46、教科書通りの差別主義者
大学生にもなると、中高生の時ほど激しい衝突は少なくなり、家にいながら無視しあうような静かな牽制だけがずっと続いていました。
休日の昼食時。チャンネル決定権は父にありました。父は報道番組を好んで見ては、タレントや評論家と呼ばれる人にヤジを飛ばしていました。
稀ではありましたが、テレビを見ながらふと話し込むこともありました。私は父に心を開いてはいませんでしたが、父は親子としてのあたたかなふれあい、のようなものを、私に求めていたのかもしれません。
口に出すことこそ少なかったけれど、話をする中で、反りが合わない、と思うことは多くありました。
父はわが身を振り返ることのない人でした。五歳児の虐待死のニュースを見て、父が「ああいう親本当気持ち悪いよな」と口にした時は、さすがに耳を疑いました。
「ガキがガキ産むからこうなるんだよ」
同意を求めるような視線。私は返事をしませんでした。本気で言ってるの? そう聞きたかったけれど、呑み込みました。
私を馬乗りになって殴ったことも、髪の毛を掴んで壁に押し付けたことも、床になぎ倒したことも、この人の中ではなかったことになっているんだろうな。
失望感だけが胸の内に広がりました。
加えて、父は典型的な差別主義者でした。
こんなことを実際に言う人がいるのか、と思うような台詞を、何度も父の口からききました。
父は韓国人や中国人が嫌いで、障碍者が嫌いで、LGBTが嫌いでした。
小学生の時。同じ登校班に韓国人の友達がいるのを知ってか知らずか、父は毎日のように「在日」の悪評を吹き込もうとしました。父の偏った政治思想が押し付けられる場面は、年が進んでからも継続的にありました。
病気だとしか思えませんでした。
「生活保護は税金の無駄」
生活保護を「働かないで怠けている」と一元的に決めつける短絡さ。ごく一部の不正受給者を針小棒大に言い立て、父はここにも「在日」を持ち出しては、非難しました。
「LGBTは生物としての欠陥。なぜ配慮なんかする必要がある」
自分のセクシャリティについて一番迷っている時期のことでした。恋愛の一環として人を好きになることの不明瞭さ。女性に対しても、性愛として見る意識はなくてもある種の魅力を感じる場面は多々ある。自分はどういう存在なのか。アセクシャル寄りのバイだったりして。そんな風に揺れていた時でした。
父に言われた台詞は、自分で思っていた以上に堪えました。
この人は、娘である私が当事者かもしれないなんて、微塵も考えてないんだ。そう思ったから。
多様性、を主たる理念として掲げる昨今の社会の在り方に、父は大きな反発を持っているようでした。
父に言わせれば、「動物として生まれた以上は子孫を残すのが本能であり自然なのに、それができない同性愛者や性的少数者は不自然だ」とのことでした。
自分が何と反論したか、はっきりとは覚えていません。けれど、何か「社会を形成している以上、動物とか生物とか、そういう次元だけで語るのは違うんじゃないの」というようなことを、必要以上に刺激しないよう、色んなものに包みながら、ふんわりと返した気がします。苦笑を浮かべるしかなかったことは根強く記憶に残っています。
ジェンダー論を授業の端々で聞くことは、何回かありました。多少なりとも勉強していた知識は、父の前では全くの無意味でした。
何を言っても無駄だ、この人には届かない。そんな、はっきりとした絶望感を、今更つきつけられていました。
「性犯罪者を排除するのと何が違うんだ。異常者を排除して何が悪い?」
何と答えたらいいのか、わかりませんでした。
私と父は本当に噛み合わない、ということを、痛感せざるを得ませんでした。
父が嫌で嫌で仕方なくて、しんどくて、少しでも距離を置きたいと思っていました。家にいるだけで気が沈みました。それでも、父の爆発がないだけよかったものだけれど、家を出て行きたいという気持ちは、ずっと胸の中で温められていました。
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