除霊調伏の舞

 動きは単純に見えた。

 刀でポーズを付けて鰐を狙い、楽奏のリズムに合わせて沈み込む。

 再び立ち上がると刀を持つ右手は真っ直ぐ上に刃先が向くように伸ばし、左手は肩の高さで前方の鰐を指す。

 刀を持つ右手は伸ばしたまま左手の先を刃先で獲物を狙うように動かし、左手の先を回転軸に四歩で回る。

 緊張が見て取れる如月少年彩季に向かって、女子高生如月が大袈裟な笑顔を投げて来た。

「怒りに狂った野生の鰐を鎮める為の舞故に、常に笑顔で踊るのだ。」 

 踊りのパターンは幾通りかに変化したが、それでも何とか彩季は必死にやってみせた。それを尻目に如月は涼しい顔で踊り続けた。

 こんな事であの鰐が何とかなるとは思えず彩季は半信半疑だったが、如月の言った通り二人の笑顔に対して目の前の猛獣が示す反応に、彩季としては段々そいつが普通の野良犬の様に見え、不思議な感覚になってしまった。

「ほら、どうした 狼君ワンコ、取ってみなさーい。」

 翻した袖に牙を掛けようとする鰐。その寸前で交わしながら彩季は踊った。

 彼女は意識していなかったが、彼女の踊りはこの世界の者達にはどちらかと言えば奇妙なの動きに見えるらしく、声を出して笑い始めた。

 向い側で如月は、段々エスカレートする彩季の鰐ジャラシの舞に、半ば唖然としている様子だった。

「上手に出来たらご褒美をやるぞ、犬。」

 公隆に至っては、ハラハラの涙目である。

 彩季は袂に先日駅前で配られていた試供品の犬用食ドッグフードの袋が有るのに気付き、鰐に見える様に中から取り出すと、踊りながら一粒口に入れてポリポリ音を立てて食べてみせた。

 警戒心の塊の獣は鼻に皺を寄せ唸りながらも、漂って来た食べ物の臭いに彩季を見た。

 その瞬間を見逃さず彼女は一つを鰐に向かって放った。

 鰐は待っていた様に空中でそれを咥えた。

 楽奏に合わせ間を置かず次々に投げる彩季。

 狼だった鰐は、彼女の投げて寄越す犬用食を一粒逃さず器用に口で受けながら、威嚇の表情は崩さないまでも、余程気に入ったのか次を期待する目で彼女を見た。

 それを逃さず、彩季は剣を鞘に納め、犬用食が一杯に入った給餌用皿を鰐の目の前に突き出すと、奴がそれを凝視しているのを見て取るや、

「おすわり!」一喝した。

 守警隊の全員が見ている前で鰐は、飼い犬の様に彼女の指示に従い、早く寄越せと忙しなく足を鳴した。

「いいよ、お食べ。お腹空いてたんだね、お前。」

 鰐の周りを如月と共に回りながらとっておきの猫撫声で皿を差し出し下に置いてやると、鰐は彩季を気にしながらも顔を近付け、次の瞬間には堰を切る勢いでそれを食べ始めた。

 奴がガツガツと音を立てて餌を貪る間も、二人は奴を囲む様に舞い続けた。


 鰐は食べ終わる頃にはその目に宿していた憎悪のような暗い炎をすっかり消し、表情を緩ませ二人を眺めながら地面に寝そべった。

 どれだけか如月と彩季の二人が踊り続けた頃、やっと鰐が目を閉じ微睡始め、それと同時に笛が止み楽奏が静かになった。

 公隆が前に進み出て鰐の頭にそっと手を置き問い掛けた。

「汝一神と成りて彼の地の護りと成らんや。」

 そして徐に長剣を鰐の額に翳したが、鰐は動かず、振り下ろされる剣に額が触ると同時に、実体を失くし揺らいだかと思うとやがて光の粒の集まりになり、一筋の光となって天に昇って行った。倒れていた本体も黒ずんだ色になり砂になって崩れ、風に掻き消えた。

