はじめまして。
読ませて頂いて、おじい様がきっとゆきこさんのことを守ってくれているのかな、と感じました。
もちろん、ゆきこさんが一番努力しているのですが、それとは別のところでゆきこさんが今後大丈夫になっていけるよう守ってくれてるパワーのようなものを感じました。
実はというか、ここにコメントをなさる方の多くは機能不全家庭で育ってきた人だと思うので似通った話にはなってしまうのですが
同じような道を辿ってきた身としてぜひ伝えておきたいなと思ったことがあったのでコメントさせていただきました。
少し未来のあなたからのメッセージだと思って見ていただけたら嬉しいです。
家を離れ、気が楽になったあとその幸せとは裏腹に精神はどんどんと崩れ弱くなっていきます。
親に裏切られてきたことで、支えのようなものが無くなったからです。
どうにか信頼できるカウンセラーさん、精神科に通い、自分を大切にしていってください。
あなたの綺麗な心や、物事をきちんと捉え、夢に向かって生きていこうとする姿勢は必ず見てくれてる人がいて、評価もしてもらえます。
そして、きっと分かってはいるとは思いますがまだまだ精神的な自分の中の大きな山場が待っています。(本当に抜け出すのは虐待を受けてきた年数×2倍はかかると言われています)
でもあなたは自分に向き合える人だから絶対に抜け出せます、大丈夫。
その都度助けてくれる人たちもいるから、
周りを頼りつつ、自分の中で自分をどう救っていくかを模索しながらも学生を謳歌してくださいね。
突然こんなコメントを失礼しました。
これからも応援しております。
ゆきこさんの心の傷が日々癒されていくことを願っております。
私も正に同じような状況でした。
当時私のゼミの先生に、状況と家出したことを報告すると、「偉い!」と褒めてくださいました。私にとって、意外な反応でした。現状を変えようと家を出るという勇気ある行動と、何も家出という行動は間違っていないと認めてくださったことがとても救いでした。
家出をして、学費を稼ぎ、なんとも言えない親の呪縛がずっと付き纏い苦しいですよね。
とても分かります。私も学費と生活のためにバイトに明け暮れて、たまにくる親からのメールに色んな感情が沸き起こり自分でもどういう感情で泣いているのか整理がつかない涙し、無視をし続けて今に至ります。
心からあなたを応援しています。
私も幼少期の離婚後、母子家庭の毒親(両親ともに)に養ってもらった者です。
そして25の春に母を捨て、31で父を捨てました。
その間に、私を幼少期から育ててくれた母方の祖母がなくなりましたが、死に目にも葬式にも行きませんでした。
なぜ母の外面のために葬式に行かねばならないのでしょうか?
自分を愛してくれた祖母の死を悲しむのは、直接会わなければ出来ないことなのでしょうか?
葬式や個人との別れは、今を生きる人間が他者との死に別れによるストレスを整理するための儀式だと思っています。
ゆきこさんを愛してくれたお祖父様を敬い、その思いを大事にされることが何よりの供養かと思います。
差し出がましいようですが、お祖父様についての心残りが少しでも軽くなればと思います。