包囲網を突破せよ!
またしても黙り込んだ玉蘭の牛車に乗って三人は如月家に帰宅した。
到着すると、玄関先に家の者達が勢揃いで出迎えていた。牛車を息子が降りるのを待てないとばかりに如月の母・雪乃が駆け寄り、感極まったように如月少年彩季を抱き締めた。
「聞きましたよ。やはりお父様のお血筋ね。私は貴方を誇りに思うわ、雪貴。」
情報の回りが意外と早い。女子高生姿の如月は少し切なげな表情で彼女を見ていた。雪乃がそんな傍らの風変わりな存在に気付いて、目を上げた。
「貴女が天音さんですね。ようこそお立ち寄り下さいました。主人も大そう感謝致しております。お礼も兼ねてささやかではございますが、宴に是非ご参加下さい。」
やや無口な女子高生が頭を下げた。
「……ありがとうございます。」
雪貴少年彩季がすかさず、フォローする。
「お母様。天音さんは
小さな息子の言葉に益々笑顔になる雪乃。
「まあ、それはお困りでしょう。是非我が家にご逗留なさって下さい。」
明らかに戸惑う如月。元々ここは彼の家だ。
「ですが……」
彩季は子供らしく、外側だけ女子の彼の手を取って満面の笑みで見上げた。
「そうして下さい。珍しい現世のお話を聞かせて頂きたいです。」
「はぁ……では。」
如月は渋々返事をした。
そんなやり取りをしていると、玉蘭が彼女らしくもなく遠慮がちに少し顔を出し言った。
「ユキ、今日は帰る。何だか少し疲れてしまったの。天音さん。またお会いしましょう。」
本当は、居てもらっても如月とゆっくり話せないと思っていた彩季は、それでもさぞ残念そうに玉蘭に言った。
「帰ってしまうのですか? せっかく一緒に天音さんから現世のお話を聞かせて頂こうと思っていたのに……」
雪乃も彼女を引き止めようとする。
「そうですよ。少し寄って行って、美味しいお菓子も用意して有るのよ、玉蘭さん。」
玉蘭はちらりと如月を見て首を横に振った。
「おば様、ありがとう。でもまた今度にします。今日は本当に疲れたの。さようなら。」
そう言って彼女は牛車の中に入って行った。
帰って行く牛車が見えなくなるまで見送って、如月を取り敢えず彩季のつまりは如月の部屋へ案内するように侍女に伝える雪乃。
「母上、彩季さんは私が部屋へお連れします。皆様宴の準備でお忙しいでしょう。そちらに掛かって下さい。」
「じゃあ、雪貴にお願いするわね。天音さん、ごめんなさいね。また後で。」
そう言うと雪乃は、一同を連れて奥へ入って行った。内心相当急いでいるようである。
彼等が行ってしまうのを待って、彩季は傍に立って黙り込んでいる如月を見た。
「何か言いたそうだけど……何?」
如月は徐に彩季を見た。
「上手く人払いしたな。それにしても、さっきの餌は何で出来ているか知っていて鰐に食わせたのか?」
「何って?」
不安そうな様子に如月は呆れ溜息を吐いた。
「やはり知らなかったのか。あれは簡単に言えばお前の魂の一部だ。魂刀と同じ様にな。」
「えっ、じゃあ私、魂が欠けちゃったの?」
彼は泣き顔になった彩季に渋い顔をした。
「暫く休めば元に戻るがもうやるな。藤間に聞いたが亀退治にも薙刀を出したそうだな。」
眉を寄せ如月を見る彩季。
「えっ? あの藤間さんは偽物だったんじゃないの?」
その問いに如月は目を逸らした。
「いや、その、すまん。私はてっきり……」
彩季はじっと自分の姿をした如月を見た。
「どう見たって、あなた今、私よね。何でこんな事になるのか説明してよ。」
如月はすまなさそうに額に手を当てた。
「とにかく部屋へ入ろう。こっちだ。」
彼は玄関脇の板壁をコツコツと叩いた。手で壁に現れた四角い継ぎ目の一辺を押した。板壁が、人が潜れるほどの不思議な暗い四方形を出現させた。如月は中へ入ると彩季に手を差し出した。
