祭見物


 彩季は、玄関に轢かれて来た玉蘭の牛車を前に、こんな乗り物を見るのも乗るのももちろん初めてで、生来好奇心の塊の様な性格だけに、とにかく物珍しそうにしないだけで精一杯だった。

 牛車は色んなドラマや漫画などで見ていたが、どうもこれは平安時代に使われていた物とは少し違う様で、直径1.5m程の木製車輪が2対合計4輪で支える大きな3m×2mぐらいの箱型で豪華な装飾が施されていて、出入り口は後部に有り、左右は御簾が下げられた大きな窓に、内部は進行方向に向かって真ん中に平行のテーブルが有り、両壁側に長椅子が設えてある和洋取り交ぜた様な作りだった。

 見た目は完全に御所車なのだが、外壁としは人が腰掛ける椅子の背もたれ辺りまでを腰板で囲い、緞帳の様な厚い織物、がその全面を覆い地面から内部は見えなくなっているが、御簾を全部上げればきっと開放的な空間だろうと思った。

 胴幕は職人による手織りで、精緻に織り込まれた模様は儒者による故事による問答を物語とした有名な場面を元に描かれているらしい。

 内部の四方の木の柱には四獣が空間を守るように彫られ、天井部には玉蘭の名の通りカトレアに似た花の絵が色も鮮やかに図案化されて描かれ、長椅子の肘掛は、両サイド向かい合わせで四体の今にも踊り上がりそうな生き生きとした様子の竜が彫られていた。

 玉蘭の話では、元は彼女の母親の物だったとか。

 ゆるりゆるりと歩く艶やかな毛並みの黒牛の紫の引き綱が揺れ、それを牽いて歩く玉蘭の家の爺やさんの後ろ姿を景色の中に眺めながら彩季は、如月の父の嬉しそうに笑った顔を思い出していた。


 如月の父は、彼に似て反則的な二十代後半の美青年だった。

 その青い瞳には吸い込まれてしまいそうな魅力が有るが、そんな事を思ってはいけない程の高貴な気品と貫禄を備えた人だった。

 如月と違うのは黒髪と言う所だけで、如月の金髪は母親に似ているのだ。


「お父様、お母様、お早うございます。」

 従者に襖を開けてもらい、着替えに忙しそうな背中に声を掛けると、驚いたように如月の父・守護如月家当主 如月 公隆きみたかは振り返った。

「……ゆっ、雪貴、おはよう。どうした?」

 彩季は彼の見事な着物の着こなしに一瞬見惚れたが、気取られない様に少し緊張気味に言った。

「あの……玉蘭さんとお祭り見物がしたいのですが、許可して頂けますか?」

 傍にいた如月の母、雪乃も何故か声も無く驚いている。

 公隆は、一瞬表情を嬉しそうに崩したが、気を取り直した様に真面目な顔に戻って言った。

「見学か。怪我の方はもういいのか? お付きの者の話しではもう少しかかると聞いていたのだが。」

 彩季は、両手を大きく広げて見せて元気よく回って見せた。

「ハイ、ご心配をお掛けしましたが、もう大丈夫です。この通りもう何ともありません。藤間が心配性なだけです。」

 中身が別人に入れ替わっているとは知らず、彼は息子の屈託ない笑顔に思わず微笑んだ。

「そうか。お前が見たいのならば許可しよう。玉蘭さんが来ているのだな。何か……。ああ、そうだ、そうだ、菓子を持って行け。」

 何故か明らかに動揺している様子で傍らの雪乃に目配せをし、棚から色々出してもらって菓子の入った籠を彩季に手渡してくれた。

「何だか少し……暑いな。これもやろう。」

 彼はそう言うと、帯に挿していた扇子を抜き取って、それもくれた。

 母の雪乃も慌てて、想い付いた様に言った。

「玉蘭さんに宜しく伝えて頂だい。賄いでお弁当とか色々婆やに頼むといいわ。」

 手に籠を持ったまま彩季は、笑みを二人に投げ掛けた。

「はい。ありがとうございます。」

 答えるように微笑を返して来る二人。

「楽しんでおいで。」

「はい。行って参ります。」頭を下げ退出する。

 半ば唖然とする二人を尻目に、叶ったら、などと言った藤間の言い回しに、もしや怖い人なのかと警戒していただけに気抜けした彩季だった。

 ウチの母さんに小遣いの値上げを言い出すのより超簡単じゃない、などと思いながら先を急ぐのだった。


 賄いへ行くと、雪貴である彩季の姿を見て皆一同ひどく戸惑っていたのが分かった。

 何故こうも彩季にとっては普通にしているだけなのに、皆驚くのかと呆れながら、出してもらう物さえ揃えばいいと思う彩季だった。

 そんなに如月少年は無口で横柄な子供だったのだろうか。

 夕食のカレーを食べながら拓海と喋る彼はそんな感じは決して無かったのに。


 彩季は、牛車の中、向いの席で終始黙ったままうつむいて菓子を食べるでもなく、花を見詰めたまま火が消えた様に大人しくなっている玉蘭を見た。

 きっと雪貴少年は花束も出さないし、にっこり微笑んだりもしないのかもしれない。でも、カイロを拾ってくれた彼は少し何かを気取っていた気がするのだが。

 それでも、玉蘭には少し和んでもらわないと気まずくて仕方が無い。

 彩季は少し俯き加減で言った。

「私、何だかやっぱり変ですか?」

 玉蘭はハッとしたように顔を上げた。

「ユキ……違うの。ちょっと何だかドキドキしちゃって恥ずかしかっただけ。だって何時もなら藤間さんに全部言い付けて動こうとしないのに、何もかも自分でやろうとするし、外出のお願いだって自分からお父上にお願いに行くなんて、見直しちゃった。お屋敷の場所とか分からないって言われた時は、本当にどうしようって思ったのよ。」

 本人じゃない事は言えないが、彼女の勘は当たっている。

「本当は、まだ全然分からない事だらけなのです。みんなに心配掛けたくないからこんな風にしているけれど。いつもこれでいいのかなって思って。変だったら言って下さい。」

 本当は、出来るなら嘘など吐きたくないのだが、彼女はまだ幼過ぎて打ち開けられないと思う彩季の心を知ってか知らずか、いやそれはきっと藤間に優しく見守ってやってくれ、と言われたからだったのかもしれないが、玉蘭はさっと手を握ってきた。

「泣いちゃダメだよ、ユキ。」

「大丈夫。泣いたりしませんから。」

 そう答えながらも、つい幼い玉蘭の精一杯の気遣いに涙目になってしまう彩季だった。

「色々教えて下さい。父も母もきっと私の事を心配している。だって……何か言う度に、驚いたような顔をするので……」

 玉蘭は握った手をそっと撫でてくれた。

「大丈夫。きっと鰐のせいだと思う。何か術を掛けられたのよ。除霊が済んだらきっと元に戻るわ。でも私は今のユキも好きだよ。」

 彼女の屈託の無い笑みに、何だか何かが後戻り出来なくなった様で、後ろめたい気で一杯になってしまった彩季だった。

「ありがとうございます、玉蘭さん。」





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