如月の転落人生

   

 玉蘭に無理矢理連れて行かれた調伏の儀式は、自分を襲った鰐を捕らえた如月の家が当然取り仕切るのだと言われても、父の舞など見たくないと意地を張っていた頃だ。そんな幼かった彼の目の前で、あの日の悲劇は起こった。

 李恩の父、蓮郭雲の心に魔が射し、調伏の儀が最高潮のあの時、彼は呪縛の糸で公隆の舞を妨害した。その結果鰐が暴走。父は天聖界での命を絶たれ、魂は何処へ紛れたのか、現世に転生出来たのか消滅したのかさえ子供には伝えられなかった。

 蓮郭雲は、守護の地位を剥奪され牢獄に囚われ、三羽烏と言われていた秀蘭も既に現世に降りていたため、天聖界は鰐に対する守りが甘くなり頻繁に襲撃を受ける事になった。

 如月は様々な事を振り返りながら、頑なに口を一文字に結び、物言いだけに自分を見ていた李恩の顔を思い出していた。

 あの鰐を暴走させたのは、本当は李恩だった。

 郭雲はそれを知り……罪を被った。

 父の親友であり心強い味方だった者が敵になり、そんな不条理に対して怒りを覚えない時は無かったが、その子供に罪は無いと、李恩に対して世間は寛大で、互いに父を失した者として扱われ、表面的な友人関係は続いたが、当然以前の様にとは行かず、李恩とはそれ以来一言も言葉を交わさなかった。

 十七歳の時、如月は初めて守護を継ぐ者として調伏の儀式に臨んだ。しかし、怒りに狂い正気を失った鰐と化した獣を前にした時、彼は己の中にもまた拭い去れない闇の存在を自覚した。

 彼は、目の前の鰐を昇天させるどころか、守護としては最も許されない反応を示し、魂刀を以って一刀両断に斬り捨てて消滅させてしまったのだ。

 魂とは、例えそれが獣のものであっても無下に扱ってはならない尊ぶべきものであるとの考え方からである。切り捨てられ散逸した魂は特に言葉の通じない獣の場合、現世で悪と呼ばれるモノへ変異する可能性が有るのだ。


 守護司・榊斥宗は、三強中最強との誉れ高い如月公隆の忘れ形見とは言え、守護に相応しからずとし、一時降格させ、如月を管理官として現世に送る事を決定した。


 何か目に見えない歯車が全てをちぐはぐに狂わせて行く。

 何かを掛け違えたその為に。

 陵玉蘭は、如月が就けなかった守護の一人として彼女の兄と共に役目をこなしていた。彼女の母を知る者は、三強の二番手と呼ばれていた秀蘭の生まれ変わりだと言って彼女に期待した。彼女が操る薙刀状の魂刀は、彼女の母・秀蘭と同じ形の武器だ。まだまだ彼女自身未熟だが、その武器は鰐の境界壁をも切り裂くとてつもない力を有しており、その力の前に何れどんな鰐も畏れ平伏するだろうと。

 如月に降り掛かる幾多の不運に、自分もなす術が無い事を玉蘭は嘆いていた。彼との婚約も親同士が彼女らの生まれる前にただ取り決めただけで、現世に彼が管理官として下りて行く事が決まった時ですら、その事に触れられる事も無かったのだ。彼女はどうしたらいいのか分からなくなっていた。彼の帰りを待っていればいいのか、待つ必要が無いのか。

 そんな折、蓮家の李恩が再び彼女に求婚した。幼い日に一度断わった話を彼は諦められずにいたのか、如月が降格させられ天聖界から去る時を待っていたように持ち出したのだ。彼の父は闇に堕ちたが、彼自身は霊力も安定しており働きも上々、守護として役に就いていた。二度目を断わる事は出来ないと玉蘭の父は如月との婚約を白紙に戻すと言い出した。

 玉蘭は申し出に対して何も言わない如月に、直に会って彼自身の想いを確かめようとしたが、自暴自棄になっていた如月は彼女には何も告げず現世へと下りて行ってしまった。

 彼が去ったその時、彼女は改めて自分の気持ちを思い知った。今更他の誰かを愛する事など出来ない。彼が天聖界ここにいないのならば自分もまたここに存在する意味が無い。役目や名誉など全部捨てて、彼の元へ降りて行きたいと、彼女は兄にだけ真意を打ち明けた。


 巷では更に異変が起きていた。他の邪霊を取り込み、異様に膨れ上がった集合体とでも言うべき怪物、亀の三太夫が潟を出てしまったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る