「気を付けろ、足元。中は暗いぞ。」
「えっ、ちょっと、何処行くの?」
壁の隠し扉を潜ると、如月は戸を静かに閉めた。目が慣れるまでのほんの少しの間暗闇が包むが、やがて隙間から入って来る明かりでほんのり明るくなった。少し振り返り、歩き出す如月。
「非常用の避難路が幾通りも有る。教えてやるから付いて来い。」
彩季は慌てて彼に続いた。
確かに自分は、今はこの家の子供だが、誰も敢えてそんな事を教えてはくれない。知っていて当然だからだ。
避難路はこの屋敷の隠れた場所、つまりは地下に造られている。如月の家は、簡単に言えばこの地方の霊的守護で、あの狼だった鰐に代表される忌み物から人と人の営みを護る役目を担っている。
ここに住む人々は現世に生まれ変わるのを待つ普通の人達なのだとか。公隆と同じ守護の守は、他に李恩の父親の蓮郭雲がいる。
彼等守警隊を率いる隊長の役を担う者は霊的能力が高く、人の苦行である輪廻転生から解脱した特別な存在らしい。
その他、現世で修行をして徳を積んだ者達は貴族としてこの国の統治に尽力しているのだとか。
部屋に着くまでに大まかな説明を受け、彼に促され壁から出るために辺りに人気が無いか確認する彩季。非常時用の避難路を部外者に教えては意味が無いからだ。ましてやその部外者の方が詳しく知っていては怪しまれる。ここは守護の守の屋敷なのだから。
幸い部屋には誰もいる気配はなかった。いつもその辺に詰めている藤間もまだ祭りから戻っていないらしい。
「出てもいいわ。」
如月を振り返り手招きをする。
「自分の部屋に入るのに気を使ったのは初めてだな。」
「いきなり避難路とか使うからよ。でも面白かった。要塞みたいな造りなのね。」
如月は儀礼的に襖の片方を開けたままにして、彩季に勧められた椅子に腰を下ろした。
屋敷は土足厳禁で基本高床式だが、天井が高く床は畳ではなく板張りが多い。椅子に机、眠るのは初めに寝かされていた座敷で布団のパターンも有れば、この部屋の様に
「鰐が襲って来た事も有ったとかで、女子供を無事に逃がす為に造られたらしい。」
「そうなんだ。それにしても広いのね。行ってない所がまだまだ有りそう。」
やっと素の自分で話せる相手に会えてホッとしている彩季だった。
「さっきの話だけど、私は今どうなっているの? あなたと入れ替わっているなんて。」
備え付けの水差しから水を茶碗に汲み、二人分を用意し如月と差し向かいの席に座る彩季。彼はそんな彼女を見ている。
「病院に搬送してもらってとにかく無事だ。お前一人さえ護れないとは、面目無い。」
「無事ならいいの。それよりあなたの事を心配してたのよ。酷い怪我だったでしょ。」
「命に別状はない、と言ったところか。」
小さく溜息を漏らしながら如月を見る彩季。
「分からない事だらけで、しかも目が覚めたらこの状態でしょ。もう、何が何やらパニックになるわけにも行かないし。来てくれて本当よかった。」
少し浮かない顔の如月に気付きながらも、本題に入る彩季。
「そもそもここって……何処なの?」
如月は部屋の中を見ながら、
「私の記憶の中……と言ったらいいのか、夢の中、と言ったらいいのか。それだけではなさそうなのだが。過去である事は確かだ。」
彩季は首を傾げた。
「つまり……?」
「よく分からない。私の中の別次元か。」
「私、脱出に失敗したって事? それであなたと入れ替わってるなんて、意味不明だわ。」
「夢喰いの介入も疑われる。」
「まったく頼りにならない管理官ね。サンドラが襲って来たあの草原って何処なの?」
