第3話

「あの事件からリュシアンは変わったな」

 初夏の昼下がり、珍しく屋敷にいたオービニュ家の当主エヴァリストは、紅茶を片手に窓の外へ目を向けた。そこではまだ幼い少年が二人、剣を打ち合っていた。

「ええ、嘘のように活発になって、いろいろなことに積極的に取り組んでいるようですわ」

 二人の兄弟の年の差は二才だが、すでに体格はひと回り、身長は頭一つ半くらいの差がある。小さな弟に、兄がうまく合わせているのか、剣の打ち合いはそこそこ形になっているように見えた。

 兄の方は、明るい金髪を短く刈上げ、いかにも快活そうな精悍な顔立ちで、父親のエヴァリストによく似ていた。身体も大きく、剣を構える姿も様になっている。一方、弟の方は、さらさらの金色の髪が顎に掛かるほど長く、母アナスタジアによく似た繊細な顔立ちで、力もあまりないのか、練習用の木刀でさえ振り回されている。最近までは床に臥せることが多く、酷く華奢な体格で、同じ年頃の子供と比べてもかなり小さい。

 やがて反復練習に入ったところで、エヴァリストはテーブルへと戻り、空のカップを置いて腰を掛けた。アナスタジアはポットを傾け、夫のカップを満たした。

「最近では錬金術に夢中のようだな」

「ええ、私の薬草園に入ってもいいかと尋ねてきたので、作業場も解放することにしました。どうかしら、先生も雇ってあげたほうがいいでしょうか?」

「そうだな、今はいろいろやってみたい時期なのだろう。だが、あまり詰め込みすぎて身体を壊すといけないし、しばらくはアニアのわかる範囲で教えてやればよかろう」

 オービニュ家の三男坊は、最近でこそ明るくなって部屋に閉じこもることもなくなったが、ついこの間までは季節が変わるたびに寝込んだりしていたのだ。急に張り切って倒れてしまわないかと心配になるのも無理はなかった。

「リュクは魔法が使えないことを気にしているのかもしれませんね。それを補うために錬金術を勉強しているのでしょう。そうですね、当分は私が見ておりますわ」

「興味を持てることがあるのは、悪いことではないがな」

 ふと、「魔法といえば」と、アナスタジアが思い出したように口を開いた。

「延び延びになっていたままのマノンの魔力検査ですが……」

「ああ、リュクのことで忘れていたな。教会には頼んであるから、今週中にも連絡がくるだろう」


       *

 今日は、マノンの魔力検査があるという。

 数年前に、僕が絶望を味わったアレである。まあ、マノンは大丈夫だろう。

 貴族の子女は、三才から五才くらいで魔力量や属性などを調べるのが一般的だ。その後の教育方針に影響するためである。

 能力発掘のため平民の検査も推奨されているが、基本的に魔力は遺伝により授かるのでほとんど形だけのものだ。そもそも魔法や剣術などで功績を上げた者が、爵位を授かり貴族になるわけで、結果的に魔力を持つのは貴族、となってしまうのである。

 剣術方面で出世した家でさえ、魔力やスキルで肉体強化ができる者が有利であるのは変わらないので、やはり魔力が多い家系が多いのだ。

 マノンは今年六才、本来ならとうに魔力測定は行われているはずであった。

 家督に関係のない女の子ということもあったが、彼女は人見知りが激しく、家族以外との接触をひどく恐れる一面があった。

 去年はいざ検査の日となった時、直前で激しくグズって結局お流れとなった。

 知らない人間が自分を取り囲む状況にパニックを起こしたのだ。もともと敏感なところのある子ではあるが、僕などは、自分が命を狙われていることで、いたずらに他人に恐怖を感じるようになったのではないかと申し訳なく思っていた。

