33、弟が死んでも地球は回るし太陽はのぼる
お葬式はなかったので、次の日も普通に学校に行きました。
友達は私を心配してくれたけれど、びっくりするくらいいつも通りの日常の中で、私だけがぽっかりと浮かんでいるようでした。
教室の中、大声で笑っている男子のグループ。授業中に小声で話す女子。テストの返却に一喜一憂するクラスメイト。
電車の中、騒ぎ立てる中学生。優先席で居眠りをする中年男性。小さな子供とお母さんの親子連れ。
私の塞いだ気持ちとはまるで関係なく動く周囲を見ていると、ふと、ある感情が胸の中に上ってきました。
――どうしてあの子だったんだろう。
Kちゃんはまだ一歳半でした。生まれつきの水頭症に加えて、肛門をもって生まれてこないという奇形があり、短い一年半の生涯で四回も手術をしました。あまり泣くこともない穏和で静かな子で、かまってあげるとニコニコするのが本当にかわいくて仕方なくて。
父を含め、私の嫌いな人たちは、相も変わらず我が物顔で生きていました。
どうしてあの子が死ななきゃいけなかったの。あの人たちはこんなにものうのうと生きているのに。どうして私の弟だったの。どうしてKちゃんだったの。あんなにいい子だったのに。
実感を持って初めて湧き出てきた悲しみは、怒りの形をしていました。
その週の土曜日でした。
土曜授業を終え、お昼ごろから、友達と学校で勉強をしていた時です。スマホをこっそり確認すると、母からの着信がありました。
校舎の中はスマホの使用が禁止されていました。私は昇降口から外に出て、自販機の近くの壁にもたれながら、電話を掛けました。
それから一時間ほど話し込みました。母の声色は想像よりずっと落ち着いていました。母はKちゃんが死んでしまった日の夜のことを話してくれました。
Iくんたちのことが心配だった私は、母に彼らの様子も尋ねました。母の話によれば、Iくんは表にこそあまり出さないけれど、相当ショックを受けているようでした。
「Kちゃん、母親の私でも妬いちゃいそうなくらい、Iくんに懐いてたからね。きゃっきゃって楽しそうに笑ってね、あの子が近づくと本当に声色が変わったの」
母のそんな台詞が印象的でした。
それから母は私の様子も尋ねてきました。受験のことも、色々と気にかけてくれました。
「私がちゃんとしないとKちゃんに怒られちゃうなと思って、お母さん頑張ってるの。頑張れなかったKちゃんの分まで、あなたも頑張ってあげて」
母からそう言われた時。「私がしっかりしなきゃ」と張りつめていた気持ちが、どこか緩んだような気がしました。
だからでしょうか。不意に目元が熱くなりました。学校の玄関口という、それなりに人通りの多い場所なのに、一度こぼれてきた涙は止まってくれませんでした。自販機の傍に座り込み、スマホを握りしめながら、母の話している傍らでずっと泣いていました。
しばらくして友達のもとに戻った時、ひどく心配されたことは言うまでもありません。
ところで、死の受容プロセスという有名な話があります。ガンなどの病気で死を予告された患者が、どのように自分の死を受け入れていくか、その精神的な変化の過程を説明したものです。それによく似たものに、死別を経験した人がどのように立ち直っていくかを説明した「悲嘆のプロセス」というものもあります。
プロセスは以下のようなものです。
(参考:グリーフワークGrief work(悲嘆に向き合うこと) > グリーフ(悲嘆)のプロセスgrief process
https://sites.google.com/site/icharibadance/griefwork/gurifu-bei-tan-nopurosesugrief-process)
(参照2019/1/8)
◆悲嘆のプロセス4段階
(精神科医で、グリーフワークに積極的に取り組んでいる平山正実氏の4段階説)
(1) ショック(ストレス)
感覚の麻痺、涙が出ない、感情が湧かない、足が地につかない。
何も考えられず、混乱状態の中、何にも集中できない。
日常生活の簡単なこと(食べる・眠るなど)さえもできない状態。
(2) 怒りの段階(防衛的退行)
悲しみ、罪責感、怒り、責任転嫁。
深い悲しみとともに、故人・周囲の人を責める気持ち、そう思ってしまう自分を責める気持ちが同時にある。
故人との思い出にふけり、現実を認められない。
幻想空想と現実の区別がつかない状態。
(3) 抑うつの段階(承認)
絶望感、深い抑うつ、空虚感、無表情、希死念慮。
周囲のあらゆるものへの関心を失い、自分は価値のない人間だと思ってしまう。
適応能力に欠け、外出せず、引きこもりのような状態。
(4) 立ち直りの段階(適応と変化)
徐々にエネルギーが出て、新しい希望が見えてくる。
周囲との関わりを大切にしようと思えるようになる。
故人の死の現実を認められるようになる状態
大学一年生の春の時、自由科目で選択していた心理学の授業で習った記憶があります。今思えば、Kちゃんを亡くした時の私も、まるでその例外ではなかったようです。
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