「あれは異空間だ。私や藤間のいる世界の方に近い。時の失われた空間と言うのか……」
彩季は天井を仰いだ。
「父さんや母さん、心配してるだろうなぁ。」
「その点については、事故で処理されている。私達は一緒に珍しい植物を探し歩いていたところ、あの空き家の傍を通り掛かり、温室の倒壊に偶然巻き込まれた高校生カップル。現実の世界ではそうなっている。お前は外傷こそ無いが意識不明の状態だ。」
彩季は自分の姿をした如月をしみじみ眺める。中身が違うと何だか雰囲気も違うのか、やけに艶が有る気がした。
それを知ってか知らずか、如月は目を伏せ解れ髪をそっと直した。
「まさかあの三太夫を蹴散らすとはな。」
彩季は、薙刀が出現した時の感覚を思い出す様に左手を見た。
「変な事を聞くようだけど、私はもしかして玉蘭さんなの?」
如月が目を上げた。
「何故そう思う?」
彩季は一瞬黙ったが気を取り直して言った。
「あれだけ似ていれば思わない方が不自然よ。私が見ていたあの夢は、ここで過ごした時のものだったのね。初対面なんて嘘じゃない。」
少年の姿の彩季が浮かべた切なげな表情に、如月は、記憶の中に仕舞い込んだ玉蘭言われた最後の言葉を思い出していた。彼女を探していなかったと言えば嘘になる。しかし、それに制約を与えていたのは自分自身だった。会いたい。でも会ってどうする。そんな資格は自分には無いと思っていたからだ。
「現世で会ったのは、あれが本当に初めてだった。」
歯切れの悪い返事を返す如月を見る彩季。
「時間の進み方が現世とは随分違うのね。」
「十倍程かな。」
「それとさ、体が小さくなると、出せる武器も小さく成っちゃうんだね。」
玉蘭との顛末について、もっと掘り下げた事を聞かれる覚悟をしていた如月は、奇妙な気分を味わった。確かに聞かれても話したくは無いが知っておいて欲しいような気もする。全てを思い出して欲しい訳ではないのだが。
「まあ……それは、力に比例してだから。」
彩季はいきなり明るい笑顔を見せた。
「力に比例ね。あの時、武器があんまり小さくて、自分が小さくなっている事も忘れてたから、びっくりしちゃったのよ。」
あの瞬発力は大したものだったと思う如月。
「この世界の先輩としては、その年で魂刀が出せただけでもよくやったと、褒めたいよ。」
そこへ部屋の外から声が掛かった。どうも藤間のようだ。彼は開いている戸の前で座り、
「失礼します。湯殿の準備が出来ております。天音様、宜しければお入り下さい。若君も宴の前に入っておくようにと奥様から仰せつかっておりますので、ご準備を。」
風呂と聞いて息を凝らした彩季をチラリと見る如月。彼はうなじを触ってみる。
「……確かに、汗をかいたが……」
藤間が顔を上げ、返事を渋っている二人を見た。
「あの……奥様から天音様にと、お着替えのご用意もございますので、どうぞ。」
彼の手の中の籠には、華やかな色合いの物が色々入っていて、それを見ると如月は、ああ、そうか、とか独り言を漏らした。
「お心遣いありがとうございます。分かりました。遠慮なく拝借させて頂きます。」
女物の下着にも何ら戸惑わない如月に、ちょっとは面白い反応を期待していた彩季は、何だが拍子抜けした。
藤間はようやく腰を上げた女子高生にほっとした様子で笑みを見せた。そう言えば藤間自身も何だか砂っぽいなぁ、と思っていると、
「では、若君は私と。」
彩季の思考が停止寸前になった。この家には一応男女別々の風呂が有るのだが、如月の事に気を取られていて自分の立ち位置をすっかり忘れていた彩季だった。
「でも、あの……私は……」
(一応女子高生なのはかく言う私の方で、男の人と入るのはちょっとどころか、物凄く困るのです!)
