髭の踊り子

  

 神官と守護になる道を絶たれた秀蘭は、還俗して貴族の陵家へ嫁す事に急に決まった。

 彼女と如月家の公隆、そしてもう一人蓮家の郭雲。この三人は幼馴染で仲が良くそれぞれ秀出た霊力を持ち、いつも行動を共にしていた為、三羽烏と呼ばれていた。いずれは天聖界の守りの要となるだろうと。

 どれだけ真摯に鍛錬を積もうと間違いは起きるのだ。それが実際自分の手から放たれた矢が起こしたとなれば、完璧主義の秀蘭の落胆ぶりは痛々しい程だった。

「何だ、公隆。私を笑いに来たのか。」

「秀蘭、どうして君は何時もそうなのかな。祝いの品を持って来ただけだよ。素直じゃないって言うのか。急に嫁に行くなんて。いかにも逃げ出すみたいに見えてしまうな。」

 豪華な花嫁衣裳が掛けられた座敷で、彼女は不機嫌そうに公隆を睨み返した。

「逃げるんだ。悪いか。これ以上誰かに間違った神託で道を間違わせたくない。」

 彼女の悲しみを公隆も理解してはいたが、

「僕としてはね、君の輿入れについて諸手を挙げて喜ぶ事は出来ないよ。」

 秀蘭は溜息混じりに彼を見た。

「お前達に話さなかっただけで、陵家に先に嫁いだ姉上が亡くなった時から栄芯殿との事は頂いていた話なのだ。ただ守護の三本柱の一本の私が抜けても大丈夫だろうかと、私なりに頼りない同期のお前と郭雲の技量を見定めていたのだ。」

 彼女の強がる横顔に苦笑する公隆。

「また屁理屈を。」

「守警隊をくれぐれも頼んだぞ、公隆。」

 彼女の真剣な眼差しに黙り込み、頷く公隆。

「君もきっと幸せになってくれよ。確か栄芯殿にはご子息がいらっしゃったな。英淳君とか。上手くやって行けそうか?」

「アレはどちらかと言えば、我が榊家の血を濃く受け継ぐ姉の子だ。暫くはあの子を育てる事に専念するつもりだ。お前こそ、雪乃様はとんでもない高嶺の花の王族の姫君だが、どうやってあの方の心を射止めたのだ。」

 思いも寄らない事を聞かれ、目を丸くしながらも彼は表情を緩め窓の外を見た。

「君が、そんな事に興味が有るなんて意外だったな。」

 そう言われ秀蘭は一瞬表情を硬くした。そんな彼女にも気付かない振りをして公隆は続けた。

「雪乃様とは随分前からのお付合いだ。一度お前も一緒に舞を披露した事が有るだろ。」

「えっ、それは記憶が正しければ酷く前の話だな。確か初等科の頃だぞ。やがて七年か八年は経っていると思うが。お前はもっと大っぴらな奴だと思っていたのに、意外と地味に口説いたんだな。全然気付かなかった。」

 彼は照れもせずに微笑んだ。

「誰にも邪魔はされたくなかったものでね。」

 秀蘭はそんな彼を苦笑交じりで見ていたが、

「あんな失敗をしでかした私が言うと、言い訳じみて聞えるかもしれんのだが、お前、六反田の綾と言う女子おなごを本当に知らぬのか。」

 急に話題を変えられて、秀蘭の意図を探るように見る公隆。

「今回の生贄の娘さんだね。気の毒だが会った事も無いと思う。」

「彼女に言い寄っていた徳衛門の倅はかなり本気だったらしい。余程嫌われていたのだな、お前と言い交わした間だなどと嘘まで吐かれて。お前の様な有名人には有りがちな事か。」

