を調べるのは、各属性を持つ魔石で行う。ポシェットのような光沢のある布で出来た袋を大切そうに取り出したエマは、その中から、いくつかの色のついた石ころを取り出した。魔石は稀にモンスターから取れるもので、そこそこ貴重なものである。特定の属性にしか反応しないので、これで使える魔法の属性がわかるのである。

 長男ファビオは火と土の属性を、次男のロドルクは無属性を持っている。

 無属性は、すなわち魔法使いタイプでないことを意味する。ただし魔力や属性が無い、という意味ではない。無という属性なのだ。

 属性とは、魔力を出力するための、いわゆる窓口である。持っている魔力を、どの出口を使って放つかによって、それぞれ魔法の種類が変わるのである。

 マノンの属性は風だった。風の魔法には、守護や癒しなどの補助系や、強力な攻撃魔法もある。どちらを伸ばしても汎用性に富んだ属性だった。

 マノンもホッとした表情で、ようやく笑顔を見せた。

 彼女を部屋から退出させた後、改めて僕の魔力を測定することになった。さっき紙ごと燃えてしまった巻物より、ずっと厚手で装飾のある巻物を取り出した。扱う手つきからして、それ自体が高級なものらしい。

 広げると、先ほどとは比べ物にならないほど緻密な魔法陣が描かれていた。それこそ文字が潰れてしまうほど細かくて、とんでもない情報量だ。

 細かっ……、よくこんなの書けるよね。

 魔法陣を魔力で発動できるようにするには、特殊な紙とインク、そしてなにより描くためのスキルが必要だ。魔法陣は、ただ写し取って書いているだけではないのだ。

 鑑定のスキルを持っている者であれば、もちろん巻物は必要ない。だが鑑定のスキルを持つものは稀で、重要なポジションについていることも多く、彼らを雇うことの方が難しいらしい。そこで役立つのが巻物である。

 魔法陣の巻物は、相応の魔力さえあれば誰でも、どんな属性魔法でも、また鑑定のようにスキルでも、使えるという利点がある。もっとも特別な魔法や個人特有のスキルなど、例外はあるらしいけれど。

 じゃあ属性など関係ないじゃないか、とも思うが、事はそう簡単ではないらしい。その辺の事情は、また父の書斎に行ったときにでも調べるとしよう。

 とりあえずは検査である。

 ちょっとドキドキしていた。いや、ワクワクかな。だって、無いと思っていた魔力があるかもしれないのだ。期待は否応なく膨らんでいく。

 僕は、そっと魔法陣に触れた。

 先ほどの紙消失事件のせいで、すこしびくついていたことは内緒だ。

 今度は、……うん、紙は燃えなかった。

 けれど、すごい勢いで魔法陣が外周からぐるりと眩しく輝き、フラッシュのような光をまき散らしながら、突如、ボンッと描かれた陣が消失した。

 この間、約1秒。

 なんにしても反応が激しいよ、魔法陣!

 どう判断していいのかわからず、僕はチカチカする目を瞬きながら、大人たちを見渡した。母親のアナスタジアは、いささか困惑したような顔をしており、エマに至っては、しばらく放心したように真っ白になってしまった巻物を見つめていた。

「え、えと。い、いいえ、大丈夫です。まだ上位の魔法陣もありますので」

「待ってください」

 ここで、母が待ったをかけた。一番高級そうな、革で出来ている厚手の巻物をほどこうとしていたエマは顔を上げた。

「リュシアンはまだは五才、そこまで正確な数値は必要ありませんわ」

「……ですが、奥様」

 おそらく純粋な興味があるエマは、ひどく残念そうだ。

「必要ありませんわ、エマさん」

「は、はい」

 もう一度、にこやかに念押しする伯爵夫人に、エマはのけぞるように頷いた。

「で、では属性の方を調べましょうか」

「ええ、そうね。よろしくお願いします」

 なんだかわからないが、魔力がないと思っていた自分にいきなり判明した事実。

 嬉しくないと言ったらウソになる。

 けれど母の表情は複雑だったし、僕にしても素直にもろ手を挙げる気にはなれなかった。なぜなら、これ以上は余計な騒ぎになる。命を狙われている者にとって、何かにおいて特別なことは、決して喜ばしいことではないのだ。

