生贄が護りたかったもの

   

 村では密かに悲劇がもう一つ起こっていた。

 生贄の綾を送り出した家の年老いた父親が、妻と息子を手に掛け一家心中を計ったのだ。

 彼らには誰にも打ち明けられない秘密が有った。それは、その家には元々女の子は存在しておらず、輿に載せ送り出したのは、女性と見紛う線の細い男子だったのだ。

 彼は物心ついた時には髪に花を飾り、母親が着ている様な赤い着物を着たがる子供になっていた。何度お前は男なのだ、女の真似はいけないと言っても、幼い彼は理解出来ないのか止めなかった。性格も穏やかで優しく、八つになる頃には家事全般をまめにこなす器用さも見せた。家族は彼を無理に男子として育てる事を諦め、女子として生きる事を許してやった。立ち居振る舞いも何もかも女性としての事は全て完璧に出来るように仕込んだのだ。兄が所帯を持った折には、家を出ても一人で生きて行けるようにと舞踊を習わせると、本人の嗜好と合ったのか上達が早く、人前で踊る機会まで与えられるようになった。そんな中での白羽の矢だったのだ。

 両親は神が彼を女として認めて下されたのだと喜んだ。本人も女として生贄になれるなら本望だと快諾した。しかし、精霊がそんな想いを許す筈はなかったのだ。

 女のなりをした生贄の男子、本当の名は奏太と言った。それまで世間から隠され育った奏太が男である事を知る者は身内のみだった。彼がとして踊る姿はどこか妖艶さを漂わせ、巷に出されるとその優れた容姿も相まってたちまち評判になり、一目で心を奪われた村の総代、徳衛門の倅、徳松は宴会の席に何度も綾を呼び、嫁にと望んでいた。

 もしも奏太が本当の女性ならば、願っても無い縁談だと喜ぶのだろうが、当然奏太の両親は断りを入れた。それでも徳松は村の有力者の倅。無下に断れば恥をかかされたとどんな仕打ちを受けるか分からない。夫は老体で長男は身体が弱い。奏太の母親は苦し紛れの嘘を吐いた。娘には既に心に決めた人がおりますと。相手は守護の守のご子息、如月公隆様であると。相手が身分の高い方であれば徳松も諦めてくれると思ったのだ。しかし、断られた徳松は綾を逆恨みし、酷い罵声を浴びせ去って行った。偶然か雨乞いの為の信託の矢が、綾を選んだのはその三日後の事だった。

 確かに奏太は公隆に憧れを抱き、除霊調伏の儀が行われる度に、シテとして踊る彼の姿を見ようと出掛けていた。それを彼の母親が何時知ったのかは定かではないが、全くの的外れでも無かったのだ。

 奏太にとって公隆は、ただ憧れているだけの存在ではなくもっと遠い、自分とは掛け離れた世界を見る人であり、美しさも気品も作り出す風情も、何一つ届かないそんな存在だった。年は彼の方が一つ下だと言うのに、舞で彼が醸し出す世界に、目の前の鰐はおろか見る者はいつの間にか虜になるのだ。公隆は守護、自分は平民。生まれながらに持つ霊力の差だろうかと思うが、精々踊れても自分には、花や草木、自然の移り、人の世の情、それらを表現するに留まるのだ。人の世を超越した存在を表現しているのが公隆の舞なのだ。

 そんな奏太に公隆が声を掛けた事が有った。

 彼は何時も見に来てくれている奏太に気付いていたのだ。柔らかに微笑み、礼を言い、自分の舞はそんなに興味深いかと聞いて来た。

 奏太は、貴方の様に自分も踊ってみたいといつも思っていると震えながら答えた。

「今度踊る時はお知らせ下さい。貴方の踊りを私も是非拝見したい。絶対に参ります。」

 屈託無い笑顔を公隆は奏太に返してくれた。

 まさか今まで舞台で踊っていたシテが声を掛けてくれるとは思っていなかった奏太は、天にも昇る思いで家路についたのだった。

 世間に出されてほんの少しの間にも、奏太は散々人の暗い部分を垣間見せられ疑心暗鬼になっていた。人を信じる事を忘れかかっていたのだ。公隆は何気なく声を掛けてくれたのだろう。でも、彼の言葉の何処にも嘘の淀みが無いことぐらいは分かるのだ。彼の微笑みの何と美しかった事か。思い出すだけで何時もどんな時でもこの胸に陽を燈してくれる。奏太は、その温かな想いをそっと抱き締め、彼等にも出来ない精霊の怒りを治め、彼が生きるこの世界を護る為になるのならば、男である自分を白矢が指し示したこの不条理も耐えてみせよう、と生贄の輿に乗ったのだ。これは自分にしか出来ないささやかな事なのだと思って。




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