 公隆は少し何かを考えていたが、

「確かに六反田にも知り合いが何人かいるが、女の子は一人もいないんだ。全員男子だ。」

 何か変わった話でも聞けるのかと思ったのに、全て男と聞いて気が抜ける秀蘭。

「その中の誰かの姉妹だったりしないか。」

「女形で舞踊をなさっている奏太さんと言う方ならいらっしゃる。調伏の儀式をよく見に来て下さった縁で友人になったんだが、年は私達より一つ上だ。でも女性ではない。」

「その方、実は女性だったんじゃないのか?」

 喰い付いた様に言われて目を丸くする公隆。

「馬鹿を言うなよ。私が男と女を見間違う筈がない。細面で色白でかなりの美形だけど、奏太さんは列記とした男子だ。父親ももう年だから頼ってばかりいられない。兄貴は気が善いから、こんな非力な自分を不憫に思って、どれだけでも家にいてもいいんだと言ってくれているけど、迷惑は掛けられない。独立して家を出たい。その為にはもっと踊りを完成させなきゃならないって、胸を張っておっしゃっていた。立派な男子だろ。」

 秋の例大祭で踊ると言う招待状を持って、奏太が屋敷を訪ねて来た時の、彼のはにかんだ顔を思い出す公隆。

 秀蘭は、何やら巻物の様な物を取り出して机の上に広げた。どうも人別帳のようである。

「なるほど。いや……待て、六反田に綾はいるが、奏太と言う男子は存在していない事になっている。これを見ろ。」

 項目を指差されて覗き込む公隆。読み終えて信じられないと眉を寄せる。

「絶対に彼は男だ。さすがに脱いで貰って、確かめてはいないが、髭が有るんだ。」

「髭?」

「極めて薄めだが。お前はどれだけ男っぽくても髭は生えんだろ。」

「当たり前だ!」キッパリと言い放つ。

「こちらから家を訪ねた事も無いから、確認のしようもないが、そんな事が有るものか。神託の矢はそもそも男を嫌うんだろう。何もかもを女性が執り行う特別な儀式だ。」

「男だったから、精霊が怒り狂ったのか。」

「だから、それは無い。もしそうだとしても、誰も自分から生贄になんか成りたくはなかろうに。確かに来世での幸の約束と、送り出しの儀式は盛大になるが、それだけで……」

 秀蘭は何を得心したのか、冗談でもない口ぶりで公隆に言った。

「其奴、きっとお前に本気で懸想していたのだな。その身を賭してとは見上げた丈 夫ますらおよ。」

「秀蘭。私の話を聞いているのか? 生贄が男だった説から離れてくれないか。人が亡くなっているんだぞ。」

 公隆に諫められ秀蘭は口をつぐんだ。

「……そうだな不謹慎だった。すまん。この話は忘れてくれ。」

 恋されていた云々は冗談としても、彼女の勘は当たっているのかもしれないと公隆も思っていた。しかし、確証は無く、今更どうにも出来ないと思った。もしも生贄の遺骸が発見されたとして、それが実は男だったと確認されれば神官としての秀蘭の名誉は更に傷付くだろう。儀式へ向う輿が出立する前ならば止められたかもしれないが、彼等が犠牲になってしまっている以上、何もかも遅いのだ。秀蘭には申し訳無いが、せめての亡骸を発見し密かに手厚く葬って差し上げたい。魂が現世へ無事下る事を祈りたいと公隆は思った。

 しかし、彼の想いに反して、の遺骸は深い谷底までも探したが、何処をどう捜しても発見される事は無く捜索は打ち切られた。

 その後暫くして、鰐がある家を夜中に襲撃し家人を悉く殺してしまう事件が起こった。にしつこく求婚していた徳松の家である。村人は、井戸の精霊に捧げられる筈の娘を娶ろうとした報いを受けたのだと噂した。しかし、一家を襲った鰐は何処へともなく姿を消し、守護隊により鰐狩りが行われたが発見には至らず、半月後、それと思しき一匹の狸の死骸が精霊の井戸の傍で見付かった。それにより、一連の厄災は一旦幕を下ろしたと判断され、徳衛門一家を襲った鰐と化した者の正体も結局は分からず仕舞いになった。




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