 ともかく、そんなマノンの魔力検査がようやく行われることになった。

 教会側も気を使ったのか、今年は二名でやってきた。優しそうな女性と、まだ幼い手伝いの少年。これも威圧感を与えない為に、こちらが特にと頼んだのだろう。

 女性は教会の教師か職員、少年はおそらく奴隷か平民で教会の下働きだと思われる。僕より少し年上といったところか、まだ物慣れない様子できょろきょろしていた。

 庭に面した広い客間に、彼女たちと向かい合わせで座った。

 こちらは本人を挟んで母と僕が座っている。

 先ほどからマノンは、僕の手をぎゅうっと握りしめていた。

 今朝から緊張するマノンを慰めていたのだが、どうやら時間になって、緊張がピークに達したのか、母が呼びに来ても僕から離れようとはしなかった。仕方がないのでこうして一緒に並んでいるという訳である。

「マノン、大丈夫だよ」

 声をかけるとマノンは硬い表情で頷くが、手のひらは汗ばんでいた。

 にこにこと優し気に微笑む女性は、マノンの緊張をほぐすように自己紹介から始めた。

「教会から派遣されたエマ・ユーグです。こちらはお手伝いをしてくれるピエール」

 紹介された少年はぺこりと頭を下げた。それにつられるように、マノンもちょこんと頭を下げた。

「では、とりあえず魔力量の測定をして、それから属性検査をしますね」

 エマはカバンから一つの巻物を取り出した。

 異世界では紙は貴重なのではないかと思ったが、案外そんなことはなかった。植物から繊維を取り出して紙を作る製法は、錬金術が盛んなこの世界では珍しくもないようだ。ただ魔力が必要な錬金術で作る魔法紙などは、やはり高価ではあるらしい。

 ここに出した物もまた魔法紙のようである。丸めてあるそれを広げると、ワックスを塗ったようなつるっとした表面に、複雑な魔法陣のようなものが書いてあった。

「さあ、マノン様。こちらに手を置いてください」

 マノンは、恐る恐る差しだした手をそっと紙へと伸ばす。

 瞬間、ぽうっと白い光が浮かび、魔法陣の端から文字をなぞるようにスルスルと光のラインが走っていった。

「きゃっ……!」

 ただでさえビクついていたマノンは、その変化に驚いて手をひっこめた。

 それは、この魔法陣のごく普通の反応だったのだが、何分初めて見るマノンには驚くに足る事象だったのだ。

 魔法紙はマノンの手のひらに引きずられ、手前に滑り落ちた。

「申し訳ありません。お嬢様を驚かせてしまったようですね」

「いえ、こちらも娘に説明しておくべきでしたわ」

 慌てた女性職員が紙を拾おうと立ち上がったのを、アナスタジアは手で制した。

「母様、僕が拾います」

「あら、ありがとう」

 母が拾おうとした紙を、僕はしがみついている妹をそのままに、片手で拾い上げた。魔法紙に描かれた魔法陣は、うっかり魔力を流すと反応してしまうからである。僕なら魔力がほぼないので、多少触れても大丈夫だと思った。

 紙をテーブルに戻し、表を向けて、広げようとした瞬間――。

 僕の指が僅かに掠ったそれは、いきなりカッと眩しく輝いた。思わず目がくらみ、咄嗟に顔を背けたが、次にテーブルを見た時にはそこには何もなかった。

「え……?」

 それこそ、頭の中はハテナマークである。さっきまで手に持っていたはずの巻物は、跡形もなく燃え尽きてしまったらしい。

 呆然として、答えを求めるように教会の職員の顔を見たが、彼女もまた口を開いたまま唖然としていて言葉もない。

 続いて母親の顔を見たが、同じであった。唯一、妹だけが巻物が忽然と無くなったことに、純粋にびっくりした顔をしていた。

 ――な、なにコレ?

「お、おそらくお兄様の魔力があまりに多いため、この試験紙では耐えられなかったようです。受け止める巻物も、容量オーバーしたために燃えてしまったのでしょう」

 しどろもどろになりながら女性職員は、慌てて新しい巻物を取り出した。

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