枝垂れ桜

 

 風呂から上がって着替えを終え、宴会にはまだ時間が有ると言われ、例の桜の木を彩季は如月と二人で見に行く事になった。歩いて五分程の場所にあるらしい。

 純和風の手入れが行き届いた庭には、それぞれの季節に咲く花が配置されていて、冬の今は、丁度 山茶花が見頃で、その大木から芳香が漂って来ていた。

「そう言えば、秀蘭さんって誰なの? お父様にも言われてたよね。」

 如月は彩季の問いに少し表情を曇らせた。

「玉蘭の母親だ。彼女を産んですぐに亡くなっている。うちの父とは幼馴染だったとか。彼女も守護だったのだから、留まろうと思えばこの天聖界にいられた筈だが、その辺の細かい事情は分からない。」

「そうなんだ。玉蘭さん、あなたの顔見た途端、何だか元気無くしちゃったから。」

 幼馴染で婚約者なら何でも知っていて当然なのだろう。

「あれの事なら心配要らない。多分。」

「写真とか無いよね。何で似てるって分かったのかしら。」

「私も見た事が有るが、絵姿で残っているのだ。それよりも当の本人に似ていたからだと思う。」

「……そっか。」

 季節は冬だが雪は無い。よく晴れて風も凪いで気持ちのいい日だ。

「見えて来たぞ、あれだ。」

 如月は庭の外れを指差したが、ふと足を止めた。

 どうかしたのかと彩季も止まった。

「……咲いていない。どう言う事だ。」

 不思議な事を言うものだと、如月の言葉に彩季は彼の顔を見上げた。

「まだ冬だから咲いていなくて当然よ。それとも、冬の間に咲く特殊な種類なの?」

「いや……この樹は……」

 如月はそこまで言って、何かを忘れていたようにハッと息を呑んだ。

「どうしたの?」

「何でもない。私の勘違いだ。そうだ、まだ花の咲く季節じゃないな。」

 誤魔化すように笑ったものの、彼の様子は何処となくおかしかった。

 傍に寄ってみると、樹は相当の樹齢を重ねてきているのか、幹周りは大人が五人ほど手を繋いでやっと囲める程の大木だった。葉を全部落とし、今は冬の眠りに就いていて静かだった。

「花の季節はきっと素晴らしいんでしょうね。枝も下まで付きそうに長いわ。私が夢の中で見たのは、花の時期のこの樹だと思う。今が春だったらよかったのに。」

 残念そうに言った彩季に、そうだなと、一言言っただけで如月は根元を見るように桜の周りを回り始めた。

 何も話さなくなった彼に、彩季も黙って付いて歩いた。

 暖かさに誘われた様に地面からは土の匂いが立ち上り、白い小さなシジミチョウに似た蝶が飛び回っていた。

 一回りして彼はようやく立ち止まった。

「何か探してたの?」

 自分から誘ったくせに、満開の枝垂れ桜と言った途端、彼の様子がおかしい事に彩季はとっくに気付いていたが、話題をそろそろこの桜の事から変えようと思った。

 きっと何か埋めたままにしておきたい事情なのだろう。しかし、心に抑制を掛けると余計に気になる反作用が生じるものだ。それでもここは我慢だと思い直した。

「ねえ、どうする気なの? お父様に聞かれるわよ。何で稚児の舞を知っていたのかって。現世人は普通知らないと思うよ。」

 如月は何気なく前髪を掻き上げた。

「神楽の踊り子だったとでも言うか。似たような物だと。」

 彩季はやや呆れぎみで彼を見た。

「いい考えだけど、ああまで完璧だと誤魔化し切れるとは思えないわ。夢で見たと言うのはどうかしら。生まれる以前の記憶が有って、稚児の舞を本格的に習ったとか。藤間さんって子供達に教えてたんでしょ、それ使えば。」