 そうしていざ属性の判定をしてみると、周りの期待をよそにことごとく属性に反応しなかった。いや、正確には無の属性はあった。だがそれは魔法使いとしてはほとんど意味がないということだった。

 幸か不幸か、エマの興味はいささか薄らいだようにみえる。

 それはよかったのだが、むろん僕はひどくガッカリした。

 先ほども言ったが、属性というのは魔力の出口だ。火、風、水、雷、土、光、闇の七属性のいずれか、または複数が使えてこその魔法使いなのだ。ちなみに複数の属性が使える者は、複合した属性魔法を操る者もいるらしい。

 無属性はそれらとは別物、いわゆる「気」のようなものだ。身体強化、体力の自動回復、各種レジストなど。もちろん利便性はよく、魔力量が大きければ、かなりの身体能力の底上げが可能といえる。だが、これはどちらかと言えば近接武器向きの能力だ。

 不思議なことだが、複数の属性を持つ魔法使いに特化した者は、なぜか無属性をうまく使えないことが多い。そのため無属性はむしろ魔法ではなく、剣術や体術などに分類されることが常だった。

 ――とはいえ、だ。

 なにやら魔力だけは豊富にあるようなので、身体強化を有する無属性のおかげで、僕の貧弱な身体でも、武器を扱うことが出来そうなのは素直に嬉しい。今度、兄の剣術指南の先生に無属性魔法のことを詳しく聞いてみよう。

 こうして急遽行われた二度目の魔力検査は、無事(?)終わったのだった。


 前世の記憶を取り戻したのが原因か、はたまた生死の境をさまよったのが原因か、皆無と思われていた魔力があると判明した。

 いろいろ調べたいこともあったので、さっそく父の書斎に来ていた。

 今なら文字もばっちりである。

 さて、僕の属性は無。

 家族の中では、ロドルクと同じである。武闘派の兄にとっては重畳でも、豊富な魔力があることがわかり、その気になれば強力な魔法も使い放題だった僕にとっては、ちょっと微妙な、むしろ残念な属性である。いわゆる宝の持ち腐れというやつだ。

 書斎の本棚から、今回調べたい本をいくつか引き出した。

 例の、陣のような図形がいくつか書かれた本の数々。錬金術に使う錬成陣と、魔法やスキルに使う魔法陣がたくさん書かれた書籍だ。

 前回は、錬金術に関する本を読んだので、今回は魔法やスキルの魔法陣が描かれた本を選んだ。写生の見本らしき魔法陣ばかり描かれた写本と、魔法の歴史、知識などを細かく解説してある書籍の中から、魔法陣のことが詳しく説明されている分厚い本を選び出し、それら数冊を机に並べた。

 開くと、たくさんの魔法陣が書いてあった。もちろんこれはただの転写なので、魔力を流しても魔法は使えない。

 緻密な文字列に囲まれた、円陣。

 その文字は、呪文に使われる特別な言語でこの世界の一般的な文字とは違った。魔法を覚える者は、この言語も覚える必要がある。当然、呪文を唱えるためだ。

 だが魔法陣を描くのに必要とされるすべての呪文を唱えなくてもよい。それが属性を持つ者の強みだった。すなわち、属性(魔力を力のある形に変換する)という膨大な情報が、もともと体に備わっているからである。一から十まですべて呪文として文字に起こし羅列し、描いているのが魔法陣なのだ。

 ページを捲ると、最初に現れた魔法陣。

 とんでもなく複雑で、隙間もないくらいに呪文で埋め尽くされているそれは、火属性初級「ファイアポム」と記されていた。おそらく火属性を持つ者なら、小さな子供でも唱えることができる魔法だ。

 詠唱ならほんの一言の呪文が、魔法陣だと幾何学模様のように所狭しとひしめく難解な言語で埋め尽くされた代物になってしまう。写生というスキルは、そこまで珍しいスキルではないが、緻密になればなるほどレベルの向上が必要となるし、所要時間もかなりのものになる。また使用するインクは、魔水と呼ばれる特別に精製されたものを混ぜるのだが、これは錬金術で作成するので決して安価な代物ではない。