逃げ腰になった彩季の進路を塞ぐ藤間。
「さぁ、今日こそ入って頂きます。もう何処も痛くないとおっしゃってましたよね。大立ち回りの大活躍。しっかり拝見致しました。」
彩季は女子高生如月を盾に後ろへ回るが、
「ほら、髪も砂だらけ。随分汚れていらっしゃる。これは洗い甲斐が有りそうですね。」
腕を掴もうと伸ばしてくる藤間の手を、膨れっ面の猫パンチで退けようとする彩季。
「お風呂には一人で入るって言ってんのぉ。」
とたんに甘えた口調になった彼女に驚き、挟まれた如月は嬉しそうな顔の藤間を見た。
「いけません、若。ちゃんとして頂かれなければ、私が奥様に叱られてしまいます。」
逃げ回る幼い主人を追い掛ける御傍用人。こんな風に彼を手古摺らせた事は有っただろうかと如月は思った。それにしても藤間の楽しそうな顔。彩季は目力で押そうとするが、
「洗ってもらうのが
使命感に萌える彼には最早効き目が無かった。
「……仕方有りませんね。失礼します。」
藤間は彩季を素早く捕まえると肩に担いだ。意外に強引なのは知っていたが、ここまでやるとはと、笑いが零れてしまう如月。
「さぁ、天音様も、ご案内申し上げます。」
「もう、助けて。ヤダ! 降ろしてぇ!」
「風呂嫌いもいい加減になさって下さい。何だかんだとお入りにならないから、殿様からも言われていたのです。お静かに、雪貴様。」
そんな騒々しい一行がやがて屋敷の中庭に面した一角へやって来ると、供を引き連れた公隆と行き会った。今から全員で大浴場へ行くらしい。お供等は三人を見ると楚々と壁際に寄って跪いた。
公隆はちらりと笑みを見せ、女子高生如月に会釈する。思わず返す如月。
そして雪貴少年彩季を見て目を光らせた。
「おや、雪貴も今から風呂か。丁度よかった。それじゃぁ今日は一緒に入ろうかな。」
それを聞き藤間は一礼し、そろりと彩季を肩から下ろした。
「殿。では私もご一緒させて頂いて宜しいですか?」
「もちろんだ、そうしてくれ。雪貴は私が抱いて行こう。」
「いえ、殿、私の役目です故。」野良ネコの様に逃げますので
彩季は額に汗が噴出すのを覚えた。
(ちょっと待ってよ。この黒装束軍団全員男の人でしょうがぁ。困るぅっ!)
彩季は人事だと思って笑っている如月を見た。こうなったら仕方が無い。最終手段発動。
「あの……お父様。私、実は天音さんのお背中を流して差し上げる約束をしました。今日は天音さんに大変お世話になったので、私からもお礼がしたいのです。いいでしょぉ?」
美少年如月彩季は、やや頬を赤らめ目を泳がせもじもじと、女子高生如月の後ろにススッと隠れた。盾にされた彼は、彼女の時々繰り出すお強請りモードにも慣れたが、供の者達も公隆も幼子の仕草に唖然としている。
「あ・そ・そうか。そう・なのか。天音さんと約束を……」
この・おませさんがぁ~~
彼の部下達の心情は更に複雑である。あの容赦無い緻密な作戦と攻撃で姑息な鰐を追い詰める狙った獲物は逃さない殿の包囲網を、この小さな剣士はいとも簡単に突破したのだ。
藤間はそれでも少し冷静だ。
「何時の間にそんな話に。それならそうと先におっしゃって下さい。では天音様、お願い致します。お客様に対して誠に恐縮ですが。」
如月は、自分の後ろに隠れた彩季に苦笑しながら藤間から子供用の着替えを受け取った。
「はい、お任せ下さい。私、弟がいるんで慣れてますから。じゃあ行こうか、雪貴君。お姉ちゃんが隅々まで洗って上げるからね。」
彩季に手を差し出す如月。
「……はい。天音様。」
「お姉ちゃんって呼んでいいよ。」
我が耳を疑い、思わず如月を見上げる彩季。
「じゃあ、お……お姉ちゃん。」
「その調子、その調子。では行って来ます。」
作り笑いで見上げながら、声音が幾分にも高く女言葉の如月に、彼の中の変なスイッチが入らないかと少々心配な彩季だった。
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