「その方が余計に嘘臭いだろう。仕方が無い。その時は、利発な雪貴君が機転を利かせて助けてくれると言う事で頼んでおくかな。」

 やっぱりそう来たかと彩季は彼を見た。

「ちょっと、私に丸投げする気?」

「ダメなのか?」

「ところで、如月さんも仕事とかでお父様みたいなシテを舞ったりするの?」

 彩季は大した意味も無く聞いたつもりだった。

 しかし、如月の表情は冴えなかった。

「いや、ちょっと事情が有って私は現世に降りて管理官になったから、舞はずっと踊っていない。小さい頃は事有る毎に稚児役を舞わされたから、身に染み付いているんだ。」

「そうなの。如月さんが踊るときっと玉蘭さんは大喜びしてたでしょうね。あなたの事が大好きだもん、彼女。」

 当然照れると思ったのに、彼は反応も返さず黙り込んだ。

 この重苦しい空気は何だ、と彩季は首を傾げた。

 完全玉蘭の片思いって事なのだろうか。

 如月は彩季を見てぽつりと言った。

「あの頃はそうだったな。」

 過去形を使われ、彩季は大事な事を忘れている事に気付いた。彼女は現時点では如月の元を、この天聖界を去り、ここにいる自分に生まれたのだから。

「ごめん。何だか悪い事言っちゃったね。うっかりしてた……ごめんね。」

 如月は小さく頷き、下を向いた七歳児彩季の頬をつついた。

「いや、別に。しかし、育つ環境が違うと性格も変っていて当然だと思っていたが、突拍子も無い所は変わっていないな。」

 突拍子も無いと言われる事については、エリによく指摘を受けた。取扱説明書が無いと変人扱いされて当然だと。

「発想が豊かだと言って欲しいわね。でも、彼女は病気だったの? 体が弱い風には見えなかったけど。」

「呆れる程の健康体だ。むしろ私より丈夫だったかもしれない。」

「じゃぁ、事故?」

「いや。その話はもう少し待ってくれ。さぁ、そろそろ帰ろう。湯冷めしてしまう。」

 何かを視界の中に認め如月は不意に少年彩季の手を取って歩き出した。手を握られて思わず歩みが遅くなる彼女を、如月が急に口元に笑みを浮かべて振り返った。

「雪貴君ったら、なに赤くなってんの。お風呂で流しっこした仲じゃない。疲れたんなら、お姉ちゃんが抱っこしてあげるわよ。」

 何と見事なオネエ言葉。おまけに声のトーンが自分よりもやや高く、彩季の背中の毛がゾワッと逆立った。

 言うが早いか女子高生如月は、小二男子彩季を抱き上げようとした。当然訳が分からず抗議する彩季の鼓動が一気に跳ね上がった。

「一人で歩けるから。」心臓が口から出そうになった

 そのまま構わず彼女を抱き上げる如月。

「もぉ、恥ずかしがり屋さんなんだからぁ。」

「何よ、急に気持ち悪く女子高生化してぇ。」

 彩季の目線が高くなって、生垣の所に二人を探しに来た藤間がいるのが見え、初めて如月の思惑が読めた。彼は初めて藤間に気付いたように言った。

「あぁっ、藤間さん。今帰ろうと思っていた所なの。雪貴君が疲れたって言うもんだから抱っこしましょうかって。まだ本調子ではないみたいですね。少し前に落馬したって聞いて、大丈夫なの? って言っていたんですよ。」