 要は、結果と過程の価値が等しくないのだ。

 属性があれば簡単な呪文一つで済むことを、これだけの手間と費用をかけるだけの意味があるのか、という問題にぶち当たるわけだ。

 魔法陣の巻物が、あまり普及しない理由はそこにある。

 魔力さえあれば、誰でもどんな魔法でも使える便利なはずのツール。

 けれどそれは鑑定のような希少スキルや複数属性魔法の、救済的な手段でのみ、意味をなす代物になってしまったのだ。

「……はぁ」

 巻物による魔法の使用……良い手だと思ったんだけどな。

 属性がない僕でも何とかならないかと、いろいろ書物を読み漁っては見たものの、わかったことは、発動においては呪文に敵わず、手間もさることながら、金銭的にも容易ではなく、そもそも魔法陣を描くのにもスキルがいるってことだった。

 小さくため息をついて、ページを捲ろうとしてふと違和感を覚えた。

 ――あれ?

 顔を上げて、驚きのあまり目を瞬いた。

 そこには宙にぼんやりと魔法陣のようなものが浮かんでいたからだ。思わず触れようとすると、それは形を失って崩れてしまった。

「……今の、なに?」

 もう一度、本に目を落とす。

 そう、この形だった。ほんの一瞬だったけど間違いない。

 顔を上げると、やはりソレがぼんやりと宙に浮いている。慌てて手を伸ばすが、結果は同じ。すぐに崩れて、空中に流れてしまう。

 そして気が付いた。

 頭の中に、魔法陣が焼き付いている。こんなにとんでもない細かな魔法陣の、隅々まではっきりと記憶している。

 いやいや待ってよ!?

 記憶力がいいとか、そんなレベルの話じゃないよね。

 試しに書き写してみようかと思ったが、それはできなかった。どうやら写生のスキルってわけじゃなさそうだ。なんだろう……頭に浮かんだものが映るから、念写?

 もしかしてコレに触ることが出来れば、魔法が発動したりする?

 魔力検査の際、不用意に触れて紙を燃やしてしまった、あの時のように……魔法陣の発動条件は触れること。魔力が魔法陣をくぐることで、魔法が発動するのだ。

 ちなみに巻物を使用するにあたって魔力不足は禁物である。

 対象の魔法を発動するに足りなければ不発に終わるし、使い捨てなので魔法陣も消えてしまう。高価な上位魔法の巻物も、一瞬で紙くずになってしまうリスクがあるのだ。そもそも触れれば即発動、というのもある意味危険だ。そういう扱いの面倒さ、リスキーさみたいなものも便利なはずの巻物が広く出回らなかった要因の一つかもしれない。

 そっと、本に描かれた魔法陣を指でなぞった。

 もちろんインクで書かれたそれが反応することはないが、魔力なら、念写で描いた魔法陣なら、やはり魔法は発動するかもしれない。魔法陣を描くインクに混ぜる魔水は、いわゆる魔力の代わりなのだから、可能性はある。

 すぐに試してみたが、当然ながら簡単にはいかなかった。

 先ほどから何度やっても魔法陣が完成しないのだ。揺れる水面に描いたように、すぐにゆらりと歪んで、空中にバラけて霧散してしまう。

「あー……もう、疲れた!」

 魔力量の数値が見えたら、たぶんガッツリ減ってる。

 思いっきり腕を伸ばし、脱力したように机につっぷした。くしゃり、と白紙の紙が腕の下で音を立てる。メモを取るために用意していた白紙の紙だ。

「あ……!」

 慌てて起き上がり、くしゃくしゃになったそれを手に取った。

 最初に、空中に出現したから、失念していた。もとはといえば、魔法陣は紙に書かれているではないか。

 それに念写といえば、写真だよね!

 デジカメになってからはあまり聞かないが、昔はよく霊とか超能力とか(本当に存在するかどうかは置いといて)そんなので活躍したのはカメラだった。イメージとして、紙に定着させる、焼き付ける、という感覚でどうだろうか?

 やってみる価値は、あるかも。

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