 終わった。鰐は別の存在に成ったのだろう。

 場内に沸き起こる拍手と歓声。

 彩季が手に持っていた短刀も静かに消え、彼女は如月を見た。その目の端に、李恩が牛車の欄干から身を乗り出したまままだ呆然と見ている姿が有った。

 如月に駆け寄ろうとしたが急に足元がふらつき、そんな彼女を公隆が横から掻き抱いた。

「無茶しおって。何時の間にあんな技を。」

 抱き上げられ息を詰め自分を見る彩季に、

「疲れただろう……楽しかったか?」

 彼の涙を溜めた瞳にドキリとしながら、

「はい!」素直な笑みを返す彩季。

 何故か抱き締められている彼女よりも、如月の方が目を逸らしはにかんでいた。

 彩季はそんな如月の様子を気にしながら、公隆の青い瞳を見ると、蜘蛛に絡め取られた時の光景がふと過りつい心配顔になった。

「お父様こそ、大事有りませんでしたか?」

 公隆は嬉しそうに彩季を高く捧げ上げ、照れ臭そうにする彼女に満面の笑みを見せた。

「この通りだ。私を誰だと思っている?」

 そして、女子高生如月を振り返ると言った。

「天音さん。本当に助かりました。この後、我が家で祝いの宴を催しますので、是非お越し下さい。心ばかりのお礼をさせて頂きたいのです。」

 二人の様子を何かを思ってじっと見ていた如月が、ハッとした様に頷いた。

「はっ、はい。でも……」

 彩季は、公隆に抱きかかえられたまま女子高生姿の如月に手を繋ごうと差し出し言った。

「遠慮は無しです。」

 勘弁してくれと言いたそうな彼だったが、ここで頑なになっても仕方が無いと思ったか、

「分かりました……」

 渋々応じ手を差し出した。それを見て公隆も、よかったと頷いた。

 その時、

「ユキ!」

 離れた所から飛んで来る甲高い声は言わずと知れた玉蘭である。その声にビクリとして振り返る彩季と如月。彼女が牛車を降りて駆け寄って来るのが見えた。

 見物客達は随時露天市の方へ移動し始め、会場は人の気配もまばらになりつつあった。

 彩季は公隆を見た。

「お父様。私が天音さんをお屋敷にご案内します。部下の方達がお父様をお待ちのようです。あちらの方へ行って上げて下さい。」

 彩季の言葉に公隆は残念そうに周りの黒装束部隊を見た。

「仕方が無いな。分かった。では、天音さん。後ほど屋敷で。」

 公隆は彩季を下に降ろすと、女子高生に一礼、部下に撤収を命じながら行ってしまった。

 玉蘭が息を切らせて走り寄るのを見て如月の頬が一瞬引きつった。

「ユキ!」

 玉蘭は何の躊躇いも無く彩季に抱き付き、彩季はその勢いにも負けず踏ん張り抱き止めた。

「すみませんでした。途中であなたを放り出したりして。大丈夫でしたか?」

 自然に出ただろう彩季の言葉に、如月が何故か物凄く照れている。

 玉蘭は、傍らの女子高生に気付いているのか、わざと無視しているのか構わず言った。

「うん、平気だったわ。ユキの踊り、格好良かった。最高よ。いつお稽古してたの?」

 テンションMAXの彼女を抱き締めたまま如月を見る彩季。一応彼女は彼の婚約者なわけで、今は中身が入れ替わっていようとその関係性は変わっていないはずだ。

「お稽古は……してません。とにかく夢中で天音さんの真似をしていただけですから。上手く出来てたかどうか……」

 彼女の言葉にようやく手を離して如月を振り返る玉蘭。少女と目が合い、どうも、と会釈する如月。それを見た玉蘭の目付きが変った。

「……母上?」

 彼女の少々ライバル心の篭った仕草が一転した。彩季は思わず如月を見た。

「私は天音彩季。そんなに誰かに似ているのかな? さっきも言われたんだけど。」

 玉蘭は一瞬浮かべた寂しそうな影を吹き飛ばす様に開口一発、

「変な格好! イーだ!」

 あまりに子供らし過ぎる彼女の反応に彩季は笑った。如月も苦笑いだ。




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