 そう言った如月の顔を彩季ハッとして見た。それとなく気を遣ってくれていたのかと思い、心臓が更にバクバク暴れ出した。

 藤間は一瞬頬を紅潮させたが表情を戻すと、女子高生如月に頭を下げたまま慌てて歩み寄り、背中を差し出した。

「気が付きませんでした。若君は私が負ぶって参ります。」

 如月はやんわりと微笑むと徐に、

「そうですか? じゃぁお願いします。」

 彼は彩季を藤間の背に任せた。

 彩季はされるままに藤間に負ぶさり如月を振り返った。彼は何故か藤間の横顔を見て笑っている。彼の思惑はどちらかと言えば、藤間の取る行動に重しを乗せる方に有ったのだ。



 暫く三人は無言で歩いた。

 どれだけかして、母屋の建物が見えて来た辺りでようやく藤間が口を開いた。

「天音様は、どちらであの踊りを習われたのですか? とてもお上手でしたと皆感心致しておるところでございます。」

 当然聞かれるだろうと予想しておいて良かったと思う彩季だった。

「私、生まれる前の記憶が有るんです。」

 如月の言葉に少し視線を向ける藤間。

「えっ?……」

「舞はあなたに習ったんですよ。不思議ですね。あなたはちっとも歳をとっていらっしゃらないのね。」

 如月は半分以上、藤間の赤くなったり青くなったりする表情を楽しんでいるのだ。それにしても、なんて言ってたくせに、丸ごと全部彩季の作った台 本シナリオではないか。

「私が、ですか? ……確かに以前から転生を待つ子達に稚児の舞を教授しておりましたが、あそこまで出来るようになった子がいたとは。」

 女子高生如月はすました顔をして、

「咄嗟に踊れた事に私も驚いているんです。」

「その頃のお名前は覚えておられますか?」

 その問いにもサラリと返す如月。

「いいえ、残念ながら。それより藤間さんは雪貴君のお世話係なんですか?」

 藤間の背中は、彼の体脂肪率が低いせいなのか、顔色に合わせて暖かくなったり冷めたりするのだと彩季は発見した。

「母が若君の乳母だった関係で、若君がお生まれになられた時から、勤めさせて頂いております。」

「お母様はまだご健在なの?」

「いえ、どけだけか前に現世に下りました。」

 二人の会話から情報を得よと言われている気がする彩季だった。

 如月は何食わぬ顔で続けた。

「それは寂しいですね。ところで藤間さんは独身なんですか?」

 途端に彼の背中が熱くなった。

「今の所は……妻を娶るのは若君がもう少し大きくなられてからと考えております。」

「な~んだ、残念。その口ぶりだともう決まった方がいらっしゃるのね。」

 如月は完全に藤間の反応を見て遊んでいるのだ。

「いえ……特には。」

「出会いが無いのですか? こんなに逞しくておまけに眉目秀麗な殿方を放っておく 女性ひと達って、見る目が無さ過ぎると思います。」

 真面目過ぎて寄り付かないのだと思う彩季。

 藤間は終始赤くなって下を向いて歩く。

「私がこっちの人だったら、藤間さんにお嫁さんにしてもらったのになぁ。」

(ちょっ、ちょっと待て、女子高生如月! 無責任な事を言うなぁーっ!)

 涙目で如月を見る彩季。

 首まで赤くなっている藤間の背中は汗でべと付いてきている。

 熱いってもんじゃない。

「ごっ……ご冗談を……」

 如月はけろりとした顔で即答を返した。

「冗談ですよ。ちゃんと私、彼氏いるので。藤間さんって純情なんですね。」

 彩季は藤間の背中から顔を上げた。天音彩季はそんな軽はずみな事を絶対言わないと言いたかった。

「お姉ちゃん、お願いだから変な事を言って藤間の事をからかったりしないで下さい。藤間は私を一人にして、お婿になんか絶対に行ったりしないんだから。藤間が何時もいてくれるから、お父様やお母様と会えなくても寂しくないんだから。大切な家族なんだから。」

 彩季の言葉に藤間の目に涙が滲んだ。

「そんな風に思って下さっていたのですか。」

「藤間、ずっと一緒にいてね。」背中にギュっ

「こっ、光栄でございます、若。」

 七歳男児に諌められ、如月は、自分はそんな事を口に出せない性格だったと思いながら、ごめんなさい、と言うしかない。しかし……

 如月が、不満そうに眉間に皺を寄せているのを見て、藤間の背中に顔を埋めたまま彼に手を差し出す如月少年彩季。

「だって……藤間が大好きだもん。」

「私ったら。本当にごめんなさい。」

 出された小さな手をつい握りながらはにかむ如月。

 現に藤間は管理官になった彼に付いて現世に来ている。

 御傍用人と言う立場から次は部下になってまでも。

 それは事実なのだからと彩季は思うのだった。








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